私は本当に泣き虫だ。悲しくても、感動しても、、励まされても、私の非を言い当てられたりしても、目の奥がじんわりと温かくなってきて、顔が赤くなり− 人前でもそうなってしまうことが、情けない。これは私の「非」だ。私は弱いのだ。小さい頃から八方美人だった、それにワガママだった。けれど、私の友達はみんな優しい人たちばかりで私を嫌うことはなくて、バカな私は自分の性格の悪さに気付かなくて、気ままに振る舞い続けた。ケンカをしても、「私は悪くない」とタカをくくってた。八方美人でもあったから、親や教師には「イイ子」の生徒だった。怒られることが、なかった。調子こいていたのだ。 けれど、今は八方美人などは通用しない。それこそが「非」で、醜いのだと思い知った今は、本気で正直にむかおうとする姿勢こそが重要なのだと思っている。 だけど、それが難しい。自分の心の正直なことばの中から、相手に不快感を与えないもの、自分の人格を落とさないようなものを選んで会話をするのは、難しい。「ものは言いよう」とも言う、自分の考えをいかに誤解を与えずに伝えるか−悲しみを訴えたいだけなのに、怒りのようなことばになってしまうとか、あるでしょう?−たとえ感情や思考そのままを話に表現しても、相手にそのままに受け取ってもらえるのかはわからないのだし、心は常に不安だらけだ。ましてや、人と向き合うことを識ってから日の浅い私だ、焦りばかりだ。 気付くのがまったく遅かった。誰でももっと早く気付くのに、自己中でワガママな私は、私は悪くないと思い込んでいた。人の気持ちを思いやるこということ等は、しようともしなかった。 私は弱くて、子供なだけの泣き虫なのだ。
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