samahani
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2001年11月17日(土) 抜けるものと抜けないもの

初めてアメリカに住むことになって、ボストンにやって来たのはもう8年も前のことになる。
何もかもが新鮮だった。ウキウキしながらタクシーに乗り込み行き先を告げると「あなた達日本人でしょ?」と突然言われ、とても驚いた。

なんでー、なんで、なんで、なんでー わかるねん?っていうくらい驚いたけど、その理由は、しばらく住むうちに程なく解かった。僕たちってば、コテコテの日本語訛りの英語を喋っていたのである。

スペイン語訛りの英語、韓国語訛りの英語、インド人の英語・・・耳が慣れてくると違いが分かるようになってくる。

聞き取れないなぁという時には、この人の英語は訛ってるからねと、こちらが下手なのは棚に上げ、人の所為にしてしまうけど、そんな英語でもネイティブの人たちはちゃんと理解できる。
私の耳は、デキの悪いラジオみたいだ。キャッチできるのは狭い範囲の周波数のアナウンサー並にきれいな発音の英語だけ。


話は変わって、英会話スクールで、ベネズエラから来た女の子に「あなたたちアジア人は日本人とか中国人とか韓国人とかお互いに区別できるの?」と訊かれ、「だいたい分かるよ」と答えると、「それはすごいね、わたしにはちっとも違いが分からない」と言われた。
私たちにも、ペルー人とチリ人の違いや、スペイン人とポルトガル人の違いは区別できないから同じことだ。

ところが最近、この顔の区別が出来なくなったと感じるようになった。私の中で、国籍識別のボーダー(border*)に乗っている人が増えてきた。
たまたま最近日本から来た人たちが国籍不明な顔つきの人たちばかりだった(笑)という訳ではない。むしろ日本から来たばかりの人たちは分かりやすい。女性はきれいにお化粧しているし、男性もどこかパリッとしている。

けれど長く住むうちに顔つきが段々と同化してくるのだ。英語を喋ってるとこんな顔になるのか、食べ物のせいなのかと不思議に思っていたけれど、それは私自身の感じ方のせいだと気付いた。私自身がこの国で異質なものだった時には、他の人たちの違いにも敏感だったけれど、そういうことを意識しなくなってから、自分自身も気付かないうちにオン・ザ・ボーダーな人になっている気がする。

長くアメリカに住み流暢に英語を繰る人でも訛りは残っている。同化しそうな言葉の癖はなかなか抜けないけれど、変わらないと思える顔の特徴(顔つき)は段々と同化して抜けてくるもののようだ。


* ここで言う borderは国境、境界(線)のことで boarder(スケボーする人)ではありません


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