“酩酊者は迷走する”...datenshi

 

 

で、思い立ち、 - 2003年04月27日(日)

風呂に入ってみることにした。

とはいえ、ウチは極狭なユニットバス。掃除は簡単だが、

風呂となると困難を極める。

だが、『湯につかりたい』という思いが、

男を駆り立てたのだった。



これは、たった一人の男が、湯につかるまでの戦いの記録だ。




まず、普段はシャワーでしか使用していない浴槽の洗浄。

予想以上に掃除が行き届いていないことに気づく。

洗浄が戦場と化したのだ。

男は諦めかけた。

『いいじゃないか、明日の朝シャワーを浴びれば』

しかし、湯に肩までつかった時の、あの言い知れぬ解放感と、

風呂上り、汗だくで飲むビールの味

男はその為だけに脇目もふらず浴槽を磨いた。

ただそれだけの為に。


次なる難関は、極狭であれそれなりのスペースに

湯を注ぐことだった。

『もし仮にこれを毎晩続けたなら、どの程度の

水道代とガス代がかかるのだろう?』

またしても、男は迷った。

自分はこれで良かったのだろうかと。

今まで生きてきた30年間が走馬灯のように

男の頭の中を駆け巡った。

しかし、一度選んだ道を捨ててしまうことは、

自分の人生の全てを捨ててしまうことではないだろうか?


迷いは晴れた。

少しずつ湯を注ぎ、温度を確認する。

まるで自分の今までの人生を顧みるかのように。


そして、浴槽の1/3程が湯で満たされた時、

男は決断した。

今週の、いや今月の全ての苛立ちを

この湯の中に放出するかの如く、

男は大きなため息をついた。


















忙しい忙しい言ってても、どうにもならないし、

結局時間は限られているのだから、

その限られた時間を出来る限り

ゆっくりと過ごしていければいいのかなと

最近思うようになりまして。

『スローフード』だの『スローライフ』だのと、

巷ではなんだか流行ってるようですが、

意識してやらなければそうならないことは、

少しだけ、悲しくもあるのです。



...




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