例年になく、雨と暑い日が多いように感じた5月も終わりです。 って、これを6月に書いていますから、終わっているのですが 軒下の燕の巣も、零れ落ちそうなくらいに育ったヒナは大きな口をあけ、親鳥に餌をねだっています。 何もしなくても季節は移ろいで行き、ぼんやりとしたまま雲の流れを見ていた、そんな1ヶ月間でした。
この下は泣きごといっていますので、見たい方のみ見てください。 今、強く思うのは、太陽がまぶしすぎることです。 憂鬱が激しくて、とめどなく笑ったり、何も考えずに膝を抱えていることが多くなっています。 疲れすぎて、自分を上手く表現できない。 自分が誰なのか、よくわからなくなってきている。
いま、心は谷のそこに落ちています。
狂っている自分と、倫理で凝り固まった自分が責め合って、普通なろうと苦しんでいる。 どちらかに身をゆだねれば、それはすぐに解決するけど、作りつづけていた自分が音たてて崩れていくのが分かりきっている。今までを無碍に捨てることのできな愚か者は、ただ苦しんで何かを見つけるまで血を吐きつづけなくてはいけない。いくら探しても正しい答は見つからない。答は人の数だけあって、他人に教えられた答はただの一面でしかないのだから。そうまでして何を求める?苦しくて、嫌になって、這いつくばって、そうまでして、何で普通になる方法を求めているのだろう。 何を書いているのかわからないほど、鬱になっている自分がいる。でも、このぐちゃぐちゃな自分も、どうでもよくて、好きなんだ。吐き気がするくらいに
照りつく太陽と、激しい川の流れ。むせ返るような緑の臭いに包まれながら、夏を待っています。光と影の間にはさまれている私でも、両方が濃くなるこの季節は待ってみたくなるものです。長雨の幕を抜ければ、ひまわりの季節。
生きていくにはつらい季節。 遊ぶには楽しすぎる季節。
元気に、なれるかな。 自分自身のこと、一番わからないのが、つらい
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