昔読んだ話なのでうろ覚えです。
ある男の人の話。 子供の頃のお話。 その子が頭に墨をかぶったの。
少年は父親こそ日本人だったけど、母親は西洋人だった。 日本人離れした顔立ちと、母親譲りの髪の色。 他の子供達にとって、排除するには十分な理由だった。
少年はどこも悪くない。 友達が欲しかっただけ。 当たり前のことを望んだ。 だから、自分の髪の毛が憎かった。
「この髪が黒かったら、僕にも友だち、できるかな?」
墨をかぶった少年が母親に言った言葉。 母親はただ、ただ、涙しながら謝った。
昔読んだ時、何が悲しいかわからなかった。 ただ、涙を流したけど、理由なんてわからなかった。 これ以来、『ハーフ』と言う表現が嫌いです。
こんばんは、あまつばめです。
今読んでいる本、『石の目』(乙一著:集英社)の中に『BLUE』という話が収録されています。 同じ布から作られた人形の話。 <王女><王子><騎士><白馬> そして、そのあまりの布で作られた<BLUE> 余った生地からできあがったぬいぐるみは、はひどい外見をしていた。 女の子のようだが、明るい青色の肌に黒っぽい青色の服だ。生地の足りなかったところは、なかの綿がでてこないように、別の色の生地でつぎはぎをした。手足の長さもばらばらだ。靴を作る生地すら残っていなかったので、足の先を切り取って平らにし、ふたたびふさいだだけだった。 こんな人形が女の子に遊んでもらうために色々なことをする。 <王女>のように金髪になるためにモップの先でカツラをつくったり、 <騎士>のように長い手足になるために手足にガラクタをくっつけたり、 <白馬>のようにつぶらな瞳になるためにビーダマを貼り付けたり・・・・・・
その中でも、最初にやる行動、 <王子>のように白い肌になるために、全身に小麦粉をまぶす行動。 涙が出てきました。 冒頭の話が思い浮かんできて。
生まれついて、どうしようもできないことってありますよね。 背の伸びやすい人もいれば、太りやすい人もいる。 視力が落ちたり、足が遅かったり、うちとけるのが苦手だったり… 「外見で人を判断してはいけない」っていいますけど、決まりきった服装する人のほうが一般人と見られています。 例えが悪いけど、通夜の席に黒のスーツで集まる人のなかに、普段着の人がいて、どちらを普通の人と思いますか? 礼儀としては、通夜の席は普段着でもいいのですよ。 急な死の知らせに駆けつけるのだから服装など構っている余裕などあるはずないのに、ほとんどの人が黒カラス。 本当に駆けつけた人をみて「常識がない」と陰口を叩いた人、外面しかキレイになれませんよ。
話が脱線しました。 こんなことを言いたかったのじゃなかった。 生まれついて違う『ハーフ』の人のことを思ったのでした。
『ハーフ』って、どういう意味ですか?
「××人と〇〇人の<ハーフ>」って表現、変じゃないですか? 誰だって父親と母親がいて生まれるのです。 意味どおりなら、人間は父親と母親の<ハーフ>しかいません。 こう言いたいのではないですか?
「半分は仲間じゃないよ」 「半分しか認めてあげないよ」
人として、認められないのは最高の屈辱です。 それを両親のせいにするような発言に聞こえます。 親をばかにされて喜ぶ、『普通』の人っているますか?
他人とあわせるためには<ハーフ>という表現は使っていますが、自分から使うときは別の表現をします。 両親から多くのことを学び、二つの国を知ることのできる人。 半分なんかじゃない。 広い視野を持った人たち。
ダブル
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