原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2001年12月02日(日) About Affirmation 観劇(3)

★1・About "Affirmation"
★2・観劇(3)



★1・About "Affirmation"

以下引用--------------------------

自分は生きるのに、あたいする人間です。
自分は、自分のままでいいのです。
自分は愛するに、あたいする人間です。
自分は、自分の居所をつくっていいのです。
自分を、うんと好きになります。

以上引用--------------------------

毎回、西尾和美「今日一日のアファメーション」(「IFF家族機能研究所」HP所収)を引用する際、
必ず冒頭のこの言葉を入れて引用している。

きっと、このことについて
「何を甘ったれたことを……」
と思う人は多いだろう。

そういう人は、きっと健全な心を持っているから、いちいちそんな言葉をかけられる必要がないのだろう。

さもなければ、その言葉を受け付けられないほど「重症」なのだ。

もしも、私のこの言い方に引っかかるものを感じた人は、上に引用した言葉の「自分」のところを、
本当にあなた自身に置き換えて、もう一度読み返してみては。
もしかしたら、何か気が付くことがあるかもしれません。

もちろん、私はあなたにそれを強要したりはしないし、
今あなたが私のこの記事で何かに気づかなければいけないのかどうか、なんて難しいことも、
当然、わかりません。

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★2・観劇(3)

『アルプスの牛』、昨日に引き続き、行きました!!
自分をホメてやりたいです。だって、
私にしては珍しく約束守ったんだもん。
(↑そんなんじゃ社会生活できないだろがっ!! ――だからヒッキーしてます、ハイ)
(↑こういうことをロコツに言い出すのは、みっともないかもしれないけれど
「そろそろなんとかしないと」という焦りのあらわれなので、どうか見守ってやってちょ(^^;
まっ、そんなことはどうでも、閑話休題=何はともあれ=)

で、感想。
「2度観てよかった」。
実はこれ、とても辛らつな意味合いになってしまうのだとは、
この言葉が飛び出した瞬間には気が付きませんでした。
だって、「2度観てよかった」ということは、裏を返せば「2度観ないとわからない」っていうことじゃん!!

確かに昨日は体調悪かったです。
で、意識が朦朧としてしまったあたりから先が、実はすごく盛り上がっていくのだ、ということを
私の知覚神経はマジメに検索しようとしなかったので、
それが悪かったといえばいちばん悪かったのです。

けれど、お芝居の中盤、昨日とほぼ同じ場面で、一瞬「ふっ……」と
お芝居から気持ちが離れるのを感じて、それはそれでどうやら、
私には具体的につかむことができないけれど
お芝居そのものの中に何か問題が潜んでいるからなのかも、という気がします。

後で打ち上げに参加して、ある人が
「多くのことを変化を制限した中に盛り込みすぎたのでは」
と言っていて、ああなるほどそうか、と納得してしまいました。

ただ、ただ……私、ここまで書いたみたいに「酷評」するのって、
実は大嫌いなんです。
だって、前に自分自身が
「ぜんぜんわからん。お前の作品はただの独り言じゃないか」
というようなことを言われて、すっごく傷ついたことがあったから。
今では、たとえば「プロ」だったらそういう批判にも立ち向かわなければいけない
―場合によっては無視してもよけても、更に批判者を叩き潰してでも―
ということはわかります。(あの時は、実際半分叩き潰したような気もする(-_-;)

でも、ある程度相手の気持ちを素直に聞いてしまう状態の相手に
まるで全く無価値であったかのような言い方をするのは、私はやっぱり許されない、
ていうか許す許さないは神さまにしか決められないことだけれど、
少なくとも相手が育っていく可能性の芽を摘む、下手すると殺人に近い行為だと思うのです。
(子どもの頃から何度も殺されてるよ、私は)

で。
こうやって「前置き」みたいなことを長々と書くと、いちばん言いたいことがぼけてしまうけど、
―ってこの言葉は上述の的確な指摘をした人が
もう一言、今回のお芝居について言っていたことと重なるんだけど―

ここからが大切。
今日2度目に観て感じた、素直な感想。

後半からラストにかけて、すごく面白かったし、感動した!

とてもシンプルな舞台構成の中に盛り込まれているかなり盛りだくさんな情報が
ちゃんと頭の中に定着してみると、
このお話が本来目指している
「母性への回帰」
「母乳という原体験」
「生を慈しむこと」

そしてそういうことと重ね合わせて
「牛乳食中毒事件」
を見た時の
「悲劇性=母性〜生の残酷な抹殺」
への気づき、それらが「牛飼い」という不思議な存在を通して
ふわあっと、でもしみじみと、またいきいきと(何て言えばいいの?)伝わってくるのでした。

そうそう、あと、私がけっこうびびったのは、役者さんたちの年齢。
私にちょっと「おいおいそこまで」と言いたくなるような「年齢コンプレックス」があるせいか
(ふだんそんなふうに見えない、ということもあってよけいに拍車がかかるのよー(;_;))
彼らの平均年齢が20代半ばである、ということを知って、
そんなに若いのにこれほど緻密なお芝居が作れるのか、と舌を巻いてしまったのでした。
立体感が消えてしまいがちな白い色を逆手にとって、とても奥行きのある舞台を作った
「画伯」さんにも脱帽。

ま、年とりゃものごとがよくわかるようになる、っていうわけでもないし、
わかってるほどエラい、なんていうことはなおさら言えないんだ、っていうのも
痛感してしまったのでした。

静岡総演劇化計画のみなさん、お疲れ様でした。
座長の大野さんなんか、腕を骨折してるのに台本から役者までこなしてたようだし。
スゴい(・o・)。
牛乳飲んで、骨を早く治してね。
もう一度、皆さんのお芝居を観たい、と切望しています

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