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嫌いな食べ物「キュウリ」


2003年10月01日(水) やっと!!!

 ADSLにした。

 パソコンはまさに死のロードという具合に駄目なんだけど、のむさん時代のタイガースの後半並によわっちいのだけども、良いわーADSL。速いじゃん…。皆こんなに良い環境に居たのか!というほど良い。そりゃあねえ。ジーコロジーコロとダイアルしてたし私。

 でもこんな速さよりも、頑張った私に拍手!

 ADSLにしますしますと言っていたのにはや何ヶ月?三ヶ月は経ってるよね。偉いなあ、面倒なのを押してやる私。偉いなあ。偉い!(他の人がどうとか関係ありません)

 で、最近よく思うのは、自分を誉めない人って沢山居るんですねえ。これは自分が好きとかそういう次元なんだろうか。自分凄いじゃん!って少しでも思わないのかね。思っても直ぐに「でも他の人だって…」とか思っちゃうのかね。
 そういうの私良く分からない。
 他の人とか関係無いでしょ。自分が頑張ったのに自分が自分を誉めないで誰が誉める!頑張ったことなんて所詮他人には伝わりません。良いじゃん自分。偉いよ。周りの人は頑張ってるときの自分の姿を見たのか?私の感情で、私の身になって経験したのか?してないだろ。自分が頑張ったことは自分しか知りません。だから下らないことでも自分を誉めましょうよ、そうじゃないとかわいそうじゃん、折角頑張ったんだし。と、思う。
 例えばさあ、私とてもキュウリ嫌いなんだけど、頑張って三ミリ平方の薄切りキュウリを食べたとするじゃない?凄い嗚咽しながら。でも、他人にとっては三ミリ平方のたかがキュウリでしょ。私が「食べたよー」って言ったところで、その人には「食べた(しかも小さいのを)」という事実だけでしょ。その人は心から頑張ったね偉いね成長したね凄いね!なんて思える?私だったら思えません。
 だから他人がどうだって良いじゃないか。他人なんてねえ、幾らでもキュウリ大好きですなんて人は居るんだからね!キュウリがどれだけ嫌いか、キュウリを口に入れたときの匂いの流れや、喉が嗚咽する苦しさや、涙が出て視界がにじんでしまうその感覚は、同じキュウリ嫌いの人だって同じじゃないはず。だからどれに我慢してどれに頑張ってどれに耐えたか、どれだけ頑張ったか、そんなことは私しか知らない。

 だから自分を誉めたって良いじゃないかー。


 少なくとも私はとっても自分を誉めまくります。





 自分で自分を一番認めてないと、色々虚しくないか?皆さん。


さくま