原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年05月28日(水) 早起き 平和のためのイベント

そうそう。今日の日記を始める前に。
20030527・市議会・議員控室挨拶回り 他
もつい今しがた書いたところなので、お読みくださいm(__)m

★1・早起き
★2・「平和のための戦争なんて…」
★3・「家族制」
★4・お見舞い



★1・早起き

今日は早めに目が覚めた。
珍しく、弟の朝ご飯を作った。
(Fくん、今日は会社がお休み)
しばらくテレビを見た。
もらったメールについて、あれこれ考えている。

……あ。眠い。
寝直しちゃおうかな……(こらこら)

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★2・「平和のための戦争なんて…(ありえない!)」

今日、ソロ歌手の大島優美子さん(漫画家じゃなくて)が発起されて、
ブッシュがイラクに対して起こした戦争について反対の立場で
音楽と朗読で構成されたイベントが開催された。
この記事のタイトル「平和のための戦争なんて…」が、そのイベントのタイトル。
副題:「あきらめない 演劇は非戦の力」
 イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会、による台本より再構成


前半は、ほとんど泣きっぱなしだった。
わたしは、小さい頃に父親からベトナム戦争の「北爆」の恐ろしさを叩き込まれて育ったので、
戦争に対してはたぶんとても健全な感情を持っていると思う。
(そういうところは父親に感謝している)
……つまり、「戦争は嫌いだ。恐ろしい」と思っているのだ。

わたしは、あの「演劇人」の人たちが言っていたのと、ほとんど同じ気持ちを持っている。
どんな理由があろうとも、戦争はしてはならない。
殺しあってどちらかが生き残るよりも、仲良くして共倒れになるほうがましだと思う。
大量破壊兵器を敵に向ける側ではなく、それが落ちてくる側のことを常に想像し、
そこで暮らし、そこで殺されてしまう人々に共感する。

生まれなかった子どもをわたしが「殺した」ことにされただけであんなにショックなのに。
わたしは仮に「平和のための戦争」で、とてもまっとうな正義が自分の側にあって、
「テロを防ぐ」という理由のためのミサイルのスイッチを自分が押すことになっていても、
やっぱりそれが落ちて死んでいく人たちのことを思うだろう。
そうして、それはわたしの心に癒すことのできない傷を残すだろう。
その傷はわたしを蝕み、社会に言い知れない不安や恐怖を撒き散らすことになるだろう。

そんなの、絶対に嫌だ。

戦争は、憎しみを拡大再生産するだけだ。
自分の大切な人を殺されてそれが決して許せないと思っても、
わたしは決して自分から相手を殺そうとはしないだろう。
わたしが相手に「報復」したとしても、今度は報復された相手の身内が
わたしに対して強い憎しみを抱くことになるだろう。
わたしは憎しみの連鎖の中で自分を消耗し、死神か幽霊か、
どっちかのように生きなければならないだろう。

残念だけど、ブッシュはもうそうなっている。
彼が憎しみの連鎖を解くことはできるのだろうか。
彼が生きている間は不可能なのではないか。

人間はとても弱いものだ。
許す力が弱いのだ。

わたしは、強い力で人を憎むなんていう自信はない。
報復なんか絶対にできないわたしでよかった、と思う。心から。

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ところで、話は変わるけれど、今日のステージはわたしにとって、とても「懐かしい」ものでもあった。
わたしはほぼ20年前(もうちょっと前かな?)に、同じように歌唱(主に合唱だったけど)と朗読で構成された
「合唱組曲」を演奏していたのだ。バックバンドのベーシストとして、だけど。

その「合唱団」は、はっきり言って力量的にはとても下手だった。
だから、今回みたいに多くの聴衆を集めて、集まった人たちを感動させるほどのものになったことは、
数えるくらいしかなかった。
(合唱+バンドと語り、という形式で、
1945年3月9日の「東京大空襲」を扱った物語『ガラスのうさぎ』を演奏した時には、
お客さんの多くが涙で共感してくれた。
数少ないけれど貴重な体験だった)

それととてもよく似た形式で、こんなに多くの人に感動と共感を呼ぶなんて。
世の中は、明らかに20年前よりも良くなっている、と思った。ある面では。
でも、世界が滅びるのと紙一重である程度も、あの頃よりも一段と大きくなったと思う。別の面で。

だからこそ、わたしは自分の立場を明らかにしなければならない、と思う。

わたしは、あらゆる戦争やそれ以外の殺人と暴力に、絶対に与(くみ)したくはない。
そうして、それらのことがこの地上から一切消えてなくなることを、心から祈っている。
そのために自分ができることがあれば、なんでもやりたい、と思う。
(だったら本当にやれよな>自分)

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生きていて、良かった。
女に戻れて、良かった。
(わたしにとっては「男」というフィルターがかかっていた頃には感じにくくなっていた感情を
ダイレクトに、敏感に感じることができるようになってきたのだ)

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★3・「家族制」

実は今日、↑の他にもとても貴重な体験をした。

誰、ということは、その人の名誉のために明かさないほうがいいと思うけど、
ある人と「家督相続」について話したのだった。
っていうか、ほとんど言い合いのようになってしまった。
(すごく怖かった;相手は体の大きな男性なので)

その人は、現代の日本では制度的には消滅して慣習の中に残っているだけの「家父長制」を、
「それが常識だ」と言ってわたしに押し付けようとした。
わたしは、そういうもののせいで自分を一旦はすっかり失ってしまった経験があるので、
それを擁護する立場には立てない、と言った。

長男や長女が「家を継ぐ」ということは、多くの人の自由を奪う。
それがなぜかといえば、「帰る実家」や「入るお墓」を失わずに確保しておくために、だ。
確かに、わたしも今、「実家」というものがあるおかげで、
ほとんど収入もないのに生活できている。
もしも弟が幸せな結婚をして、新しい家族と一緒に穏やかに暮らしていたら、
わたしはきっと弟を頼ることはなかっただろう。

でも。
「家父長制」「家督相続」ということに今でもこだわる人の気持ちは、少しわかったような気がする。
それは、とてもかわいそうだし、実はみじめなことだと思うけど。

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戦前に行われていた「一子による家督相続」は、鎌倉時代の末にだんだんと起きてきて、
室町時代頃に定着したのだとか。
鎌倉時代に入る時に源頼朝が掲げた「御恩と奉公」から類推できるのは「均分相続」だった。
けれど、それだと代を重ねるほど、
一人あたりの相続する土地や家屋その他の財産が小さくなっていってしまうので、
それを防いで豊富な財力や強い武力を確保しておくために
「家督」というものを家族の誰か一人だけが受け継いでいく、というかたちに変わっていったのだ。

初めの頃は、実は「長男(長子)相続」ではなかった。
子が複数いれば、いちばん実力のある兄弟が相続したのだった。
ただ、このやり方にも欠点があって、兄弟どうしで武力を争うことにつながりやすかったのだ。

で、結局明治維新を迎えてから、
たぶん皇室の皇位継承順に合わせて「まず第一子の男」つまり「長男」が相続する、ということになった。
「男が後継ぎ」というのは、江戸時代にはかなり定着していたようだけど、
しっかりした制度になったのは明治維新以後だった。
「男」でなければいけない理由は「戦闘能力が高い」というのがたった一つの理由だろう。
後からだいぶいろいろと余計な意味付けをされてしまったようだけど。

「日本では昔からそういうことになっている」というわけではない。
いちばんさかのぼっても600年ほど前からなのだ。

現代でも、「実家」というものが「目減り」してしまわないように、
それを相続するのはいちおう兄弟のうちの誰か一人、というのが一般的であるようだ。
特に田舎では、今でも地域ぐるみでそういう「遺制」を犬儒しようとしている人々がいるようだ。

でも、でも。
「家を守る」ということのために、たとえば結婚相手の名字も仕事も住むところも変えさせてしまっていいものだろうか。
わたしはそれを、身をもって体験した。
本当に、名字も相手のものに変えたし、仕事も変えたし、住みかも東京から故郷の静岡に変えてしまった。
その感想は……

わたしは自分を見失ってしまった。

「嫁」というものが今でもほぼそういう境遇を強いられるということは、恐ろしいことのような気がする。
わたしは自分が事実上そういう立場に置かれて(しかも自分では子を産むことすらできない!)、
結婚相手の「実家」との間で、本当に恐ろしい思いをしながら生きた期間があった。
あんな思いは味わいたくなかったし、二度と味わいたくもない。

なので、実はわたしは「夫婦別姓」にも大賛成だったりする。

(うーん…… この記事はなんだか納得できる言葉で書けていないような気がする。
それは、わたしが今日話し合ったその人の気持ちもわかる、という揺らぎがあるのに、
それがうまく表せないからだろう)

……あっ、そうだ。
一つだけ、とても腑に落ちないこと。
わたしが議論した相手の人は、どうやらその人自身も「実家」ということで傷つけられた経験があるようだった。
それなのに、自分を傷つけた制度、というより慣習を、「正しい」と言うのだ。
それがわたしには理解できない。どうしても。

それを「世の中の厳しさ」というのなら、そういう厳しさは間違っていると思う。
なぜなら、決して人を「生かす」厳しさではないから。

まったく、もう……
そんな「厳しさ」にいつまでも幻想を抱いていたら、人類が滅びるのが早まるだけじゃないの。

前にも書いたことがあるけれど、わたしは「愚かな厳しさ」が嫌いだ。
っていうか、「愚かしさ」を「厳しさ」と勘違いしたりごまかして決め付けたりするのが嫌いなのだ。
なぜなら、不毛だから。
そんなものでは、人も自然も生きのびることができないから。

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★4・お見舞い

お見舞いにいった。
お隣のおばちゃんのところに。
小さくなった、と思った。
けれど、思ったよりもずっと意識がしっかりしているようで、
ぜんぜんぼけていないようだった。

よかった。
わたしは、スパッティという花のつく観葉植物を贈った。
白い花が咲いてきれいだし、葉もしなやかに伸びている。

おばちゃんはわたしのことを相変わらず
「キレイだねえ、本当にキレイになったねえ」と言った。
わたしはこそばゆいような恥ずかしいような気がしながら、それでも嬉しくて、
ついにやにやしてしまった。

早く有名になりたいなっ

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