てのひらをぢっとみる っていうの誰の言葉だっけ。
本当に生き様がこの手の中に映っているのなら たとえば悔しい思いをしながらも耐えたことや 苦しい思いを耐えられなかったことや うれしくて急に神様信仰し始めたことなんかも 色と温度としわとふくらみになるのか。
手相にやたらはまった時期は 多分手の平に映っているらしい事実を 客観視したいときだった。 事実を認めたくないから 歪んだ線を太く一本につなげようと 手の折り曲げ方に気を使うという無様な無駄な行いをした。
でも 手の平ばかりを見つめながら道路を歩くと 電柱に衝突という災難が降りかかるかもしれません。 それでも見たいという欲求は 自己愛?
1年半前に私の手の平をじっくり見て貰ったら 性格や未来を細かく言われました。 そのときは本物の客観を求めた時期でした。 けど厳密には未来など あのおばあちゃんは教えてくれなかったんだ。 当たり前だ。 手の平にある過去からの推量。 大丈夫というのは励まし。
結局のところ本当に自己愛があるのなら こんな確かめ方しない。 目の前のゴミをまず捨てる事から始める。 言い聞かす。
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