TOI,TOI,TOI!


2006年12月08日(金) 就職活動近況2

11月初旬。ウイーンとブダペストで計3本番があるツアーの電車移動の最中に、SWRの事務局、事務から事情を聞いたOrchestervorstand(オケの役員。団員の中から選挙で選ばれる)とファーストバイオリンパートの1名の3人で話し合いがあった模様。彼らの出した結論は、

「唯一の方法は、私がシェフに自分で直談判すること。」


シェフと言っても料理長じゃないですよ。このオケの正指揮者のカンブレラン氏です。彼のとこに直接自分で話して来い、て言うんです。
もう話はすっかり大ごとになってるし、あとは野となれ・・ですぐにウィーンですぐ話しにいった。
「それは大変だ。でもそういうことはオケの事務と話しなさい。」とすぐにたらいまわしにされそうになったが、もう彼らには話してある旨を伝え、さらに、これが自分にとって大事なオーディションであること、今までにここのオケに来てから幾度となくあちこちのオーディションへの参加を断ってきたが、今回は知ってるオケなのでどうしても受けたいこと、など言える事は全て言った。そして、アテネ一本目の本番を一人バイオリンが少ない状態でできるかどうか、と。
シェフは苦い顔して「考える時間をくれ。」と言って汗をかきかき去ってった・・・。

この一人少ない状態ってのは、あんなにたくさんいるんだから一人ぐらい、と誰でも思うんだけど、そういう穴ができないために費やされる労力ってのは、どこのオケの事務でも半端じゃない。
というのも私は自分が穴埋めになる立場になることが多々あるので分かるのだ。バンベルクはたいていそうだったし、オペラにいたときも休みだと思っていても「急病人なの。今日弾ける?」と電話があったこともしょっちゅう。事務の人とはもうツーカーの仲だ。(?)

例えば3番目のトランペットとか2番目のフルートが欠けるわけにはいかないというのは誰でも分かるけど、じゃバイオリンならいい、というわけにはいかないのだ。そういう例を簡単に作ってしまうと、あとが大変。

話は戻って、そういうわけでシェフが事務と更に話し合って出た結論。

「1、誰か急病人が出た場合には、きっぱり諦め、皆と一緒にアテネに飛ぶこと。16人が15人ならまだしも、14人になるのは何が何でも避けないといけない。
2、そのために飛行機の私の席は確保しておくので、航空券は往復自分で購入すること。

その飛行機が飛ぶまでに誰も病欠願いを出さなければ、オーディションにいってよし。」

その日からは誰かが練習中に咳をするのを聞くたびにドキっとしたね。ビタミン剤を配ろうかと思ったぐらい。

それから3週間ぐらいずっとそんなで、皮膚科の医者に「ストレス溜まってる?」と聞かれたのも全てこの期間中のことで、パリにも行き、ルツェルンも終わっても誰も病気にならず、私は無事にオーディションを受けることができたのでした。

プレッシャーは最高潮で、これで1次で落ちたらかっこ悪いどころじゃすまされないな、でもオーディションだし、それも十分ありうること、と考えなくてもいいことが頭をめぐっていた。


1次モーツァルトとオケスタ1曲。
緊張で氷のように冷たい手で弾いたが、なんとか通過。

1次通過者は4人。2次は前回までのブラームスはやめて、今回初挑戦したチャイコフスキで、通過。楽しく弾けた。足で拍手(拍足?)してくれる人がたくさんいたのが聞こえて嬉しかった。

2次通過したのは私を含めて2人。
3次はオケスタ。オケのパート譜を一人で弾くというもの。

そのあと長い論議があり、後から聞いた話では、私を取るか取らないかが争点だったらしい。
けっきょくは残念ながら、再度挑戦ということになった。次回のオーディションに自動的に招待される。批評された点は非常にはっきりしたものが二つ。こっちから聞こうとする前に団員の方からたくさんわらわらと私のとこにきてくれて、皆で論議の内容を教えてくれた。

仲良しのホモの団員には、そのあとは寿司と真昼間のビールを奢られ、一人でアテネに向かう私を空港まで送ってくれ、しかも空港でもケーキとコーヒーを奢ってくれた。

アテネに着くと夜中で、もう地下鉄も走っておらず、タクシーで25ユーロかけてホテルへ。次の日の朝はもちろん質問攻めだった。で?どうだったの?って。最後まで残ったってことでカッコだけはついてよかったよかった。

今までに最後までいったのは、とあるBオケと、Pforzheimの室内オケの2回。今回本命オケで、しかもここまで来れたのは、意外と両方のオケからのプレッシャーのせいだったのではないかという気もうっすらしている。


  
 目次へ