メールがきました。いつもありがとうKさん。ハンドルのイニシャルとってますがわかりますでしょうか?来期のスケジュールを教えてくれてありがとう!(これでわかる筈)
さて、その最新の感想メールのタイトルですが、「愛」が何かなんて私にもわかりません(泣)…ただ、担任と子どもとの間にある、絆とも言うべきものでしょうか。それはわかります。私は修了式を迎えても4月8日に新しい担任が発表されるまではあの子たちの担任で、また新たなる子ども達と新しいクラスになっても彼らの大部分は私に親しみを抱いてくれるでしょう(「全員に愛される」なんていうほど自惚れ強くないので私)。それは何?と言われたら、やっぱり「愛」としか答えようがないな、と思うのです。
「愛」という言葉には、男女間の恋愛だけには含まれない強靱なものを感じます。そして「愛」というもの、それは男女の恋愛さえ含めて、ある程度強制的な状況は存在すると思うのです。
私は4月1日、新しい海月学級の名簿を渡されます。その瞬間から、その子たちを愛し始めます。それは自発的なものですが、同時に義務でもあります。子どもたちが担任を選べないように、担任も子どもを選べないのです。でも、愛する。愛するという事なんて本当は誰にもわからないけれど、無理してかき集めるようなものでもないし、かき集められるようなものでもないから人は皆迷い悩むけれど。それでも、対象が人じゃなくても、愛するという事は皆生まれ落ちた時からきっと出来ているのだと、思うのです。
それでも恋愛にこだわるなら。否、恋愛にこだわったってきっと結果は同じ。思えば出会いからして性別年齢エトセトラ、すでにある程度強制的。愛せないならきっと、愛される方が好きなんだ。きっときっとみんな。
愛してばかりじゃ物足りないように、愛されるばっかりでも焦り出す。そういう風に世の中、ぐるぐる巡ってできているから。
どこまでも正解だけを求めていたら楽しめない。そういう事に、とりあえず今はしておこう?