道院長の書きたい放題

2002年04月19日(金) ◆運用法(乱捕り)に関する資料を読んで!

久しぶりにアップしました。かなり重大な問題です。

■ 先月、本山合宿に行って来た学生が乱捕りの指導要領のコピーを持って来てくれました。全部で16ページ、かな? 表紙がありません…?

中身を拝見しました。言葉になりません…というより、私の考えと大きな隔たりを感じてしまいました。これを論じる前に素朴な疑問として、何故この文章が先に学生に渡ってしまうのでしょう。監督、指導者へ事前に配布されてしかるべきと考えます。そうしたら、ここの表現、あそこの疑問と、より良い意見が吸収されたでしょうに…。

■ さて、本文の始めのページに、演武についてこう記されています。「少林寺拳法のすべての要素を取り入れ、相手と共に上達を楽しむ『自他共楽』の精神を学ぶプロセス」と…。

そうでしょうか? 私は「(演武は)少林寺拳法の精神を具現したもの」と考えます。演武を、乱捕りの指導要領の冊子中でこんなに簡単に規定してもらいたくありません。なにより、演武の指導要領/研究をこそ、先に作成すべきでしょう。

ご承知の通り、『自己確立』『自他共楽』『理想郷建設』は少林寺拳法の掲げる三大スローガンです。この目標を、少林寺型の人格を通じて達成しようとするのが開祖の目指されたもの/金剛禅であり、つまり、個人格の理想像と組織の目指す理想は不可分の関係なのです。もし、それに乱捕りが大きく貢献するなら、開祖は教範中に4ページにもわたっての警鐘は書かれなかったでしょう…。

本文からは、法形・演武が主行という位置付けが感じられません。もっとも、現在では「基本→法形→乱捕り→演武」という位置付けですから…こうなるのでしょう。

■ 対ロシア外交における基本政策/四島返還論に、いつのまにか二島先行返還論が浮上し、それがロシア側から二島返還で決着になりかねない事態を引き起こしています。S代議士は論外として、国家を思うもうひとつの政策であったせよ、二元外交はしてはならないのです。それでも基本を変えるなら、全国民の意志を反映させることに、どなたも異論はないでしょう。

法形・演武を主行とする修行形態/人格完成の行はどの武道にも見られないもので、乱捕りに偏重しかねない「基本、法形、乱捕り、演武」という修練論は、我々拳士に大きく関わる重要な政策変更であると強調しておきます。(続く)



2002年03月26日(火) ◇七転八起の負け方

 昨今の政治スキャンダルから、負けることを考えてみました

■ 私は五冊プラス復刻版一冊の教範を持っています。その中に、「九転十起」という開祖の直筆を頂けた一冊があります。これは、私が増徳道院で修行していた頃、多分、皆勤賞を出すほどの拳法バカぶりに、二代目道院長となった広木一隆先生が呆れて、ついつい(?)「渥美君これ上げるよ!」と下さったものです。その教範に、当時、道院に通われていた元東大少林寺拳法部監督/OBの滝田清臣先生が「管長のサインを貰ってきて上げる!」という事になって、今、手元にあります。

さて、先生のこの「九転十起」という言葉はご法話でも話されています。「…九という数字は一番最後という意味であり、十はそれが元に戻ることを表している。私は七転八起どころではない、もっと多くの失敗をしたが、不屈の精神で戻る/克服して来たのだよ!」(要旨)。確か…このお言葉は、黒板に書きながらご法話されたと思います…。

■ 「死なない(生きてる)限り負けではない!」「負けたと思わない限り負けではない!」と、開祖は勝つことよりも負けない精神を強調されました。ですから、この「書きたい放題」の中で石田三成のことを、

『石田三成は、非常に生/生き延びるのことに執着しました。これも史書を読んで、古今の英雄たりといえども何度も死地に追いやられ、でも、危機一髪ギリギリのところ、生を諦めないで生き抜いて勝ちを得た故事を学んでいたからでしょう。三成は結果こそ得られませんでしたが、死ぬまで負けを認めなかった態度は、少林寺の拳士魂と通じるものがありますか…。』と書いたのです。2001.11.15

■ しかし、昨今の政治スキャンダルを見ていますと「(案外)負けっぷりも大事かな…」などと思ってしまいます。

日本歴史の英雄の中で、負けっぷりが良いのは誰でしょう? 私は信長を推します。「是非に及ばず!」と言い放ち(叫んだのか、静かに言い放ったのか興味があります)、奮戦後、自害しますが、骨一片も残さずに歴史の舞台から消え去ったのは見事です。光秀の緻密さを良く知っていた信長は、敵を知った瞬間、「これは…逃れる術がない!」と死を悟ったのでしょう。

将棋で面白い話があります。「これまで!」と投了し、ではと検討の段になったら自分の方に勝ちがあり、それはそれは悔しがったという実話です。

■ どうも…負けについての諸説を紹介し過ぎて(?)混乱している帰来があります。勝敗はあざなえる縄の如しと表現できますか…。時間という尺度で勝敗を論じたら、訳が判らなくなります。武家社会では、平氏と源氏の政権が入れ替わるのだという説が信じられていたと言いますから…。

掲示板にも書きましたが、起き上がり小法師としてのダルマは、倒れる形が良いから起き上がれるのです。「殺される!」などという例は例外として、人生一般的な負けでは、次に通じる負け方を心得ておいた方が良いようです。

これなら開祖の教えと相反しませんね!



2002年03月25日(月) ◆審判講習会場での質問!

 昨日は神奈川県内の審判講習会がありまして、演武審査の件で以下の質問をしました。

■ 「四段の部、演武の構成2番目は、片手を握りに来る相手の手を払い様に突き蹴りの連攻を行い、再度の握りに守法を成し、切り抜き以下の演武を行っています。しかし、私達は握りに来る相手の手を払い様に攻撃するのは、宗門の行としての拳技として相応しくないと指導されました…。したがって、もし審判員がこの演武を採点する場合、これを是とするか非とするかで採点が異なってしまうことになります。ですから、この件について、統一した見解が必要なのではないでしょうか」(要旨)。

という趣旨の質問です。演武における「表現」という項目は、本来、「少林寺拳法の精神に則った技法を演武しているや否や」を採点するものと考えます。私は『演武の手引き』において表現と言う言葉を多用していますが、本意はそこにあります。

■ 何年かに渡って神奈川の審判講習会で質問をして来ました。

◇ 乱捕りのビデオ講習を見て、「相手を床に投げつけていますが、これは極めて危険な技であり、一般的な乱捕り修練、昇段試験で行うべきでないでしょう! 今後の役員講習会などで討議して頂きたいです」(要旨)

◇ 少年演武のビデオ講習を見て、「帯びがやたらに長いのはあまりに見苦しいので、出場する道院長なりが気をつけるべきです! 今後の役員講習会などで討議して頂きたいです」(要旨)

◇ (おととし同じく)四段演武のビデオ講習を見て、

「半月首投げで投げた後、固めを用いず顔面部に下段直突きをしています。これは、頭部が床に挟まれているので相手を殺傷しかねない危険な当身です。別の演武でも、刈り足からの足刀で後頭部を蹴っていますが、同じく危険な技です。これらは減点の対象にならないのでしょうか?

また、特に少年拳士の教育という立場から、相手が参ったという意志表示をしているのに、なお止めを刺すような当身の処理は(法形といえども)検討の余地があると思われます。是非、今後の役員講習会などで討議して頂きたいです」(要旨)…などなどです。 

■ あの時/おととしの講習会では、「質問の意味が良く判りません!」と講師に却下? されてしまいました。しかし昨年、千葉で拳士の殺人事件が起こってみますと、私の質問/心配事はあながち見当外れではなかったようで、総裁・宗由貴さんに直ちにメールをしました。すなわち、「事件を起こした拳士がどのような拳技を修行してきたのか、どのような拳技の影響を受けて育って来たのかを調査する必要があります。さらに、少林寺拳法の拳技をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。私も審判講習会で度々発言して来ましたが、本山にこのような一道院長の意見が届いていますでしょうか?」(要旨)という旨をお伝えしました。

思想と技法の整合性が大切なのです。私は、現在の大会様式は賛成ではありません。それでも演武を正しい形/活人拳として行わせるならば、まだ救いようがあります。しかし、少林寺拳法の在り方を逸脱した殺人拳?が演武されるのであれば、もはや、大会は私達の環境を破壊していると言わざるを得ません。

今回の質問は講師の先生が本部に報告するということですので、是非、討議・研究して頂きたいものです。

追伸:講習最後の質問で、「…武専に来られる講師の先生で、道着が見苦しい/やたら長い先生がいます。名前は言いませんが…本山で注意して頂きたい!」という質問/要望がありました。



2002年03月16日(土) ◆(続)拳の握り方!

 前回の続きですが補足します。

■ 空手の拳の握り方には「1」と「2」があり、少林寺の拳は根元から曲げる意味で、「2」と同種の握り方と述べました。あるいは別の握り方があるかもしれませんが、今は触れません…。

私にとって、改訂版で「2」を掲載しなかったことが非常に興味深いので、著書から全文を紹介して論をつなげます。

「小指・薬指・中指の三指を折り曲げ、示指で中指を斜めに押さえ、その上を拇指でしっかりしめつけて握りこむ。この握り方は30年前普通に使われた方法であったが、示指と中指はよくしまるが小指がゆるみがちになるのと、少し握りにくいという理由で、いつの間にかこの方法をとる者が少なくなってしまった。しかし、慣れれば別に握りにくいということはない。握り方としては1.2のどちらでもよい」―『新空手道教程(普及版)/中山正敏著』

■ 30年前とは、これは戦前を指すのでしょう。空手というと一般に、試合場での組み手、あるいは瓦の試割りをイメージしますが、思うに本来の空手には、逆技や細かい手技がはるかに在ったのではと想像されます。体系としては少林寺拳法に近かった(剛柔一体という意味で)と考えます。その証拠が「2」なのであり、それが消えていったということは、空手の技が、良く言えば剛法が先鋭化した。悪く言えば、柔法の退化であったと述べたかったのです。

この原因は、空手の競技化にあると考えます。試合に重点を置けば、勝つ事を目標にして試合用の技を研究、練習するようになります。例えば、掴みが反則になれば…拳の用法だって変わってしまうでしょう。

同じことは柔道でも起こりました。試合が盛んに行われるようになると、立ち技が全盛となり、寝技は汚いということでおざなりになった時期があったと、何かの本に書いてありました。

■ 昔/29年前以前、少林寺拳法でも胴とグローブを付けて顔面直接打撃制の試合を行っていた当時。例えば両グローブを相手の顔の前に出して視野を塞ぎ、蹴りを決める。胴を高い位置に付け、両手をそれに合わせて守る構えを取る。甚だしきは、引き分け要員?の存在で、団体戦でポイントをリードした時はこれが得意な選手を出す。つまり、打たれ強い者が攻撃を徹底的にガードして、引き分けに持ち込んで勝つ。などなどの戦法・作戦が考案?されました。構えにしても、演武用と、乱捕り用の胴を守る二種類がありました…。

私も大学拳法部3年生時、全日本学生大会の(最後となった)団体乱捕り戦に大将で出場した経験があります。試合では負けませんでしたが…結果はベスト8まででした。しかし、試合用の技は、確かに研究していました。当時の様子は、また改めて述べたいと思います。

■ 学生時代の拳の握り方がどうであったかは不明ですが、多分、グローブ着用に合わせていたのでしょう。むしろ、述べたいことは、拳の握り方に象徴される様に、競技試合がその武道の技の形態や修練の形態、さらには在り方さえ変えてしまう事実/危険性を述べたいのです。

今回、本部が開発した防具で試合を行うと、この問題が懸念されます。面が平面状であれば、会報3月号、40ページの右隅の写真にあるように、将来、少林寺の拳は横拳?となり、骨折、損傷を厭わない拳に変質してしまうでしょう。もし縦拳で(三日月ではなく)面部を突こうとすれば、不自然に尺骨側に曲げなければなりません…。

■ 蹴りでは、硬い胴と柔らかい人体とでは相当の違いがあります。硬い物を蹴れば足首を最初から立てて蹴り始めます。蹴る寸前まで力を抜き、素早い股上げと引き足という身体操作が出来なくなります。例えば小手投げ時、蹴り足と投げにつなげる足捌きは、胴を着けてしまうと、感覚が異なってしまいましょう。まあ、当時のグラスファイバー胴と比較して現在の材質は柔らかいですが、それでも人間であれだけ硬い筋肉の人はそういません…。

中国拳法では、人体を水の塊とイメージすると何かの本に書いてありました。いみじくも、マイク・タイソンはウォーター・サンドバッグを突いていると、これまた何かの本で読んだことがあります。

金的にしても、あれだけ前に?出ていると、安易にそこを蹴ることになります。金的蹴りは生殖傷害を起こす非常に危険な技であり、兵器に喩えれば、核兵器に相当しましょう…。拳士は無闇に蹴るものではありません。

以上、拳の握り方という本題から少しズレた感がありますが、私の述べたかったことが伝わりましたでしょうか…?



2002年03月13日(水) ◆拳の握り方!

拳の握り方を考えてみました…。

■ 空手の経験者は、(全てとは言いませんが)独特な拳の握り方をするのに気が付きました。新入門に「正拳を作ってみなさい」というと、中には第2〜5指の第1関節からギュッと、甲をやや反らし気味に曲げて拳を作る人がいます。まず空手の経験者とみなします。つまり、熊手状の形を一端作り、次に根元から曲げるのです。これは、堅い物をイメージして突いていたからではないでしょうか? あるいは、左右の手の役割が分化していて、片方は拳、片方は手刀となっていて、一端、拳を握ると容易に解かなかったのではと推察されます。

対して少林寺拳法は、一気に根元から曲げ握ります。違いのニュアンスが伝わりますか? 剛柔一体に使用する場合、時に拳、時に手刀、時に掛け手と、瞬時に手の形状を変化させます。目打ち、中段の段突き。(襟十字などの)目打ち、掛け手などなど。まるでアーミー・ナイフの様で、正拳はあくまでその一部だからです。

■ ところで、手の第1指と第5指は対立筋になっており、片方を伸ばせば、片方は曲がる。あるいは五指を張る際、1指と5指を張るほど良いという関係にあります。したがって、少林寺と空手の手刀の形状は、実はどちらも自然な身体操作で、強く張ったり伸ばしたりすれば、より作り易いのです。

初心者を見ていると、蹴る時など、拳を作っているようで親指が立っているケースがありますよね…。コヒーカップを、小指を立てて飲んでいる人を見かけますよね…。若い女の子などは「イヤラシイ!」と言いますが、これ、対立筋だからです。私などは、意識して小指を立てないように飲みます…。ですから、手刀より正拳を作る方が、より学習的な動作といえましょう。

『わが柔道/木村政彦著』中に、相手の道着を握る力を強くしたい為に空手の巻藁を突くクダリがありますが、非常に面白いです。対立筋のこと。拳の握りは後天的な学習動作であることが判ります。

■ ジャンケンをする時の握りだと思うのです。少林寺拳法拳の拳の握り方は…。根拠があります。「カッパブック/秘伝少林寺拳法」の中に各種、拳の図が載っています。ちなみに初版の教範以外に「拳の図」はありません。そこには、人差し指の第2関節を伸ばし親指を重ねている拳がありますが、この拳は、一端、熊手状の握りをする方法では絶対に作れません。ただし、ゆっくりやれば出来ます…。これが出てくるので、少林寺拳法の拳の握り方が了解されます。

話はここから面白くなってきます。『新空手道教程(普及版)/中山正敏著』の中にも、人差し指を伸ばす拳が「拳の握り方2」として述べられています。実は今、判りましたが、冒頭の握り方は「拳の握り方1」なのでした。

ところが、最近の同書/改訂版にはどうした訳か「2」がありません…。私の持っている本もかなり古いのですが、発行年月日がどこにも書いてありません。何年前からそうなったのかは、詳しく調べませんでした。いずれにせよ、身体操作的に正反対の握り方でしたから、統一したのでしょうか…? 「1」は握る強さはあっても、素早さにおいては「2」が勝ると思います。

「空手は豪壮。少林寺拳法は飛燕の如く」と開祖は喩えられましたが、正拳の握り方にもそんな違いがありますね。

拳の握り方は重要なので、また述べたいと思います。



2002年03月08日(金) ◆法衣を脱ぐの !?

 気が向くままに書いてみました…。

■ 1972年に行われました日本武道際。私は学生連盟として連日協力、出席していました。教範のグラビア中に「場内を圧する少林寺拳法選手団」とあり、機関紙では確か…、「館内圧する少林寺」の見出しだったと思います。あの開会式の写真にまつわるエピソードは、非常に印象に残っています。

初日開会式があり、各武道の出場者が整列したのです。開始時刻より若干早く着席した開祖が、直後に厳しい顔をして叫びました。

「先頭の列の者(に?)、急いで法衣を着ろ!(着させろ?)」…と。皆、先生の指示の本意が判らず、首を捻りながら、でも、大慌てで法衣を着て整列し直し、写ったのが件の写真です。後日、「…大勢の少林寺の拳士が連日協力して今回の武道祭は成功した。それなのに、開催式で同じような道着を着た人間と一緒では、それが伝わらないではないか!」(要旨)と述べられて納得しました。

■ 先生は他武道(特に同様な徒手空拳の武道である空手)との違いを強烈に主張されました。片手合掌礼を親指を曲げて行うと、「空手と間違えられる!」。「これからは、団体演武は相対形を主に行いなさい。空手と間違われる!」。「少林寺の手刀は拇指を張った、在来の武道/空手とは異なる手刀である!」。「(襟に付けている大きな拳法部バッジを指して)お前達はなぜ、横拳をつけるんだ。(好ましくはないが)どうせなら縦拳にせい!」などなど。注:違いであり、優劣ではありません。

先生は創始された少林寺拳法に、当然ですが強烈な誇りを持たれていましたし、私達にもそれを持たそうとされたのです。当時の少林寺拳法はまだまだ新興勢力でしたし…。

■ さて、昨今の一連の「振興普及部」の主張を聞いていると、私には、“法衣を脱ごうとしている”と感じられてなりません。他武道との違い/境がはっきりしなくなるのではないでしょうか…?

「基本、法形、乱捕り、演武」として…なんか、『月刊・秘伝』(バックナンバーを取り寄せ中)では英会話に例えているそうですが、とすると、スッテップアップ方式ですか? では、乱捕りは…この体系によると必修科目になってしまいます。

81年の科目表で、乱捕りは昇段試験において必修ではありませんでした。私は現在、昇段試験において、乱捕りを年齢制限以外の拳士に必修科目としていることが問題であると思います。

柔法系の阿羅漢系統、剛法系の那羅延系統の「組演武」を行わせる方式に戻し、その上で、「剛法組演武の補助手段としてのみ行うべきである。」とする乱捕り修練法を提示すべきと考えます。

技法たる少林寺拳法の修練体系。思想たる少林寺拳法の習得体系の一致を願ってやみません。



2002年03月05日(火) ◆(続)会報「少林寺拳法」を読んで!

 前回からの続きです。

■ 第一次乱捕り検討委員会、開催の意義に関して、もうひとつ大切な事がありました。それは、この時、初めて「限定乱捕り」という考え方が提示/答申されたからです。

例えば、内受け突きには、順逆、開対、(差し替え)順逆、左右ということで、計36形があることを認識し、法形を一形に固着させないで修行/習得して行く。数段階の過程を経て、最終、融通無碍なる「自由乱捕り」の段階に至るという修練方法なのでした。

■ さて、前回、私は「…言葉に応用変化/運用法(?)がありますね」と書きましたので、まず、この点を説明したいと思います。

「乱捕り」という言葉/用語が少林寺で使用される場合、その中には上述のように、限定乱捕りに対する自由乱捕り。他に、防具乱捕りに空乱(防具不着用で寸止め。さすがに当時でも、フルコンタクトはしませんでした…)。競技乱捕りに交歓乱捕りなどという意味が含まれます。また大会などでは、模範乱捕りという紹介もありました。奉納乱捕りは聞いたことがありません。

そしてこの「運用法」という言葉は、詳しくは調べませんでしたが…86年度版の科目表中に現れ、昇段者は「運用法(自由乱捕り)を行う」と記されています。

ところで、現在では運用法という概念はどうなのでしょう。攻者、守者を限定する…!? では技は? 防具は何を? ちょっと…統一的ではありませんね…。私などは、旧乱捕り形式(胴、グローブを着用して顔面を加撃)/『私の主張・人命を失った反省が足りない』と表現しますので、いっそ、新乱捕り形式の方が運用法より判り易いです。

そんな現状で、「運用法(乱捕り)/うんようほう・かっこ・らんどり」と表現するのは、如何なものでしょう…。

「定義が曖昧なまま、言葉が摩り替わろうとしている」と言いたかったのです! そして開祖亡き後、修練体系、教義が関わる重大な問題は、一部署で行われるべきでないと考えます。

■ では、開祖は乱捕りをどのように考えておられたかというと、昭和30年度版の教範で「乱げいこ」という言葉を用いられている通り、稽古の一方法であると位置付けられていたことは明白です。

中野先生に乱捕りに関する興味深いお話を伺ったことがあります。「元々、少林寺がグローブを付けて乱捕りを行うようになったのは、三日月に当てても怪我をさせない配慮からであった。ところが大会等で盛んに乱捕りが行われるようになると、何時しか、相手を思い切り叩いても良いのだという風潮に変わっていった…」。

そんな風潮を開祖は憂いたのでしょう。昭和40年度版の教範中「防具着用の乱捕りについて」の項で、「剛法組演武の補助手段としてのみ行うべきである。(崇高な全文を読めば明らかです)」とはっきり述べられています。これは定義と言って良いと思います。

実は、今、鳥肌が立ちました。私は間違っていたようです。前回、「開祖は教範の中で、乱捕りを『剛法の補助手段』と記述しておられます。」と書きましたが…「剛法組演武」でしたか…。

「お前は何を読んでいたんだ!」と、あの世に行ったら開祖に叱られる(!?) 剛法と剛法組演武とでは、天と地ほどの開きがあります。これは…運用法/乱捕りは、やはり「行」ではないですね!

■ 開祖は「行」という言葉について、少林寺的に解釈されています。ですから、今月号、会報3月号の中で「…攻者は敵ではなく、戦術を上達させる協力者。これが少林寺拳法のいう“行”なのだ」は、まあ間違いではないでしょう。しかし、同時に『月刊武道(何月号かは不明、多分、本部講習会で配布された資料)』中で、インタビューに答え「行」についてこう述べられています。

「…仏教における行というものは、向上を求めながら自らが解脱することと、生きとし生きるものを教え導くことの調和にあるのです。他人の幸福を願わず、自己の向上だけを図るものは、真の意味で『行』とはいえないものです。」

文中にあるように、開祖は解脱する(悟りを目指す)という深遠さを踏まえ、且つ、私達に判り易いように、行について述べられたのです。

もし、乱捕り(運用法)を主行にして、「本当の強さとはどういうことか?」「活人拳の思想とはなにか?」「武の本義とはなにか?」という少林寺拳法の教えが身に付く、拳士を導くことが出来る、なら、何も言うことはありません。しかし歴史が証明するように、多くの拳士(この場合は特に学生拳士を指す)は、単なる殴り合い蹴り合いという勝負術に落ちてしまったのです。

■ 私は乱捕り修練を決して否定している訳ではありません。この点は誤解のない様にして下さい。また、乱捕りの研究を進めて来た関係各位のご努力には敬意を表します。ですから、もっと過程を明確に、焦らずに行ってもらいたいのです。批判を、甘んじて受けて下さい!

フェイスガードにしても、全国の一般拳士が使用した上での安全が確認された訳ではありません。88年のS大の死亡事故は、指導者不在という劣悪(?)な環境にいる学生拳法部で起きた事故だったはずです。「運用法は“行”だ」などと安易に述べると、勝手に、都合の良い様に乱捕りを解釈する拳士が出現しかねません。心配です…。

技術的にも、平面上のモノを打てばどうしても横拳になりがちです。「書きたい放題・縦拳と横拳の話」参照。蹴り技にしても同様です。「書きたい放題・蹴り上げと蹴りこみの話」参照。反撃技は相手を傷害してはならないとする点で、この方式は、まだ未完成と考えます。活人拳という視点から、法形でさえ改良の余地があるのですから…。

以上で終わりますが、どうか…私の声が届きますように!



2002年03月01日(金) ◆会報「少林寺拳法」を読んで…

 今月号の機関紙「会報少林寺拳法」について意見を述べます。

■ なんで運用法が「行」なの! この言葉の定義、誰が?何時?何処で決めたの? というのが最初に感じた気持ちです。

「乱取り(運用法)」と書いてありますから、運用法=乱捕りと解釈しますが…言葉に応用変化/運用法(?)がありますね。なんか似たような事が…今回、自衛隊を海外派遣した際に交わされた、政府の憲法解釈を彷彿させます…。

私達、少林寺拳法の拳士にとって、「行」という言葉は特別な響きを持った言葉です。本文を良く読んでみると、「…攻者は敵ではなく、戦術を上達させるための協力者。これが少林寺拳法のいう“行”なのだ。」と書いてあります。それで…私も考えてみます。ただし、言葉尻を捉えるつもりはありません。真剣な気持ちでです。

■ 開祖は教範の中で、乱捕りを「剛法の補助手段」と記述しておられます。「振興普及部」が中心となって推進しているらしいですが、この枠を一歩踏み出すのでしょうか。乱捕りを「行」と定義するなどという、かかる重大な定義変更は、最低でも各部門(少年、高校、大学、実業団、国内、海外など)からなる代表/乱捕り検討委員会によって決定されるべき問題と考えます。

最大では少林寺グループ各代表の会議。それぞれの部門に重大な影響/波紋を与えるからです。組織論からしても、財団法人が宗教法人の根本理念に対して越権しているのではと思われます…。

関係ありませんが、憲法第九条の改正は国民投票にしてもらいたい!

■ 乱捕りに関しては、各代表が集まった前例があります。関西学生大会の死亡事故後、各部門の代表を召集し、第一次乱捕り検討委員会が発足しました。その後、「乱捕りは競技で行わない」という決定が、第二次検討委員会で覆され、S大の死亡事故発生後、第三次検討委員会が召集された訳です。

第一次検討委員会の開催意義は、29年前、競技乱捕りを大会で廃止したという一学生連盟の決定が、おおよそ10年の時を経て、初めて組織的に決定されたことにあります。

■ 何時頃からでしょう。基本、法形、乱捕り(運用法)、演武という位置付けが(機関紙、月刊誌を背景に)出来上り、それに対して一般の道院長は何も反論出来ませんでした。今回にしても、大切なことが決まった上での「乱捕り問題検討臨時委員会」という感じを受けます。

どうして臨時なのでしょう。私は第三次乱捕り検討委員でしたが、解散後、継続審議するという事だったはずです。当然、過去の苦い教訓から学ぶなら、(正式な)第四次乱捕り検討委員会として討議されるべきだったのではないでしょうか…。(続く)


以上は組織的な観点から述べました。次回は具体的な問題点に触れたいと思います。



2002年02月15日(金) ◇勝手史観!

 歴史について述べることは私の無学(?)をされけ出す様で大変恥ずかしいですが、史観は少林寺拳法に関わるので、一応述べておきます。

■ 明治期、日清日露戦争頃のあたりは、日本軍の捕虜の扱い、交渉などは大変紳士的であったといわれています。まだ、武士道精神(?)が生きていたのでしょうか…? それが、例えば中国人に対しての「三光作戦」(焼き尽くせ、殺し尽くせ、奪い尽くせ…でしたか)や「730細菌部隊」などなど、なぜ残虐行為を行う軍隊に変質していったのでしょう。不思議であり、残念でなりません…。

戦争には当然、勝者と敗者があり、「時間」という観点から戦争を眺めると、敗者の扱い、占領地の統治は大変重要な問題だった筈です。明智光秀は民政官として優れた才能があったので、信長は彼光秀を重用したと何かの本で読んだことがあります。自分の持っていない才能を一早く見抜いたのでしょう。裏切りを見抜けなかったのは皮肉ですが…。いずれにせよ、ここを誤ると真の勝者とは成り難かったのです。

しかしこれは、歴史を学んでいれば当然判る事です。ここでいう歴史とは、戦争を繰り返した古代中国の歴史で、だから「武は撫なり」「愛撫統一」という言葉は、恐ろしいほどの殺戮の歴史の中から生まれた有益な教訓だったのです。

■ 先程、武士道精神と書きましたが、武士がサムライ(?)たる所以は漢文の素養がある事と勝手に解釈しています。元サムライであった明治の先人達はすこぶる漢書に通じていて、当時の世界情勢などを聞いても、自らが学んだ漢学をバックボーンにして理解する相当な応用力があったようです。大国、強国のエゴイズムと小国の悲劇は、歴史的に繰り返されることを知っていたのです…。

日本を植民地化されない必死な努力であった明治維新。これを成し得た先人達は尊敬に値します。しかし、その後の日本の進路は残念ながら納得できません…。今次大戦では、まかり間違えば同じ立場であったろうアジア近隣諸国を侵略したのは真に遺憾です。しかし、そのひとつの原動力/動機が生まれた背景には、先進諸国の敗者の扱いにも責任の一端があったと考えます。この場合、敗者は国家ということになります。

日本、いや後進諸国にとって非常にショックであったのは、「阿片戦争」ではないでしょうか…。敗者の末路が単なる植民地では無く、亡国ではたまったものではありません。ところが、旧日本軍も日中戦争で阿片政策に手を染めていたという報道がありました…。また、第一次世界大戦中、ドイツにより、戦争で初めて毒ガスが使われましたが、それは当然、生物・細菌兵器という発想に行きついたことでしょう…。

NHK三回放映『アフリカ大陸(詳しいタイトルを失念)』を全て見ました。国境線が直線の地域が全アフリカの40%以上を占めるという馬鹿げた事実。先進国が示した規範は侵略であり、無秩序なのでした…。

■ 私は責任転嫁論を展開したい訳ではありません。先進国というのなら、当時(日中戦争開戦以前)、日本はアジアの中ですでに先進国だったのですから…先進国たる規範を示すべきでした…。あそこで、まやかしでない目がアジアと日本の共存に向いていたらと思うのです。ただ、東洋の文化であった「武は撫なり」「愛撫統一」という価値観が通じない世界情勢も、また事実であったことも述べておきます…。

比較で言えば、明治維新以後の政策が守りであったの対して、日清日露以後の政策は攻めであったと言えましょう。守りは敗者を生み難いですが、攻めは敗者を生み易いのです。多分、当時の日本の指導者、特に軍人は先進国/欧米流の弱肉強食的な考え方に傾倒しており、すでに「武の徳/東洋の文化」を喪失していたのでしょう。戦争の果てに発生する国家や個人等、敗者へのいたわりの心を喪失していたのです。

少林寺拳法は勝敗を争わない武道です。しかし、もし私達拳士が勝負に関わる世界に赴いた時は、必ず敗者へのいたわりの心を忘れないと信じます。また、歴史の過ちを繰り返さない様、つまり、先進諸国たる正しい規範とは何かを、それぞれの立場で考えなければならないと思うのです…。



2002年02月08日(金) ◆(続・続) K1対 猪ノ木軍/異次元の戦い!

 相手の出方が判らない場合、どの様に闘うのでしょう。前例があれば参考になりますが、それが全く無いと恐怖でしょうね。昨年のNHK大河ドラマ『北条時宗』。蒙古襲来の場面を興味深く観ました。個人戦を主張する日本軍に集団で襲い掛かり、火薬、毒矢、馬の脚を切るのを卑怯としない等などの蒙古戦法に、一回目/文永の役で日本軍は惨敗しました…。

■ 打撃系と組み技/寝技系が激突する興行・アルティメット大会(組み技同士もある)が行われた当初、打撃系は全く歯が立たず、特に空手関係者は慌てたようです。この理由は明らかで、寝技に持ち込まれ、関節、締めで攻めるという戦法に対して無策であり、もうひとつは、組み技/寝技系側が打撃系の闘いを研究して挑んだ。闘い慣れしていたことが上げられます。出場した打撃系選手のレベルもどうでしたでしょうか。

現在、この差はだいぶ縮まってきましたか…。しかし、ミルコ選手にしてもプロレスラーには勝っていますが、柔術系の選手とは未対戦ですから…これからですね。

さて、技術的な問題を述べます。

◆ 相手が上半身に組み付いてくる場合、フックを打つと、むしろ相手をますます呼び込んでしまう形になるようです。レバンナ対安田戦にこれが認められました。

安田選手は予想を覆す勝ちですが、内容は決して誉められたものではありません。柔道経験者であるとはいえ、打撃系のレバンナ選手に1R袈裟固めを決められてしまうのではどうでしょう…。他の打撃系選手との対戦でも、上段に強烈な蹴りを受けて負けています。ガムシャラに前に出て組み付こうとするだけではパンチ、蹴りにあまりに無防備で人体への危険な感じがします。今回はレバンナ選手の異種格闘技戦、不慣れに助けられましたか…。

◆ タックルは掛ける直前まで相手を見ていて、外さないという確信の距離までギリギリ詰めて、急に沈むのが最上の様です。あたかも潜水艦が潜望鏡を使うのに似ています。

タックルは上半身、腰部、大腿部、下腿部を狙いに来ます。上半身を狙う場合は頭を低くして突っ込んで来ます。下腿部は床に伏すように来ます。腰部、大腿部について、潜望鏡と急潜水の状態が見られます。相手が潜望鏡/頭を下げた時点では、すでに間合いに入られているようです。その直前の無防備状態が一瞬のチャンスであり、沈もうとする刹那、永田選手の顔面に突きを決めたのがミルコ選手でした。

打撃系で対タックルを研究して実践出来るのが彼/ミルコ選手で、優れた身体能力がそれを可能とするのでしょう。ですから、(上方から硬い頭を打てる)肘打ち禁止は打撃系にとって不利であり、これがあればさらに有利さが増すでしょう。

◆ 非常に面白いのは、ゴングが鳴ると打撃系の選手はほとんど無意識(?)に前に出て来ます。出るというより、スーと近寄ってきます。アレはなんなのでしょう。グローブを会わせようとしているのでしょうか…? それに引替え、組み技/寝技系の選手は明らかに違うテンポで前に出て来て、一瞬に組み付いてしまいます。不慣れな打撃系の選手ほどこれをやられます。戦闘の「間」の違いなのでしょうか。ヒクソン選手が日本で初めての試合を披露した時、相手の西選手がこれ(すでに技?)を食いました。

元々組み技/寝技系は倒れたってかまわないのですから、重心は高くても良いのです。しかし、打撃系は倒されては不利なのですから、重心を安定して相手の突進/接近を警戒するスタートを切らなければなりません。

◆ 打撃系でメジャーな技であるローキックが、異種格闘技戦ではなかなか現れません。一時期、少林寺拳法の本部でも対ローキックを試行した時期がありました…。痛いですが…一発で決まり辛いローキックはあくまで試合用の技で、決まらなければ蹴りほど危険な技はありません。

◆ 結局、試合を観た最大の感想は、例えば、打撃系では金的が禁止されているので大きなモーションの技が可能です。したがって華麗な回し蹴りが放たれますが、時々カウンターの順蹴りが金的に当たり試合がストップするのを目撃します。

同様に、打撃系と組み技/寝技系の試合でも、もしあそこで金的を掴まれたら、もしあそこで噛み付かれたら、もしあそこで目を突かれたら、等などと考えると「本当の強さとは何だろう?」という結論に達せざるを得ません。いや、「強さの結論を出してどうするの?」という思いが湧き上がってきます。本音を言わしてもらえば…興行として観る分には面白いですが…。

宮本武蔵は晩年、「腕を切る!」と主張します。また、柳生新蔭流の極意「無刀取り」など、ノンルールを経た剣聖が辿りついた境地は「人を殺す虚しさ」であり、それよりも、人を教育する手段に(この場合は剣ですが)武術を活用する「道」だったのです。

我々、少林寺拳法の拳士は異種格闘技戦を観て、改めて活人拳の主張と技法の尊さを実感すべきと考えます。

以上、多少長くなりましたが終わります。


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あつみ [MAIL]