samahani
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2003年02月26日(水) へりくだる日本語

以前 Brian と日本語の勉強をしていた時のことだ。彼が「上座」とか「床の間」の意味が分からないと言うので、ノートに絵を描いて説明した。「床の間って神様が居る場所?」と訊かれて、「神棚や仏壇と床の間は違うよ」と答え、神棚や仏壇の絵を描き足したら、仏教徒の彼が仏壇のお供え物の絵を見て「仏壇にお供えをするのは本当は仏教じゃないんだよ」と教えてくれた。本当の(インドの)仏教には「お供え」の概念はないのだそうだ。中国で儒教とミックスされた仏教が、中国経由で日本に入ってきたから、日本の仏教は儒教の影響を受けているんだとアメリカ人の彼に教えられて、これじゃあどっちが日本人か分からないな(苦笑)と思った。

彼はいろんな意味で日本人やアジア人の感覚を持っている人だ。一番強くそれを感じるのは、人と話をする時の彼の癖である。人と話をする時、私は真っ直ぐその人の目を見て目を逸らさない。昔は私もあまり真っ直ぐ人を見ると申し訳ない気がして、ときどき目を逸らしたり、はじめから少しずれた口や胸の辺りを見て話していた気がする。だから Brian の目を泳がせて壁を見たり他の人を見たりする癖が、とても奇妙に感じられる。 (私に見つめられて照れてるのかな?←アホかっ!)

癖といえば、日本人は人の話を聞くときに頷きながら聞く癖がある。昨日、英語のクラスで、ヒトミさんと私が日本語で話をしていたら、「日本人っていつもこうするよね」と、クラスメイトに大げさに首を振って真似されたので、苦笑してしまった。「でも、私が英語で話している時には、首を振らないでしょう? ちゃんと真っ直ぐ相手の目を見て話しているよ(・・たぶん)」と私は言った。

癖もそうであるが、同じ人が同じことを話しても、日本語で話す時には日本人的発想、英語で話す時にはアメリカ人的発想になるというのもよく聞く話である。

きょう日本語レッスンの後に、いつものBBLに寄って傍聴してきたのだが、今日のプレゼンテーターの話す日本語がやたらと丁寧で謙っていたことに違和感を覚えた。「私の意見を述べさせていただきます」とか「最後に申し上げたいことですが・・」とかいう言い方は、日本語の奥ゆかしさや美しさを表しているのかもしれないが、プレゼンテーションにはそぐわない感じがしたのだ。変に卑屈で、自信がないように聞こえてしまう。もし彼が同じことを英語でプレゼンしたら、こういう言い方にはならないだろう。と、いうことは、英語も日本語も両方とも堪能な日本人が交渉事に臨む場合は、英語で話した方がよいということになるのだろうな・・? などと話を聞きながら考えていたのだった。(だって、今日の話は専門用語ばかりで全然分からなかったんだもの)


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