原案帳#20(since 1973-) by会津里花
★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲

2003年06月14日(土) 性同一性障害を考えるフォーラムinしずおか、本日開催!! (+6/21追加記事あり)

とうとうやってきてしまいました。
いったい何人くらい来るのでしょう……?

宣伝不足。
内容まだ詰めが甘い。
あれはどうなった、これはいいのか。

……
まあ、いいや。
なんとかなるデショ。

では、準備をしてGO!
[8:46 03/06/14]



[7:24 03/06/21]←ゴメン、今ごろになってつけたし。
開催してみて思ったこと。

・参加者49名(打ち上げのみ参加の方1名も加えると、ちょうど「50名」!)

・全体的に当事者よりも支援者や全くの一般の方の参加のほうが多かった
 ↑でも、当事者「だけ」の集まりにしたら、いったい何人集まったのやら。

・↑のこととも関連して、確かに当事者どうしの自助グループ的な活動も必要だし、その場合は当事者のプライヴァシーに配慮してクローズドな集まりにしなければならないだろう。

 けれど、わたしはできる限り、当事者ではない人たちが、少しでも当事者を「見る」「知る」ことが、これからは大切なのではないか、と思う。

 わたし自身もあまり「障害者」と思われるのは嫌だけれど、考えてみたら「男に見えるのに本人は女だと思ってるし女みたいに振舞おうとしている(またはその逆)」というのは、どうしても何も知らない人から見れば「異様」だろうと思う。

 それは、ちょうど……って引き合いに出すのはその相手に失礼なのかもしれないけれど……身体障害があって体の動かし方が障害のない人とはちょっと違う、という人が、何もわかっていなければやっぱりたぶん「異様」に見えてしまうだろう、というのと似ているような気がするのだ。

 あるいは、今ではそんなことはほとんどないけれど、目の不自由な人が差別的な言葉を浴びせられた時代だってあった。

 今では「体や心に障害のある人を差別するのはとても良くないことだ」という一般的な「常識」があるから、あまり露骨な差別はないのだろう。
 でもきっと、障害者と今までに一度も接したことのない人が初めて障害者に出会ったら、一瞬「うっ」と引いてしまうに違いない。
 それを克服するには、その障害者自身をよく「知る」ことが不可欠なのだ。

 今でも、世の中には障害者に対する差別的な気持ちを克服できない、すごく皮肉な言い方をすれば「気持ちの障害」のある人は少なくないだろう。
 「だって生理的に気持ち悪いんだもん(=それは変えられない)」
 ある掲示板で、そう書いている人がいるのを見て、考え込んでしまった。
 っていうか、その言葉じたいには、わたしはすごく傷ついた。
 でも、その人がたとえばわたしをターゲットにして悪意で言ってるとか、そういうことじゃないのもわかったので、じゃあどうすればいいんだろう、と考えてしまったのだ。

 で。
 サルの子は、親から教わらなくてもヘビを見れば恐怖に駆られて泣き声をあげ、親の助けを求める。
 人間の子は、性同一性障害の当事者を見て、やっぱり気持ち悪がるのだろうか。
 ……っていうか、人間の場合、事情が違うのではないか。

 たぶん、黒人を一度も見たことのない人がはじめて目の前で黒人を見たら、その肌の色を「異様だ」「気持ち悪い」と思うだろう……かもしれない。
 気持ち悪がらない人もいるかもしれないけれど。
 それは、その人が黒人を知らないからなのではないか。

 ほんの百数十年前まで、白人種の人が日本では「毛唐」といって気味悪がられていた。
 もちろん、最初から気にしない人もいただろう。
 先天的なのか、育っていくうちに差別しないセンスが磨かれたからか、それはわからない。

 今では、白人を「気持ち悪い」と思う日本人はかなり少ないだろう。
 全くいないとも思わないけれど。

 で! (もういいから早く結論書けよ>自分)
 人間って、「生理的嫌悪感」でさえ「知性」「理性」によって変えることができるのではないか?
 性同一性障害当事者に対して「生理的嫌悪感」のある人たちがいるとしたら、その嫌悪感を取り去る努力をするべきだと思う。

 <わたしの持論>
 人間は他の動物と違って「本能に障害がある」。←わざと「障害」という言葉を使ってみた
 その障害を克服するために、大脳の機能、つまり「知性」「理性」を発達させた。
 壊れた本能が自分や他人の命や安全をむやみと脅かしてしまうことがないよう、あるいは群れの秩序を築き上げることができるよう、本能の代わりにもっぱら「頭を使って」命や安全を守ったり、「群れ」=社会の秩序を形成したりしているのだ。

 実はねー、わたしの最近の趣味の一つに、「サルの百科」を寝ながら読む、というのがあるのよー。
 ぜんぶで75種ものサルについて、字数は限られているものの、かなり的確にその生態を説明している。
 それを読んでいると、人間ってやっぱりサルの延長上、あるいはそこから逸脱したところにいるんだなー、と思わされるのだ。

 人間ほどひどくはないけれど、サルの多くも、生息する環境に適応するために、本能の一部を変化させて独特の生態を見せている。
 類人猿なんか、なまじ人間に近いだけに、人間であるわたしにとっては「こういう生き方ができたらよかったかも」とさえ思わされることもある。

 人間のわたしがサルに対していちばん「うらやましい」と思うのは、彼らはみな、人間みたいに際限なく貪欲ではない、ということだ。
 人間以外の動物は、みんなとても「お行儀がよい」のだ。
 群れからある者を排除するときでさえ、とても慎み深く、なおかつ厳しく、本能に従って行う。

 いちいち考えて、頭を使って「知る」「理解する」ということがないと、まともな行動が一切とれない人間としては、本当にうらやましい限りだ。
 同じ群れ……今では世界全体が一つの群れになっている、といっても過言ではない……の中で、壊れた本能のせいで勝手に殖えすぎたくせに、それをどうにかしようとして殺しあう。

 人間以外に、こんなに愚かなこと……これを「戦争」と呼ぶ……をする動物、いないぞ。

 おわあ、話がまるっきり逸れてしまった!

 つまり、つまりですねー、本能が壊れた人間さまとしては、「知る」「理解する」ことによって「生理的嫌悪感=差別」を克服することができる、ということが言いたいのですよ!

 「生理的嫌悪感」は生理的なものだから変えられるはずがない、という考えを変えなければならない。
 そうしてもらわないと、性同一性障害の当事者の中には生きていくことができない人だって出てきてしまうかもしれないのだ。

 つい数十年前まで、北米やオーストラリア、あるいは南アフリカにおいて、白人は黒人に対して「生理的嫌悪感」を持っていただろう。
 それが正当化されていたからこそ、差別が容認されていたのだ。
 今は、それは許されていない。
 それでも「生理的嫌悪感」を持つ白人がいるから、黒人に対して差別的な事件は後を絶たないのだろう。
 でも、わたしに言わせれば、それは自分の「生理的嫌悪感」を野放しにしている、露骨に言うと「頭の悪い」白人が悪いと思う。
 なぜ「頭が悪い」とまで言うのか。
 それは、その気になれば克服できるのに、そうしようとしないから。

 差別を克服しようとしない者は、愚かだ。
 壊れてまともに機能していない本能に従おうとしているから。
 そんなものに頼っていたら、まともな判断はできない生き物なのだ、人間は。

 ……と、なんか滅茶苦茶恨みがましいことを言ってますけど、ちゃんと具体的なところに話を戻すと。

 性同一性障害の当事者に対して「気持ち悪い」と思う人は、当事者の一人でいいから知り合いになって、その人が自分と同じ「人間」であることを知ってほしい。理解してほしい。

 同時に、当事者に対して注意を促したい。
 「オカマはいつでも男に飢えている」というのを地で行くような態度を周囲にふりまく人がごくたまーにいるけれど、それは止めて欲しい。
 そういうステレオタイプが、非当事者の「生理的嫌悪感」を煽っていると思うから。
 (はっきり言って職業でオカマやってる人たちだって、そんな人はめったにいないぞ!)

 もちろん、「飢えている」ように振舞う人の理由もわかっている。
 そのようなステレオタイプで差別されてきたからだ。
 周囲のそういう「期待」に沿わなければ、自分の生きる居場所がない、と思うからそのように振舞うようになったのだ。
 これは、差別の姿そのものではないか。

 いわゆる「オカマ」「ニューハーフ」を含めて、性同一性障害の当事者、特にMtF(生物学的男性だけど精神的には女性)は、平均的な男よりも「性欲」に対してはかなり控えめで慎み深い。
 それなのに「飢えている」と思われるのは、男がこのように思うからではないか:
 「オレは女に対してこんなに飢えている。ということは、本当は男であるオカマは、オレを含めて男に対して飢えているんだろう。気持ち悪い!」
 見てわかるとおり、これはとんでもない誤解であり、性同一性障害に対して正しい理解を放棄しているからこんな考え方になってしまうのだ。
 男が性的に「飢えている」のは、男性ホルモンの機能のせいで仕方がないことだ。
 でも、一緒にしないでほしい。

 正しい理解を放棄しているから……というより、正しく理解する手がかりを、今の(少なくとも日本の)社会は、持とうとしてこなかったのだと思う。
 だから、わかっていない「勘違いオヤジ」が多くいても、いちがいに責めることはできない。

 これからは、法律の整備も含め、性同一性障害やその他のセクシュアル・マイノリティを正しく認知し、理解していくことに、当事者・非当事者の双方が努力していくべきだと思うし、それができる程度に社会が成熟してきているのだと思う。

 <以下余談>
 (逆にいえば、性的に不自然な抑圧をしないと成り立たない「未成熟な社会」というのもあると思う。
端的な例は「戦争状態にある社会」だ。戦争にとって、セクシュアル・マイノリティは、邪魔で目障りな存在だろうと思う;戦えないし、戦闘に向いている「男」の気をそぐから。

だからこそ、20世紀半ばまでの欧米の多くの国、特にアメリカ合衆国などでは、宗教の名を借りてセクシュアル・マイノリティを必死で排除していた。
平和な日本人にはちょっと考えにくいけれど、セクシュアル・マイノリティをそうであるからというだけの理由で殺してしまう、というような「ヘイト・クライム(差別に基づく憎しみからの犯罪)」さえある、という。

でも実は、キリスト教が同性愛などのセクシュアル・マイノリティを差別するようになったのは、中世の頃にキリスト教を悪用して農民の抑圧支配をしようとしたことから始まったのだ、とも言われている。

あるいは、現在のイスラエルを見ていて思うのだけれど、あの土地がそういう面で「呪われている」からなのかもしれない。

関係ないけど、イスラエルは「憎しみの連鎖」を自分から手放すべきだと思う。
もう二度と「報復」をしないでほしい。
先住民を排除して無理やり国土を分捕ってしまったんだから、それで憎まれて殺されたりすることがいくらかあったって、仕方がないじゃないか、とさえ言いたくなる……

ああ、これはアメリカ合衆国の姿とも重なるのか。
どうもこのところ、アメリカとイスラエルがやけに似ているような気がしていたのは、そのせいだったのか。
「先住民を排除した」という事実は、征服者の心に暗い後ろめたさの影を落とす。
それが、陰に陽に、征服者に好戦的な態度をとらせたり、差別を好ませたりするのかもしれない。

でも、憎しみの連鎖を手放せないイスラエルから、ダナ・インターナショナルDana InternationalというMtFの優れた歌手が出てきたのは、「憎しみの連鎖」を後悔する潜在意識がイスラエル人の心にあることを象徴しているような気がして、面白い。

現代の世界は、もはや征服と排除を正当化しない時代にさしかかっているのだろう)


★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲