samahani
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2002年02月19日(火) 差別

わたしが週4日の英語学校に通っていた時、何人かの先生のうち、いちばん上手に教えてくれるのは、スタンという黒人の男の先生だった。一方、小学校では簡単な英語も読めないような黒人の子が何人かいて、特別授業を受けていたが、わたしは、それを理由に差別する気持ちなど持っていないつもりだった。

わたしの住んでいる地域は黒人の割合が少ないので、小学校でも全体の一割程度なのだが、隣のプリンスジョージ・カウンティー(郡)になると、クラスの9割くらいが黒人なのだそうだ。PGカウンティーでは、家賃が安いのはいいけれど、発砲事件や殺人事件の起こる割合が高い。アメリカでは、安全はお金で買うものと思われているので、そういうところに好んで住む日本人はあまりいない。日本人のWさん一家がそこに住んでいたのは、ダンナさんの研究所が近くにあったからである。

クラスの9割も黒人っていったいどんな感じなんだろうと、わたしは興味を持って、Wさんに訊いた。「それだけ黒人が多いと差別意識なんて持たないよね?」 「うん、まあね」なんていう答えを予想していたわたしは、Wさんが「黒人にもいい人もいるし、悪い人もいるよね・・」と言うのを聞いて、目から鱗が落ちた。

彼女はすごくあたりまえのことを言っているように聞こえるかもしれないが、わたしの言いたいことはこうだ。わたしが「差別意識を持たない」という言葉で意識しているということが、既に差別の一種なのだ。Wさんは周りの人たちを評価するときに、黒人だから○○(なんとかかんとか)という意識を持っていない。だから、周りにいるのが何人(ナニジン)でもいい人もいれば悪い人もいるという、ごく当たり前の評価しか持たない。

やっぱり、実際にその場所にいる人は違うなあと、深く印象に残った出来事であった。


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