Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2004年12月25日(土) 一番名誉な事と一番起こしてはならない事(後編)



お昼時だったので給食をたべないままずっと付き添ってくださった養護教諭の先生に教頭先生。容態が安定したところで、校長先生と教務(担任外ってことです)のO先生が病院に向かってくださり、交代でずっと付き添う。幸いにして意識はあるらしいが、その間にも連絡が続々入る。・・・のを知ったのは、給食を終えて子どもたちを帰してから。ポツンと残された二つの給食に、電話の横に書かれたメモ。ほどなくして養護教諭の先生が二度目の付き添いを終えて、やっと給食を食べる。本人は点滴を受けて、苦しそうながらも寝ているらしい。食べ終わったら病院に一緒に、と言われて電源を切った携帯と運転免許証を用意するように言われる。


二人で一台、養護教諭の先生の車で搬送された病院へと向かう。病院に行く途中で、「容態が今は安定してるからって安心しちゃ駄目。本人の前に行くまで最悪の事も考えておかなきゃいけないんだから、緊張感を解かないように。」と叱られる。その通りだ、と反省する。あらかじめ確保して頂いた駐車場で降りて、まっすぐ病室へ向かう途中でMちゃんの保護者とすれ違う。これから先生に詳しい説明をうけるとのこと。説明を受けている間、その部屋の前で待った後に病室へ。寝ていたMちゃんが目を覚ます。「誰が来てくれたかわかる?」という問いに「養護教諭先生と、海月先生。」と答えてくれる。泣きたいほど安心する。でも、まだ辛そうなMちゃんはもう吐くものがないのだろう、胃液らしきものを吐いた後に再び眠りに落ちる。



「容態が安定したとの事で、家に帰っていいと言われたのですけれど。」とご両親が切り出すが、養護教諭先生が「人間の仮眠のスパンは短くて15分、長くて1時間半だから15分は寝かせましょう」と病院と掛け合う。その間に病状の確認。15分後、Mちゃんを起こしたところで退院。そこで養護教諭先生は「ご両親がそれぞれの車で来ていて、吐いた時などの対応者がいないから。」と私にMちゃんのお父様の車に一緒に乗るように、という。・・・だから二人で一台で来たのか、と先々を見通す目に感服する。



Mちゃんのうちまで同乗させて貰い、その後養護教諭先生の車に乗って学校に帰る。どの先生も心配してくださり、ありがたく感じる。思えば救急車を呼んでくださるよう連絡してくださったり、救急車がいつきてもいいように門をあけて待ってくださったり、給食を取り分けておいてくださったり、学校に残っていつ何が起きてもいいように準備してくださったり、見えないところでいっぱい支えられて何とか本日中に帰宅することができた。・・・でも、始まりは何時だって担任の対応なのだ。今回はたまたますぐに保健室に行ったからこそ、軽くてすんだ。でも、もしも私が平熱に安心して4時間目の授業を受けさせていたら?絶対に絶対に、こんな軽くはすまなかった。この仕事の本当の責任にして一番大切な事、「子どもの命を守る」ということは実はこんなに日常と思える一日で起こったりする。その事を、深く深く胸に刻み付けたい。



結局、医師の診断により22日のMちゃんは「出席停止」となり・・・・12月、海月学級は出席率100%を達成した。(出席停止は欠席数に数えないので)「子どもが毎日学校に来てくれる。先生にとって一番名誉な事だね。」とある先生に言われた。本当に本当に、その通りだと思う。






そして、私がMちゃんに会いに病院に行った日、行った時間のちょうど、一日後。市内で小学3年生が交通事故に遭い、・・・・・亡くなった。ご両親を始めとするご家族、そして担任の先生をはじめとする周囲の方々の悲しみは想像を絶する。きっといかなる言葉もとらえられるものではないだろう。




一番起こしてはならない、起こってほしくないこと。でも起こり得ること。それは喪服を着て、教え子のお葬式に出ること。






起こり得るからこそ、起こしてはならない。・・・その言葉を、肝に銘じて。これからも、頑張ります!



























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