本日、朝食のテーブルに、茹でたての栗が乗っていた。 ほこほことして、特別においしいというわけではないのだが、なぜか止まらない勢いがある。 栗ご飯のねっとりとした感触や、モンブランの鼻をくすぐるかすかな甘みも捨てがたい。が、ちまちまとゆで栗を食うことと比べると、どうも身分不相応な気がして、幸せ感が落ち着いて味わえない貧乏性なのである。
さて、目の前のゆで栗。 慎重に選ばねばならない。 今年初めて食べる、いわば初物。 江戸っ子は競い合い、寿命が延びるといわれる初物なのだ。 (もっとも、世間ではもっと早く出回っている。あくまで『我が家で〜』の初物である) ふくらみがあり、重さがあるものを選び、おもむろにかぶりつく。 そして!!
栗というものは、出荷前に水につけて確認する。 蟲が入っているものは取り除き、よいものだけを出荷する。 しかし、それとて完璧ではない。 ときには痛んだものも一緒に出荷する。 そう。 私がかじった栗のように。
あぁ、おそるべきは初物の栗。 その後食べた10個以上の栗は、すべて普通の品だった。
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