和田拓治郎の「夜景レストラン」

2009年03月12日(木) 意外と悲しいね




学生時代、人生論や恋愛観を突き詰めて明け方まで飲み、ことあるごとにイベントで視線を集め、安佐南の町に初の絵画教室を開き、その行く末についてまたトコトン飲み明した場所「アトリエ新樹」。

小さく灯っていた光が、ようやく今年で幕引きとなったようです。
みなさん本当にお疲れさまでした。

これほどの日本家屋を、今時の若者に長年に渡って貸していただけたのは大変貴重であったと、取り壊される段階になってから初めて気持ちをカメラにおさめるこの不甲斐なさ。




ああ、なぜもっと活用しなかったか。
悔やまれる15年間。


思えば、最初は電気も来てなかったらしく、最寄りの電柱から






↑押すと予想通りの言葉に変化

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かかっただとか

もう一人住むから、





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取り壊して改築するとか。

たしか、9.11の同時多発テロの映像もココで見た。
そして、前の日に飲み明かして誓った「アートで世界をいわせてやろう」の意気込みは消沈し、最高の無力感を味わったののもココだ。




その場所が、今月からわたしたちより先に土に帰ってしまう。
さようなら、時間。


こんにちわ、新たな一歩。
関係者は一人を残してみな地元に帰り、それぞれの芸術活動に向けて準備を始める。

そうだ、それでいい。
またそこで作ればいいじゃないか。



と、感傷に浸るのはここまで。
異性へのプレゼント猛攻撃時期が迫って参りますねえ。

あの、平成元年を思わす製作ラッシュ開始。
まだまだだ、ドンドン発注してよろしくてよ。

和田は既に先週末、身内の風邪を譲り受け、高熱で寝込み済みのため今後一切御病気されぬ模様。
ゆえに、若干テンション高めである。

さあ、未だモテないヤツはトルコへ行け。
トルコで日本人は、無条件で大モテ。

行って帰って、トルコ人向けのプレゼントを発注したまえ。

それにより、ジャパンマネーがトルコを経由、ヨーロッパ諸国でチーズ等の舶来品に進化、回り回ってお父さんの接待の食卓に並ぶという、グローバルな親孝行意識をお忘れなく。

下界の皆さんまた会おう、わたしは地獄の門を開く。


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和田拓治郎 [MAIL] [HOMEPAGE]

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