『MS(´ε`)yotsuha』

2002年08月13日(火) 英語生き死に

うぬぅ…このペースでは
勉強予定が追いつかない。ような気がする。
とは言っても
焦っても焦ってるだけで
仕事が進まないのは目に見えてるので
堅実に、自分を叱責しつつ
毎日のノルマをこなすのが一番なのでセウ。

「天台観測」というドラマの
あらすじを読んでいたら
登場人物の一人、友也が
この人大卒後就職もせずに世界をブラリして回って
ダラリと帰国してきた人なんですけど
予備校で英語講師として雇ってもらうらしいのです。

彼は世界を歩くのにとても役に立った英語を
「生きた英語」を皆に教えたい!
と思ったらしいのですが
コレを聞いた生徒の一人が
「死んだ英語がいいんです。」
「私たち、受験生ですから」
とツッコむのだそう。

ワー!憎たらしい子…!
と思われるかもしれませんが
確かにそうなんですよね〜。

授業の仕方によるのかもしれませんが
生きた英語=口語をさすのであれば
たしかにそればっかりで
「こんな言い方しない」「これで通じる」
ばかりを教わってもズバリと受験の糧にならないなぁ、と。

死んだのも生きたのも、どちらも教えてくれて、
それでいて広い範囲を網羅できるのなら
こしたことはないのですが・・物理的なことを考えると
不必要をどう棄てるかっていうのも受験だ。

…ってことをつい最近思った私、浪人二年目なんですが。
(時間や余裕のある人は良いんですよ。)
(そういう人は勉強のついでに受験をすればいいのですから)
(ムツゴロウさんは高2の時によっぽどの事が無い限り
東大の農学部にいけるから好きにしろ、と言われて
高3のときは農場で働いてたそうです。いいなぁ。農場。<そっちか!)
(この間「ゴーゴゴー!」でぺスのお乳を吸うムツさんを見て
ばあちゃんが「んまこて、きさんか!こん爺は!」(本当に汚ねーこの爺!の意)
と言ったのを思い出す)(ウワァと思ったのを思い出す)

でもね!生きた言語ってのは面白いんですよ。
人間はおっくうな動物なんだなぁ、とか
一つの言葉が持つ広義とか
それが外国語になると、訳語とのニュアンスの違いとか
昔は一つの言葉がさしていたものは一つだったのかもしれないのに
現在は意味のかけ離れた複数のものを指したりするのを知ると
言葉の歴史=言葉の生きてきた証から
人間ののったりした空間と時間みたいのを感じて
私は好きですなー。

ね、だからどっちも棄てたもんじゃない…っていうかね
大学の先生が古い英語を改めればいい話なんですけどね…実は。


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