タマの禁煙日記
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2007年04月29日(日) (ひさびさ)たばこを止めたい人へ

ここの日記自体忘れかけていました。
先日メールを頂いて思い出しました。3月にもらったメールだったのですが
気がついたのが今日でした。頂いた方にはもうしわけなかったです。
1日に迷惑メールが100通近く来るもので対処がほったらかしでした。早速返事だします。
それにしても「読んでくれた人がいるんだ」とありがたいやら、はずかしいやらすでに禁煙後6年になろうとしています。
そこで今思うに
「自分は吸う行為さえしなければ一生吸う事はないだろう。」
変な日本語ですがこういう以外に思い当たらないのです。
文章力のなさでごめんなさい。
たばこ止める前は、たばこを吸わない人生ってすばらしい、とか人生やり直すぐらいの意義があると思ってました。実際たばこから自由になるのはすばらしい事です。しかし、それが当たり前になってしまうと吸ってても、吸わなくても別にどってでもいいかもと思えてきます。止めれた事への感謝が足りないのか、はたまた、完全にたばこと縁が切れちゃったのかはわかりません。どっちにしても、たばこに束縛された生活には戻りたくはないので吸いません。
今、たばこを止めたい人へ。(止めたくない人は関係ありません。)
たばこは止めれます。ただ単に吸わなければいいのです。
それが簡単じゃないから苦労してるんだと言われそうですが
そのとおり簡単じゃないんです。頭の中からたばこの幻想を追い出すのは。
どうすれば自分にたばこが必要でないかを認識するのが禁煙の作業です。
失敗しても大丈夫です。まだ認識する準備ができてなかっただけです。
何の問題もありません。吸ってても吸わなくてもあなたは、あなたなのですから、たばこによってその人の人間性が変わるわけではありません。
だから止める時は、がまんできるかできないかで無くて、必要か必要でないかがはっきり認識できた時点で禁煙は成功だと思います。
がまんなんて限界があります。ずっとがまんはできません。
最初はがまんでもそのうち必要で無くなるから禁煙できるという人もいます。時間をかけて苦労をしてその認識を手に入れる方法も一つとしてはあります。しかし、大変でしょう。いつまでこの辛さが続くのかとおもいながら禁煙するのは。いつ吸い始めるかわからない状態での禁煙です。
綱渡りをしているようなものです。
それよりは、先にタバコ不要を認識してからのほうがずっと楽だと思うのですが。どうでしょうか。




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