月の輪通信 日々の想い
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午後から、陶芸教室の新年会。 義兄と父さんがそろって出かけていった。 朝から、焼きあがったばかりの生徒さんの作品を包装し、福引用の作品を箱に詰め、箱待ちだった香合の発送を手配したら、午後いっぱい、ぽっかりと時間が空いてしまった。 しゃあないなぁ。 年末から荷造り仕事の多忙を言い訳に見て見ぬ振りを決め込んでいた作業場前の落ち葉掻きにノロノロと取り掛かる。
年末年始、お人が頻繁に通る玄関前やお茶のお稽古に使うお茶室周りの落ち葉は毎日義母が体調のいい時間を見計らってほそぼそとお掃除してくださっていた。近年、すっかり荷造り仕事から手を引いてしまわれた義母にとって、庭の落ち葉掻きは残り少ない工房仕事の役割の一つなのだろう。 「わたしは掃除が好きだから」と、時には日が暮れるまで依怙地のように降り積む落ち葉をかき集めておられることもある。 落ち葉っぱい集めた箕に長いひもを結びつけ、アスファルトの地面を引きずって谷まで運ぶ。10年前ならひょいと持ち上げてさっさと谷まで運んでおられた軽い軽い箕をズルズルと引きずって歩くその様は、まるで幼い子の拙いお砂場遊びのようだ。年をとってしまわれたのだなぁと胸が痛む。
数年前までは、休日に子ども達を総動員して、ワイワイと賑やかに取り掛かっていた落ち葉掻き。 オニイが巣立ち、アユコやゲンも部活や図書館通いで休日には家にいないことが増えた。今はまだ、かろうじて家に残ったアプコが気まぐれに手伝ってはくれるものの、すぐに彼女も出払ってしまう年齢になるだろう。 義父母が老い、子ども達は成長して、やがて巣立っていく。
5年先、そして10年先には、あいも変わらず庭の落ち葉を、私は一人で細々と掻き集め続けているのだろうか。 降り積む落ち葉の量は、10年前も20年前も大して変わってはいない。 変わっていくのは人の営み。 ただそれだけのことだ。
私と父さんの結婚記念日。 たぶん20年目。 普段はこれといってお祝いなどはしないのだけれど、調べてみたら、20年目の結婚記念日は陶器婚式というらしい。 たまたま遠方へ数物の注文品の納品の仕事があったので、ドライブがてら朝から出かける。
途中、結婚前に何度かいった神戸の飲茶専門店でお祝いランチをと楽しみにしていたのだけれど、行ってみるとたまたま定休日。 すぐ近所の別の老舗中華屋さんでお手軽ランチとなった。 800円也の海老チリ定食、なかなかの味とボリュームで大当たり。やっぱりこういう庶民的な中華料理は神戸に限るとご機嫌さんでいただいた。
納品先は姫路の古いお寺。 私の実家のおばあちゃんの菩提寺からのご注文品だ。 お寺への地理が怪しかったので、途中実家に立ち寄り父から詳しい道順を聞く。結局、ナビゲーターがわりに父に便乗してもらうことになり、当然のように母も一緒に乗り込んで、姫路へ向かった。 車内4人。賑やかにおしゃべりしながらのドライブは楽しかった。 おかげで約束の時間通りに無事納品を済ませた。
結婚してから20年ということは、この父母の手元を離れて20年。 私自身が親となり、子ども達の成長と夫の両親の老いを見守る日々。 ともすれば日常の雑事に追われて、自分がこの両親の娘として大切に育んでいただいた年月を忘れて過ごす。 それでも、父が急に外出するといえばするりと車に乗り込む母の要領、一人分には多すぎる和菓子の半分を母に残して取り置く父の習慣は、長年連れ添った夫婦の形として、紛れもなく我が凸凹夫婦に引き継がれている。 面白いものだなぁと思う。
最近の父さんは、工房での仕事のほかに、教室やら工芸会やら外での仕事も多い。 黙って土に向かいさまざまな色彩を生み出す工房仕事と違い、会議をしたりイベントを企画運営したりする人間相手の仕事は、思いのほか、人のよい父さんを疲弊させる。 外出中に滞った工房仕事を帰宅後の夜なべ仕事で補いながらも、昼間の会合でのやり取りや明日の打ち合わせの段取りに気を取られ、なかなか集中したお仕事モードに戻れなくて大きなため息をつく。
「お父さん、また、ため息をついた。」 「ため息ばかりつくと、幸せが逃げちゃうよ。」 心ここにあらず。気がつくと癖のように溜息をつく父さんを見かねて、娘たちが笑う。 「確かに、体の中の元気が一気にこぼれだしちゃう気がするね。」 「はいはい。コーヒーでも飲んで、元気を補充!」 気を取り直した父さんは、無理をして笑う。
昨日、何かの折に父さんがヒンヒンと不自然な呼吸をしてた。 体調でも悪いのかとびっくりして声をかけたら、 「ちょっとため息を吸ってみた。」 と父さん。 確かにため息つくと体内の『気』が抜けちゃうような気がするから、ためしにため息を吸ってみているのだという。
この人ってばもう、大真面目な顔をして、なんてまあ、おもしろい。 「で、どう?効果ある?」 と訊いては見たけど、あわただしい工房仕事のさなかに奥さんがクスッと笑わせてもらった分だけ、ちょっとした効果はあったんじゃないだろうか。
前日に引き続いて、本日はオニイとゲンが会場入り。
何日か前、 「日曜に展覧会を見に行くつもりだけれど、ゲンを連れ出してもいいだろうか。」 とオニイから、妙にかしこまった電話があった。 展示会を一通り見た後、久々に兄弟で大阪の街をぶらぶらしてくる予定らしい。 「いいけど、日曜日は教室があるから、父さんは会場へは行かないよ。」 と言うと、 「そっか…。ちょっと会いたかったんだけどな。」 とちょっと残念そうな風だった。
京都で一人暮らしを始めたオニイ。 夏休みの前後から何となく元気のない電話が続いた。 「眠れない」とか「起きられない」とか「痩せた」とか、言葉の端々に体調不良をこぼす言葉が混じる。 遅めの五月病か、一人暮らしのお疲れが出たか、果ては陶芸修行そのものが嫌になっているのではないかと、オニイの言葉の一つ一つに勘ぐり、疑い、うろたえる。 「勝手に自分の道を切り開け」と、啖呵を切って息子を送り出した割には、おろおろと腰の定まらない母。 その姿を見て、言葉にはしないものの始終息子の様子を案じているらしい父。 結局は彼自身がなんとか切り抜けるより仕方がないとは解りつつ、何となく落ち着かない思いで気遣う日が続いた。 そこへ、オニイからの「会いたかったんだけどな。」の電話。 とうとう音を上げて「帰りたい」とでも言いだすかと、ますます心配モードに陥りそうになっていた。
朝、久々に外出するというのに、大々的に朝寝坊して大目玉を食うゲン。 待ち合わせの時間や場所は、オニイから細かく指示が出ていたのに、前日に電車の時刻も不案内な都会の地理も全然下調べをしてなくて、しかも呑気に朝寝坊という有様だ。 中3にもなって、何たることぞとお説教しながら駅へと送る。 とうに会場に向かっているであろうオニイにあわてて「遅れる」の連絡を入れたら、「そんな事だろうと思ったよ」と意外と大人の反応。 「すまないねぇ、よろしく頼むよ。」と都会に疎いゲンをオニイに託す。 結局、無事、兄弟は会場で落ち合うことができ、父さんたちの作品をゆっくり見て回った後、食事をして、久々の街遊びを楽しんできたらしい。 帰り際、オニイから「今、ゲンを帰りの電車に乗せた。今日はゲンを借り出して、悪かったね。」との電話。 その声も、以前よりずいぶん明るくて、いつもの頼れるオニイの声だった。
夜、再びオニイと電話。 「展示会、どうだった?」 会場で会うことができなかった父さんが、なにか、言いたいことでもあったのかと探りを入れる。 「学校で、茶道を学び始めたら、父さんのやっている仕事のことがちょっと分かってきた気がする」 思いがけない前向きな感想に、ちょっと拍子ぬけするような安堵がひろがった。 とりあえず、「帰りたい」ではなくてよかった。 たぶんまたオニイは大きな山を一つ越えつつあるのだろう。 そっか、そっか。 よかった、よかった。
うれしくなった親バカ母はまた、段ボール箱にオニイの好きそうなレトルト食品をぎゅうぎゅう詰めて、「とにかく喰え。たらふく食べて、夏ヤセ分の体重を取り戻せ。」と援助物資を送ることにする。
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9日から15日、梅田大丸で展覧会。 義父、義兄と3人での茶陶展。
地元での展覧会のときには、いつも子どもたちが揃って会場へ見に行くのだが、今回はそれぞれのスケジュールが合わず、分散して出かけることになった。 初日には、文化祭の代休のアユコが父さんと一緒に出かけて行った。 今日は、アプコと私が義父母とともに父さんの車で会場入り。 ゲンは明日、京都から出てくるオニイと会場で待ち合わせするのだという。
10年程前には、ベビーカーの赤ん坊も含めてコロコロと目の離せない幼い子どもたちを引き連れて、デパートの静かな美術画廊へ出かけていくのは本当に大仕事だった。 都会の空気に弱い田舎者の子どもたちは、混雑した人ごみの中にいると誰かが必ず「頭が痛い」とか、「足が痛い」とか言い出す。 退屈した子どもらを紛らわせるためのお菓子や飲み物をたくさん用意し、おもちゃ売り場や書籍売り場へ時間つぶしにいったりもした。 そのころに比べると、それぞれが自分のスケジュールに合わせて出かけて行ってくれるようになって、なんと身軽になったことか。 初日に第一陣として出かけて行ったアユコは、久々に父娘でのランチを楽しんで上機嫌で帰ってきた。
今日、義父、義母を連れて、父さんの車で会場入り。 ここ数年、腰を痛めすっかり歩行が困難になった義父と、たびたび貧血様の発作を起こす義母を連れての外出は、大仕事となってきた。 駐車場から会場、会場から食事場所までのわずかな移動にも思いがけない時間がかかる。しかも二人の歩行のペースが違うので、付添要員は複数いるほうが望ましい。 ということで、アプコにも動員がかかった。
赤ん坊のころから、おじいちゃんおばあちゃんの近くで育ったアプコは、兄弟の中でも一番年寄りとのコミュニケーションの取り方がうまい。 繰り返し繰り返し聞かされるおじいちゃんの昔話には辛抱強く相槌を打ち、おばあちゃんのうっかりミスには自分も気がつかなかった様な顔をしてさりげなくフォローに回る。 おじいちゃんおばあちゃんのほうでも、相手が幼いアプコだと「世話をしてもらっている」とか、「手伝ってもらっている」とかという負い目を感じることもなく、気が楽なのだろう。 外出のお供にアプコがついてくると、二人ともご機嫌がすこぶる良いような気がする。 すんなりと背が伸びたアプコが、おばあちゃんと腕をからめ合い、内緒話でもするように寄り添って歩く後ろ姿は、なんとなく良い。 ちょっと涙が出そうになる。
「お母さん、あのね。あたし、ちょっと、ああいうの、苦手やねん。」 義父母のいないところでアプコがこそっとつぶやいた。
すっかり腰が曲がって、数十メートルの移動にも休憩が必要になった義父は少しでも座れる場所を見つけると、もれなく腰をかける。 今日の展覧会場でも、少し離れたお手洗いへ行った帰り、貴金属売り場に置かれた椅子に崩れるように座り込んでしまわれた。そこには「商談用」という札が置いてあって、明らかに休憩のために設けられた席ではない。 帰りの遅いおじいちゃんを気にして迎えに行ったアプコが、その場に居合わせることになった。 もちろん、見た目にも歩行が困難であることのわかる義父に対して、そのことを咎めた人があったわけではない。売場にはたまたま人も少なかったし、おじいちゃんの休憩もほんの数分の短いものだ。 大人にとっては別にどうということもない一コマだけれど、生真面目な小学生のアプコにとっては、本来座るべき場所でない席にどっかと腰を下ろして休憩するおじいちゃんのそばに付き添っているのは、何となく気恥ずかしく気まずい思いをしたのだろう。
おじいちゃんの行為を「恥ずかしい」と思ってしまう気持ちと、 堂々と付き添っていられない自分自身を「恥ずかしい」と思う気持ち。 その入り混じったぐちゃぐちゃとした空気が、アプコのいう「苦手」なのだろうと思う。 「おじいちゃんはもうお年寄りだし、少し歩くのもあんなに大変なんだから、少しくらい変なところに座ってしまわれてもOKなのよ。」 と、いくら言い含めたところで、何となく居心地の悪い、もやもやとした「苦手」はなかなか晴れない。 そのことをも含めて、「労わる立場」の務めの一つだということを、これからアプコは時間をかけて学んでいくだろう。 「商談用」の椅子で休憩するおじいちゃんに、「早く行こうよ」と急かす言葉を吐かなかったアプコはもう、そのことを学ぶ入口にいる。 有難いことだなぁと、私は思う。
朝、子供たちを送り出して、大慌てで朝の家事を片づける。 2件分のゴミ出しを終えて、工房へ向かう。 本日、梅田の百貨店の展示会の搬入日。 夕方までに、今朝、最後の窯から出た作品を梱包して積み込まなければならない。今回も締切ぎりぎりまで窯場の仕事がずれ込んだ。いつも数日前から始める作品選定や梱包の作業のほとんどは、義兄や義母にお任せ状態だった。 はたして、間に合うんだろうかと焦る気持ちで、洗いたての仕事着に腕を通す。
自宅から工房までの短い距離。 足もとのアスファルトに、つぃーっと跳ねるものがいる。 「道教え」 ハンミョウという名の昆虫だ。人が近づくと、その足もとを先へ先へと道案内するように跳んで逃げるので、俗名がいたのだという。 青緑のまだら模様が美しく、そのままブローチにして閉じ込めてしまいたくなる愛らしさだ。 毎年、夏休み明けの今ごろ、仕事場に向う私の足元にふいと現れる。 2.3歩先へ飛び跳ねては止まり、近づくとまた2,3歩先についーと跳ねる。 その繰り返しが面白くて、ついつい目で追い、青い宝石の行方をたどってしまう。 今朝もまた、律儀な案内人の後をたどって仕事場についた。
早朝、窯から出たばかりの作品に残った、やんわりとしたぬくもりを抱く。 展覧会の度、「まだ足りない」「まだ作れない」と、絞り出すように父さんが焼き上げる数々の作品たち。 結果的にはいつだって、出品予定数の枠内に収まりきれないほどの追加の新作を焼き上げてしまうというのに、それでも父さんは「まだ足りない」ともどかしそうに言う。 この人の中には、まだ形にならない風景、まだ定まってこない形、まだしっかりと混じり合わない色彩がたくさんたくさん渦巻いているのだろう。 「今度こそ」「次はきっと」とどんどん自分を追い詰めていくこの人の呻き声をもう何度聴いたことか。 その声を聴いたからと言って、私には何もできない。 ただ、窯から出てくる魔術のような色彩と暖かな形を、そっと手と目に覚えさせることだけだ。
明け方、肌寒さで目が覚めた。 暑い暑いと、うだうだしていたら、突然に秋の気配。 今日は地蔵盆。 明日からは中高生達が例年より一足早い新学期。 駆け足で夏が終わる。
ゲン、剣道の稽古。 受験生であるにもかかわらず、ほとんど休みなくフルバージョンの稽古に出席するゲン。 最近ゲンの通う道場には中高生がたった二人。 そのほかは幼稚園児や小学校低学年の幼い初心者剣士が大勢増えた。 前半の子ども稽古では、ちょろちょろ走り回る幼い後輩達に素振りや足運びを教え、長身の腰をかがめて太刀筋のまだまだ定まらない面を何度も何度も辛抱強く受けてやる。 後半の大人稽古では、錚々たる高段者の先生方に次から次へと稽古を挑み、打たれ、倒され、立ち上がる。稽古の汗で、さんざん洗い晒して色褪せた剣道着の背中が濃い藍に染まる。 稽古が終ると、稽古をつけて下さった先生方にたくさんたくさん頭を下げ、いちいち小さく頷きながらその日の稽古の寸評を聴く。
背筋をしゃんと伸ばし、軽く握った拳を膝に置き、型どおりの正座の姿勢で、まっすぐに先生の顔を見上げる若い眼差しに、なぜだかいつも「誠実」という古風な言葉が思い浮かぶ。
帰り際、馴染みの先生がゲンのいないところで私に、 「今日は思いがけず、ゲンに2本も取られたよ。」 と笑いながら教えて下さった。 最近、ゲンは「いつも偉い先生たちばかりが相手で、同年輩の子と稽古することがないから、自分が本当に強くなっているのかどうか、ちっともわからない」と迷う言葉をこぼすことも多かった。 そのことを先生に告げると、 「アイツは今、確実に伸びてる。 でも、そのことに本人はちっとも気付いていない。だから、良いのだ。」 というような意味のことを言われた。
それが「誠実」ということか。
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熱がでた。 先週の金曜日のこと。 一晩、寝たら下がるだろうと、グダグダゴロゴロしていたら、結局三日三晩、39度の熱の海を漂っていた。 夏風邪だそうである。 膀胱炎でも腎盂炎でも新型インフルエンザでもなかったらしい。
講習や部活で外出の多いアユコやゲンに替わって、アプコが実によく働いてくれた。 学校のサマースクールやプール通いの合間に、洗濯物を干し、みんなのお昼ご飯を用意し、米を研ぎ、皿を洗った。 ドロドロと眠ってばかりの母のところへやってきては、「お水、いる?」「アイス、食べる?」と、世話を焼く。 買い物に行けば、「あっちのお店の方が安かった。」としっかり値段もチェック。 これまで一人では取ったことのない外からの電話にも、きちんと応対できた。 挙句の果てには、疲れて帰ってきた父さんの靴下を脱がして洗濯機に入れる徹底した主婦ぶり。 天晴れであった。
いつまでたっても「末っ子姫」と呼ばれ、しっかり者のアユコの補佐役という居心地のいい役割に甘んじてきたアプコ。 いつの間にか一人前に、母の不在を補うことが出来るようになっていた。 子どもの成長というのは、思いがけなく速い。 有難い事だなぁと思う。
さて、 「自然治癒力」というものを盲目的に信奉している私は、少々発熱したくらいでは、なかなか医者にかからない。 寝て、寝て、寝倒して、次に目覚めればきっと熱は下がっているはずと、悶々と熱と闘う。 心優しい父さんは、そんな私の強情を知っているから、「医者、行ったほうがいいよ。」と何度も言うものの、強引に私を医者に連れて行くことは出来ないでいる。 子ども達ももちろん、心配はしているものの、しゃあないなあと頑固な病人を呆れて見守る。 実家の父母には、「アンタもエエ歳なんやし、ちゃん診てもらわなあかんで」と叱られた。それでも、愚かモンの娘は「ま、熱も下がったことだし、今度はちゃんと診て貰うかも・・・」と、あいまいに頭を掻く。 たまに寝込むことがあっても、数年に一度。 大きな怪我も持病もなく、頑強な体。 そんな風にして、私は40ン年、この肉体と付き合ってきた。
今回の母の霍乱の知らせを聞いて、京都のオニイが二晩続きで電話をかけてきたらしい。 こちらからのメールの返事すら気まぐれにしか帰ってこないオニイにしては殊勝なこと。 熱の下がった朝に「今朝からほぼ復活。ご心配かけました。」と短いメールを打ったら、こんな返事が返ってきた。
「調子悪くなったらすぐ病院行ってくれ みんな心配しとる 余り肝冷やさせんといて欲しい」
お、怒られてもうた! オニイに! 息子に!
ちょっとビックリして、 ちょっと嬉しかった。
多分、将来、私が年をとって、強情で頑固ないじわるばあさんになったとき、 「こら、たまには若いモンの言うことに従え」 と、私を叱ることが出来るのは、心優しい父さんではなく、ぶっきらぼうで理屈屋のオニイなんだろうなぁと思う。 多分、アイツに怒られるのが、年老いた私には一番こたえるに違いない。 悔しいけれど、そんな気がする。
最終的には、オニイに叱られたからというわけではなく、近所の医者にかかった。 その診断の結果が、心配していた膀胱炎でも腎盂炎でもなく、ましてや新型インフルエンザでもなく、ただの夏風邪だったいう、なんの面白いオチもない結末。 「ほら、みてみ、なんともなかったやん。」 と、得意気に「自然治癒力」を鼻先にぶら下げて、快復をアピールする愚か者が一名。
馬鹿も風邪を引くらしい。
暑い日が続く。 仙台での展示会の搬入日が近い。 相変わらず、窯も乾燥機もフル回転。 工房は、仕事場だけでなく、荷造り場も階段も窯の熱気を含んで、ジワジワと熱い。 年寄り達の居室とPCのある事務所とお客様を迎える玄関の展示室は、クーラーで強制冷却。 あちこちパタパタと移動しながら仕事をしていると、だんだん体が温度変化に追いつかなくなってくる。 おまけに昨夜、自宅の押入れで面倒な探し物をしたものだから、例によって埃のアレルギーが出て朝から鼻水くしゃみが留まらない。 どうにも冴えない1日。 それでも、怒涛のように荷造り仕事。 嗚呼!
面倒な探し物というのは、他でもない。 アユコとアプコ、二人分の浴衣。 今夜、父さんが二人を京都の祇園祭に連れて行くという。 去年特訓して、一人で浴衣が着られるようになったアユコと、兵児帯ではない「オトナの結び帯」が嬉しくてたまらないアプコ。 二人分の浴衣にアイロンを当て、小物類揃えて、夕刻を待つ。
毎年毎年、忙しくて、「どうしようかなぁ」と首をひねりながらも、必ず祇園祭に出かけていく父さん。 去年まではアユコ一人だったが、今年はアプコも京都デビュー。 両手に花の賑わいだ。 「仕事を兼ねて」とは言いながら、きりりと浴衣を着付けた娘らを連れて、京都の夜をそぞろ歩く事が、嬉しいのに違いない。 仕事のときとは違う、明らかに緩んだ笑顔の父さんが嬉しい。 「はいはい、せいぜい楽しんでいらっしゃい。」 ワクワクドキドキの娘らとともに、軽自動車に詰め込んで、駅へと向かう。
アユコ、この17日で17歳。 花開くように娘らしくなり、大人びた物言いが多くなった。 あと何年、父さんと行く祇園祭を「嬉しい」といってくれるのだろう。 「今年はちょっと」と別の男性のエスコートで出かけていくようになるのは、いつなんだろう。 カラコロとなれぬ下駄の音を気にしながら、小走りに父さんの背を追う姿はまだまだ少女の初々しさ。 もう少し、時間はあると、思いたい。
父さんの個展4日目。 アプコ、ゲンを連れて会場へ。 お昼をはさんで、父さんの級友や陶芸教室の生徒さんたち、長年お付き合いの常連さんなど、たくさんのお客様が入れ替わり立ち代りおいでくださった。
「あれもこれも作りたいのに、時間が足りない!」 「間に合わない!」 「もう、あかん。」 制限時間ギリギリまで、焦ったり呻いたりしていた父さん。 結果的には、個展会場の展示スペースが足りなくなるほど沢山の点数の作品を作り上げたというのに、それでもまだ 「あんなものを作って置けばよかった。」 「あれが仕上がってたらよかったのに」 と不満そうに呻く。 大きな個展のたび、毎度毎度のことだけれど、この人は自分の成し遂げた仕事に対して「満足」ということを知らない。 「まだまだ、次の個展もあるんだから・・・。今、100%出し切っちゃったら、次に続かないよ。」 と何度慰めても、父さんは不満そうに首をひねる。 この「飽くなき探究心」がこの人の最大の力なのだと私は思う。
十分に会場を見て回って、お留守番のアユコにお土産を買って帰ろうと地下の食料品売り場へ降りたところで、携帯電話のベルが鳴った。 オニイが会場へやってきたという。慌てて買い物を済ませて画廊へ戻る。 画廊には、オニイのひょろりとした姿。アプコが嬉しそうに久しぶりに会うオニイに擦り寄っていく。 「忙しかったら、来れなくてもいいよ。」といいながら、案内状だけは渡しておいたのだが、都合をつけて出て来てくれたのだろう。 何日か前、オニイは何かちょっと気掛かりな電話をかけてきていて、心配していたので、顔を見られて嬉しい。
オニイはその前の帰省の折にも、珍しく父さんご指名でなにやら夜遅くまで話し込んで帰っていった。何か思い悩み始めていることがあるようだ。 一人暮らしをはじめて数ヶ月。 衣食住の慌しさに慣れ、生活そのものがある程度落ち着いて、学校で学んでいることや将来の仕事について、ようやく想う余裕が出てきたということか。 それでもまあ、とりあえず、見る限りでは元気そうだ。 よかった。
会場には、ちょうど私の大学時代の友人Yさんが同僚のお友だちを誘って訪ねてきてくれたところだった。Yさんとは数年前、やはり父さんの個展の会場で慌しくお会いして以来の久々の再会だ。展示してある作品を一点一点丁寧に見て、感じたことなど率直に話してくださる。 有難いこと。
話の途中に、学生時代読んでいた本の話や共通の友人の近況などを交えて楽しい時間を過ごした。ン十年の時の隔たりを越えて、若いひよっ子だった頃の気分がよみがえってくる。 思えば、私がYさんと出会ったのは、ちょうど今のオニイの年頃。学科は違ったが、サークル活動や趣味のお寺めぐりなどを一緒に楽しんでいた。楽しい学生生活だった。
その頃の私は、将来の進路について一応の希望は抱いてはいたものの、具体的な未来を思い描くことが出来ないでいた。 果たして自分がどんな道を歩んでいくのか。 いったい何が成せるのか。 どんな人とともに、家庭を築いていくのか。 「先が見えない」ということの不安にいつも苛立っていたような気がする。
今思えば、先の見えない真っ白な未来があるということは、青春時代のもっとも贅沢な特権だったはずなのに、何故あんなに不安になったり苛立ったりしていたのだろう。 一生の仕事を持ち、家庭を育み、当たり前の人生をがっちり築いているように見える「オトナ」達の「安定」を、何故あんなに羨んだりしていたのだろう。 毎日、自分のことだけ考えて生きていて許されていたのに、何がそんなに苦しく重かったのだろう。
40台半ばの「オトナ」になってしまったおばさんには、あの日の不安、あの日の苛立ちの意味は、もう判らない。 かといって、自分の仕事を持ち、子ども達を産み育て、人生の後半戦を生き始めた現在を「安定」とも思えない。 抱えていくもの、担がなければならないものは増えたけれど、やっぱりそれほど「先」が見えたわけじゃない。 あの頃に比べて、少しお利巧にになったことはといえば、 「先はみえなくてもいい」 「先はみえないからいい」 と思うことが出来るようになったことくらいか。
帰り際、父さんのいないところでオニイがそっとささやいた。 「かあさん、あの作品、どうなったん?」 オニイは私の先日の日記を読んで、焼成中に破損した父さんの作品のことを気にかけていたらしい。 「どうもならへんよ。窯場の隅に置いてある。」 「ふうん、そっか。」
思えば、家にいる頃、オニイは父さんの仕事について訊くことはあっても、作品そのものの出来についてはほとんど尋ねたことはなかった。 陶芸の学校に進んで、自分の手で土を捏ね、物作りを学ぶようになってはじめて、作家としての父さんの仕事に関心を持ち始めたということなのだろうか。
失敗しても、呻きながら立ち直り、再び作り始める。。 作っても作っても、「まだ足りない」と首をひねり、新しい土に向かう。 そんな父の背中。 オニイ、よく、見て置いてな。 それはきっと、いつか君の力になるはず。
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