ある人からメールをいただいた。 用件は別にあったのだけれど、 「追伸」として次の文面が送られてきた。 ----------------------------------------------------
最近、心温まる話を聞きましたので、ここに掲載させて頂きます。
「カルロス・ゴーンとオメガトライブ誕生秘話」
80年代のオメガトライブは、杉山清貴というヒットメーカー・ボーカリストと 組んで、名声を博していた。 しかしながら、時代の趨勢には勝てず、そのうち新世代ミュージシャンの影に隠れる ようになっていた。
そこに、仏ルノーから単身来日したカルロス・ゴーン氏が、何故かオメガトライブに 熱烈なラブコールを送ってきたのである。 しかも、ゴーン氏はボーカル希望だった。 彼の経営手腕は目を見張るものがある、と聞いている。 しかしボーカリストとしての力量は未知数で、 何よりもそのルックスと年齢が大衆受けするかという点で、 オメガトライブのメンバーを大いに動揺させたのである。
しかし今年、13枚目のヒットシングル「僕の生れはサンパウロ」 が空前のヒットを飛ばし、 アルバムセールス、ライブの観客動員数ともに音楽史上記録を塗りかえる 快挙となったのである。 何故、ゴーン氏はオメガトライブを再生できたのか? 氏に聞いてみると、理由は単純明快である。 「それは、ライブに来てくれるお客様一人一人とじっくり話しあって、『こんな バンドサウンドなら聴いて見たい』というニーズを、着実に掴んでいった」
成果が出るまで、2年かかった。 そして、顧客ニーズにそったサウンドに変化させていった事が、 成功の最大の要因という。
抵抗も大きかった。 オメガトライブのメンバーは、ゴーンと意志が合わずに、 間もなく2人脱退してしまった。 そして、残ったメンバーからも、冷ややかな目で見られる状態が続いた。 一時は「オメガトライブに終止符を打つのは、ゴーンだ」と 音楽情報誌に評されるほど、 その方向性は理解されなかった。
しかし、ゴーン氏はあきらめなかった。 起死回生で出したシングル「ミシュランの、あの変な人形、僕は大好き」が オーディエンスの心を掴んで100万枚突破のスマッシュ・ヒットとなり、 次いで矢継ぎ早に出した「ルノーで俺は偉かった」では、 年間ゴールドディスク賞に輝く。 その後の活躍は言うまでもないだろう。
この大成功を、心の底から喜んでいるのはファンの皆さん、 オメガトライブのメンバーのほかにもう一人いた。 フランス大統領、ジャック・シラク氏である。 シラク氏は、日本でのゴーン氏の成功を聞きつけるや否や、 大統領命令で緊急帰国を氏に命じた。 理由はこうだ。「氏の活動はフランスの国益を海外に流出している事に他ならない。 今後一切の国外での音楽活動を禁ず」という、およそ信じ難い保守的な思想のもと、 氏を本国に呼び戻そうと画策しているのだった。
これには、ゴーン氏のほうが1枚上手だった。 「直ちに帰国す」という電報を出すなり、なんとオメガトライブのメンバーともども フランスに乗り込み、あれよあれよという間に凱旋コンサートを大成功に収めてし まったのだ。しかも、大統領を臨時メンバーに仕立て上げ、ツインボーカルで 「道に迷ってシルブプレ」を歌ったときには、大統領もつい嬉しくなって、思わず 「君の才能は自国に留めておくに忍びない。 今後もワールドワイドの活躍を期待する」 と約束してしまった。
現在、ゴーン氏には様々なバンドから声がかかっており、彼は別名で 「バンドサウンドリバイバルマン」と呼ばれている。 今後、実現が濃厚なのがローリングストーンズ(英国)、ニューキッズオンザブロッ ク(米国)、アラジン(日本、「完全無欠のロックンローラー」でおなじみ)など、 錚錚たる面々から熱いラブコールが寄せられている。
ゴーン氏の活動には、当分目が離せないようだ。
おわり
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きさ馬さん、どうもありがとう。 心は見事に温まり、 心の熱で茶を沸かして飲みました。 とてもおいしかったです。
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