| 2002年02月18日(月) |
死ぬために生きるんです。だからこそ今幸せを願うの。 |
あたしの好きなサイトの管理人サンが書いてた日記を読んで色々考え。
生死のことを書いてたんだけど。
すごくよくわかるの。
死にたいけど、死にたくない。 死ねない。死にたくない。 すっごくよくわかる。 どうして自分が此処に存在するのか。 本当考える。
死にたいなんていっぱい思ったことあるけど。
本気で死のうなんて思えない。
「死にたい」と「死のう」ってのは、本当違う言葉で。
「死」はいつでも必ず誰にでもくるもので。
唯一この世の中で平等なもの。
その「死」を絶対に幸せに迎えたいと彼女は書いてた。
あたしもそう思う。
いっぱい死にたいって考えた事あるけど。 やっぱり悲しいまま悲しく死んでいくのは嫌。 「死」はそれだけで怖いものだから。それだけで充分。
いつか来る死を。 幸せに。 いつかを自分で選ばないように。
本当、そう願う。そう祈る。そう誓う。
私は泣くかしら。 大切な誰かの終りに、私は泣くかしら。
死に夢を抱いていけない。死に幻想を抱いてはいけない。
ただ終わるだけ。
自分で終わらせようとする人に。
死は絶対的に悲しみをもたらすものではないことを。
誰かの胸には「死」の感覚を教え。 「あなたの死」を教えるものではないかもしれない。
毎日ニュースで、殺人や芸能人の身内の死や様々な死が垂れ流されてて。 そのなかで、あたしたちは死に飢えてる。
死が遠すぎて。 死はもっと神聖な。 大切なものなのに。 色んな死が交錯してて。
誰がいつのまに。
こんなふうに死」を。
現実から遠ざけてしまったんだろう。
きっと死遠ざかったのではなく。
死は近すぎて見えなくなった。
かつての神聖さ、恐ろしさ。なぜか薄れてて。
死は楽になるものでも、リセットすることでもないのに。
いろんな意味で生き難い世の中。
人は死ぬために生きるのだから、死ぬまでその瞬間まで幸せに貪欲であれ。
高齢者福祉とはそんなもの。
という最後にオチをつけてみた。 最後の文にしかつじつまが合わないな。
人間って色んなことを色んな形で考えてる。 もっと色んな人の考えをあたしは知りたい。
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