| 2003年12月10日(水) |
☆「優しい人間」「いい人間」それから、「正しい人間」 |
僕は、今、正しいこと探しをしている。 いろんな人、どんな人でも100%正しい人っていうのは存在しない。 『そんな人間いたら様子可笑しい事この上ない』と思う。 両親。親戚。友人。そして、僕だって、 『神か仏か自惚れや』ではないので、 100%正しい人間ではない。 だから、両親にも親戚にも友人にも、とにかくいろんな人の話を聞いて それを頭の中のミキサーにかけて分離させて、 正しいなってことは取り込んで、 これはちょっと正しくないなって思ったことは、話してくれている人には悪いけれど、耳からスルーさせていただいている。 それはセコいことかな、などと思ったけれど、 『みんなやってることだから、別にセコくなんかねぇよ』 という意見をいろんな人からいただき、それを正しいこととして受け取ることにした。 『わかっていてやっていることとわからなくてやっていることは違うから、常に自分の正しい意見を意識しないといかん』と中学のころから僕は思っていて、 自分にとって正しいこととは何だろうと常に考えて、今にいたる。
でも、時々『ぐるぐる矛盾がまわる』。
だって、正直な話、 僕の正しいこと探しでさえ、正しいことなのかわからないのだ。 『正しいことなんてないのかもしれない』とさえ、思ってしまうことがある。 それでも、正しいことを探していこうと思っている。
僕は中学くらいから、 「僕は誰の味方でも、誰の敵でもない。僕の正しいと思うことをして、僕の正しいと思う意見を言う」ということをモットーにしている。 それは、今も続いている。
ところが最近、ちょっと気になることができてきた。 「これって、わがままなんじゃないか。」
僕は、優しい人間になりたいと思っている。 そして、いい人間になりたいと思っている。 でも、「正しいと思うこと」ばかりを実行しているときに、 人に辛く当たってしまうことがある。 完璧な優しい人になろうとは思わない、それはただの八方美人だから。 だけど、正しいと思うことを正しいと思うようにやっていこうと思う。 正しいと思うことをしながら、人に優しくしたい。 正しいと思うことをしながら、いい人間にもなりたい。 人に優しくするっていうのは、簡単なことじゃない。 僕は優しくしている「つもり」で、「おせっかい」という場合があるからだ。 それを考えると、いつも苦しくなる。 これでよかったのかなって思う。 でも、『姫があのときいてくれてよかったよ』そう言ってもらえると、 涙が出そうに嬉しくなるんだ。
正しい人間。 優しい人間。 いい人間。 (この場合のいい人間とは、「誰にでも好かれる人間」や、「誰にでもウケのいい人間」、「礼儀正しくて誰から見てもすばらしい人間」ではなく、「人間として真っ当な人間」という意味である) この3つをかね添えることが、僕にはできるだろうか。 それがこの休学する一年の目標。
僕は、電車が怖い。 車も怖い。 自転車も怖い。 道路が怖い。 人間も怖い。 閉所も怖い。 食べるということも怖いし、 出かけるということも怖い。 過敏すぎるのだ。 そして、自分が吸い込まれるような錯覚を起こすのだ。 それから、発作が起こるのだ。
昨夜だって、発作を起こして呼吸困難で目がさめた。
「吸い込まれるような錯覚」だけじゃなくて、 本当に吸い込まれて電車に引かれそうになった・・・正しくは、通過列車にかすったことが2度ほどある。 怖くて怖くて、病院・・・心療内科に駆け込んだ。
外は怖い。 家も怖い。 じゃあ、どこにいけばいい。 おしこめられた僕は、親にすべてを話した。 家にはいられるようになった。 堅苦しくて礼儀正しくて、気を張っていなければならない家であるのは変わらない。 『素』の僕をおもいっきり出せる家ではないことは確かでもある。 でも、病気のことについて、親は協力してくれるという、大きな大きな進歩があった。 だから、家にはいられるようになった。
でも、ずっと、なにもかも「怖い怖い」だけではいけない。 克服しなくちゃいけない。
『頑張らなくていい、きみはもう充分頑張った』 みんな、そう言う。 『頑張ろうね。』 親はそう言う。
さあ、正しいのはどちらだろう。 僕は、この二つだけは、頭のミキサーに未だかけられないでいる。 頑張りたいとは思う。 けれど、頑張ったら逆につぶれてしまうんじゃないかという恐怖もある。
半分がんばって、半分がんばらないようにしよう。 そういう考え方もある。 それを今は正しいことと思っていこう。
今日のBGM>『わんわんわん』Byほお
※今回の日記で『』で囲まれている言葉は、友人、知人のアドバイスの引用です。
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