"Quote . . . Unquote"

2002年08月15日(木) 事実と解釈

 
現象に立ち止まって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義者に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろう。

「すべてのものは主観的である」と君たちは言う。しかしこのことがすでに解釈なのである。「主観」はなんらあたえられたものではなく、何か加工し加えられたもの、背後へと挿入されたものである。――解釈の背後になお解釈者を立てることが、結局は必要なのであろうか?すでにこのことが、仮構であり、仮説である。

総じて「認識」という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されるうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。――「遠近法主義」

世界を解釈するもの、それは私たちの欲求である、私たちの衝動とこのものの賛否である。いずれの衝動も一種の支配欲であり、いずれもがその遠近法をもっており、このおのれの遠近法を規範としてその他すべての衝動に強制したがっているのである。



『権力への意志(下)』ニーチェ


 < 過去  INDEX  未来 >


TMK [MAIL] [HOME]