| 2008年05月12日(月) |
『よあけ(ダイアンサス・アマデウス)』 |
……時間ギリギリでした。ごめんなさいやっつけ感がひしひしと。 合計一時間ちょいで仕上げましたよ!人間どうにかなるもんですね。 いえあの、この事態には少々理由がありまして。 まあそれは後日ということで、一日遅れの母の日話、どうぞです。 見直しなしの一発勝負という暴挙です。ああもう。 後日きちんと本腰入れて見直します……。
『よあけ(ダイアンサス・アマデウス)』
「ママの日だよ」 誰に言うでもなく、子供は呟く。白い部屋で、白い服をまとい、白い腕を動かして。息苦しいほど白い世界で、宇宙の瞳を持った子供は、ただひたすらに腕を、指を、働かせ続ける。 モノクロームに支配された空間で、子供が虚空というキャンバスに走らせる筆のみが、鮮やかな彩りを生み出していた。 「お花をあげる日」 彼が描くものは決まっていた。休むことのない繊細な指先は、たった一つの存在を、たった一つの彩りで描き続ける。赤い、花。しかし、それはやっと一輪描き終えたかと思うと、見る間に何処かへ姿を消して、やはり彼の前には染み一つない白だけが現れる。 しかし彼は全く意に介さず、むしろそうなることを知っている上で、描き続ける。
赤いクレヨン。 「自分のママに」 母の手伝い中だった、桃色の髪をした少女は、いつの間にかテーブルの上に置かれていた花に、金色の目を丸くする。自分も、母も、こんなものを買ったおぼえはないというのに。思わず手に取り、辺りを見回し、素早く走査してみるが、周囲に何も異変はなかった。けれど彼女はにっこり微笑むと、花を手に、母の元へと駆け出した。
赤い色鉛筆。 「大切なママに」 秩序の名を持つ彼女は、瞬間、ぴり、と何かの気配を感じた。己の調整槽に横たわったままだった彼女は、ゆっくり上体を起こすと、カメラアイの焦点を合わせながら、周辺を見渡す。あらゆる計器があらゆる速度で演算を始めるが、それでも何も感知することはできなかった。ただ、自身の掌の中に、ぽつりと置かれた場違いな花に気付くと、物言わぬまま、無機質な瞳でそれを見つめた。 暫く経ってから、彼女は調整槽を出て、ある人物を探し始めた。0と1と電子と、それ以外のものが、彼女の中で小さく爆ぜたのかは、分からない。
赤いポスターカラー。 「もし、自分のママを知らなくても」 実によく似た面立ちをした、二人の青年と一人の少年は、不意に何処からともなく降ってきた花に、思わず同時に天を仰いだ。遠く離れていても、その仕草は全く同じものだった。黒髪の青年は、当初訝しげに花を眺めていたが、次第に口角を上げてゆく。赤毛の少年は、花を引っくり返し辺りを見回し、ちっとも合点がいかなくて首を傾げ続けるが、やがてにんまりと笑った。 白髪の青年は、膝に落ちたそれを、微動だにせず眺めていた。そのうち、ゆるゆると手に乗せると、また眺めた。飽きもせずに、そのままでいて。けれど、決して花を、ぐしゃりと握り潰すことはなかった。
赤い油絵の具。 「もし、もうママが側にいなくたって」 ベッドで一人、横たわっていた彼女は、ふと胸に何か触れる感触がして、薄く目を開いた。寝起きのおぼろげな視界に、ひときわ目を引く彩りが、きらり煌くように飛び込んでくる。常磐の瞳をした彼女は、くすりと小さく微笑むと、胸元に置かれた花を摘み取った。細い。赤い。一輪の。 そっと起き上がると、改めて花を眺めた。誰が置いていったのか、本物の花なんて何処から取ってきたのか、などと彼女は考えなかった。ただ、口元を甘い弓の形にして、愛しそうに、そしてほんの少しだけ苦しそうに、微笑んだ。彼女はその花の意味を知っている。そして、意味の通りに送ることができないのも、知っている。 が。ふと。 誰かが突然、部屋の扉を開いた。しゅん、という機械的な音が響いて、彼女は驚きながら思索より戻り、顔を上げる。来訪を告げもせず現れた無粋者へ、彼女はあえかに微笑んだ。 『おはよう』と。
「どんなでも。それでも。お花をあげる日だから」 子供はなおも描き続けた。もしも描いた花たちが、消え去ることなく彼の足元へ落ち続けたのなら、白い部屋は疾うに赤で埋め尽くされていたことだろう。しかし、そこに幾万幾億の、無数に繚乱する万紅は存在しなかった。あるのは、彼と、部屋の、モノクロームだけ。 と。 音にも満たない、涼やかな小波のような響きが、部屋に届く。足音ではない、さやさやと零れ落ちる、光のさざめき。子供から少し離れた、背中側に、光の少女が無言で佇む。 彼は手を止めたまま、振り向きもしない。その掌に、彩りを生み出すものは、もうない。 「ごめんね。もう、あかはないんだ」 小さく囁く。弁明でもなく、慰めでもない。ただ、あるがままのことを言っただけ。実際、彼の元に、もう赤いものは一つとしてなかった。クレヨンは最後の欠片を押し潰すようにして使ってしまったし、色鉛筆はもう柄の部分が見当たらないくらいちびてしまった。ポスターカラーや油絵の具も、ぎゅうぎゅうに押し出した挙句、切り裂いてまでして、ぴかぴかに使い切った。もう赤はない。別の色だけが、ごろごろと転がっている。 くるりと子供が振り返る。光に包まれた、暁色の少女を見やる。ふたりとも、見つめ合うばかりで、言葉も表情もなかった。少女がゆっくり瞬く。そこに、赤い花がないことへの嘆きや悔やみは見られない。 「でも。待って」 おもむろに少年が動いた。偶然伸ばした指の先にあった油絵の具を、色も見ないで握り締める。今まで、どれだけ多くの花を描き続けても、決して汚れることのなかった白い手が、チューブから飛び出したそれで、初めて色に染まった。 ぎゅうううう、と、子供に可能な限りの力を込めて絞り出す。これまで触れられもしなかった色が、噴水のように溢れ出した。はちきれんばかりに詰め込まれていた、真新しい絵の具が、弧を描くようにして子供の指へまとわりつく。左手にインディゴを、右手にオレンジを。 体中を二色に染めて、子供は所狭しと部屋中を駆け回る。先程までは、同じ場所で黙々と、同じ大きさの花を描き続けていたというのに。今は、たたた、たたた、と足音を立て、部屋全体をキャンバスに見立て、全身を絵筆としていた。小さな腕を限界まで伸ばし、広げたり、爪先立ったり、飛び跳ねたり。ありとあらゆる動作をこなしながら、おおきな、おおきな花を描き上げてゆく。少女が紫苑の瞳を瞬きもせず、見つめる前で、インディゴとオレンジのカーネーションは、とうとう完成した。 少年は、軽く肩を上下させながら、出来上がった花を見上げた。そして、おもむろに茎へ手を伸ばすと、空間から、ぴん、と引き抜いた。おおきな、おおきな。大人よりも大きな背丈をしたカーネーションを両腕に受け止め、彼は少しよろめいた。しかし、決して取り落とすことなく、胸に抱え込む。ぺた、ぺた、と白い空間を歩いて、少女の前でぴたりと止まる。 「ちょっと、まだらになっちゃったけど――」 再び花を見上げる。確かに花は、お決まりの赤には程遠い、世にもおかしなまだら模様だった。けれど、カーネーションには変わりがない。彼は彼女へ、ゆっくりと花を差し出した。
「ありがとう」 「――ありがとう」 彼は花を差し出し、感謝して。 彼女は花を受け取り、感謝した。
同じ言葉を口にして、ふたり向き合い、花と花で繋がれた幼い手が、少し触れた。インディゴと、オレンジの、おかしなカーネーションに、子供たちは初めて小さく微笑んだ。ぎこちない微笑が、ぽ、と部屋に灯ると、モノクロームが少し歪んだ。ささやかな綻びのようだった。 もう、夜が明ける。
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