はじまりのウタ。
Mail / いづる
疑念と現実。
入院していた友人が、退院した。
そして、つきあいかけていた、男性と決別した。

その男性は毎日毎日お見舞いに来てくれていたのだけど、
仕事を理由にあまり長時間はいてくれなかったらしい。

それは実は、
別れかけていた彼女が、
彼の家にずっと泊まりに来ていたためで。

彼女はそれを、ふとしたことで知るはめになってしまった。

入院する直前、
救急車も呼べない程の激痛に襲われて。
気を失いかけながら、
鳴らした彼の携帯は、留守電で。


そのことを思い出して。
忘れられない。

そう、彼女は言った。




疑うことを覚えては、いけない。

思考は暴走して。
そして疑いは、いつしか現実になる。
現実に、してしまうのか。
してしまうのは、自分自身か。

だから疑うことを、覚えてはいけない。



実家に帰ったはずなのに。
バイトのはずなのに。
仕事が入ったはずなのに。

そう言っていたのに。

おかしいなと思った少しの疑いが、
辛い現実を運ぶ。

なんでも考えすぎてしまうのが悪い癖で。
そしてそれが、現実であることが、
それを知ってしまうことが、運の悪いところで。
そしてそれを言わないのが、
言えないのが、一番悪いところで。

経験は、どうしようもない不安を生む。
頭が、おかしいんじゃないかと思うくらい。
自分の中はぐちゃぐちゃになる。
そうして、何も信じられなくなる。

あなたはおかしいよと、
歪んでいるよと、
誰かが言ってくれれば、安心できるのに。

自分は正常だと思われている、
そう思うから。
なおさら苦しくなる。

どうして、安心させていてくれないの?
嘘をつくなら、どうしてもっとうまくついてくれないの?


信じていた現実に裏切られた人間は、
疑うことをやめられない。

真実に傷つけられた人間は、
信じることが、ただ、恐ろしくて。


誰にもわからないだろう。

そしてそんな自分の醜さを知っているが故に、
誰にも、そんな自分を晒すことが出来なくて。

だから一人で、震えているしかなくて。

一人で、抱えるしかなくて。



彼女に何がしてあげられるだろう?

全ての人に、
ただ疑いのない、
幸せが存在すればいいのに。


それは、贅沢な願いなのだろうか。


2002年12月14日(土)