
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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| 2004年06月01日(火) ■ |
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| 好きは、好き。 |
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好きとか、得意とか。 才能とか、努力とか。 環境とか、遺伝子とか。 何が要因かは其々なれど、誰にだって精通しているものはあるのだろう。 けれど私には無い。一つも、一つも無い。 …何故だろう? 聞いてどうする。
でも、何一つ無い。
全てがそこそこ、中途半端。境界線をつけたら下に限り無く近い中か、中に寄り添いたい下。 興味がある事以外全く情報を得ようとしない性質にも問題はあると思うのだけれど、この場合は父親譲りなのだろうか。 しかしそれなら微妙に悪い方だけ貰ったのだろうな。彼は本当に、中の人だから。 中途半端ではなく、適当な分だけ出来る。専門知識は無くとも、軽い現象になら対応出来る、適当。 私の場合はそこまでにすら至らない。浅く広く、まるでそこまでだ、と区切りをつけているかのよう。 カプリングでもそうなのかなと、ふと思う。 基本的には、好きなカップルは定めてあって。だけど別に、他にどんな組み合わせがあろうと、自分の好きなカップルのキャラが他の人とくっつこうとも、それが絵や文で表されようとも、何の抵抗無く見れてしまう。 沢山の人がいるのだから、沢山の嗜好があるのは当然、と思える人はいても、わざわざ他のキャラとくっついてる話や絵まで好き好んで見るだろうか。 いるかもしれない。断定は出来ないから。 ただ私の場合は。好きは好きでも、境目をつけている気がする。はい、ここまで、と。 ○○は××とくっつかなくちゃ駄目なのよ! なんて押し付けがましいもの内輪であってもとても言えないし、言うつもりも無く。 それが恰好悪いとか、思っている訳でも無いんだよな。 結局は、どうでもいいと言う事なんだろうか。 好きは、好き。 そのキャラが好き。 そのカップルが好き。 好きは、好き。 しかし別に、そうでなくちゃ嫌だ、と言う事は無い。○○が△△とどーなろうとあーなろうと平気だし、絵があったらじぃっと眺めて、文があったらじっくり読んで。 矢張り基本が、浅く広く、だからかしら。
自分を探るのは好き。探られるのはどうか分からないけれど。 だから時折話しかけてみる。文として書き出すと、思っていた以上の成果を得る事も出来る。 前よりもっと、自分を知れた気になれる。 そしてだらだらと無駄に長くなったから、なんとなく日記に載せてみる(爆)。ネタが無いとかは言わないお約束。
………………ゼルアメは、好きですよ(弁解)。
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