| 2002年03月25日(月) |
いつ立ち去ってもいい場所 |
何をしに来たのかもはっきりせずにぼくはここへやって来て 見様見真似でいつの間にか大人になった 掛値なしに好きでたまらないものももちろんあるけれど それは風のように一刻もここにとどまっていない
電気スタンドのスイッチを直していて思ったことがある ぼくをここに結びつけるものはこのスイッチひとつで十分だと 人間の作り出した小さな物が正常に働くこと それがぼくにとっては何にも代えられない喜びだ
金属や木や硝子で作られた物は明瞭な輪郭をもっているが 人のうちに隠れているあの図りがたい何かにはどんな輪郭もない だがそれは途方もない力でぼくをここに閉じこめ 同時にどこかへ追放しようとする
もみくちゃにされながらぼくは驚く 人の手で作られた小さな物が泰然としてここにあることに それがそんなにもはっきりした目的をもっていることに
ここがいつ立ち去ってもいい場所のように思えることがある
『いつ立ち去ってもいい場所』谷川俊太郎
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