まれ日記

2021年03月14日(日) ピアノの話

コロナの影響で、生活が変わっておよそ一年。


バンド練習は一切やってません。スピコピ仲間は、配信とかでがんばってるバンドもあるみたいだけど、うちは全然。マネモノとしては2019年5月のライブ以降、まったくスタジオに入っていない。果たしてそんなんでいいのか?という意見もあるかもだけど、それはそれでいいと思ってる。個人的には。

いつかやれることを楽しみにして、日々過ごす。それはそれでアリだなと思ってる。やれるようになったら、やれる範囲でやればいい。メンバーのみんなは、どう思っているか知らんけど、多分似たようなことを考えているのではあるまいか、と勝手に想像。


でもね。バンドをやらなくなった後、おれが音楽から離れてしまったかというとそうではないのですよ。実は最近、ピアノを弾いている。高校の頃以来、すっごい久しぶりに。


中一の頃までピアノを習っていて、高校時代はキーボーディストで。いや、レベルはそんなヒトに聞かせられるようなモノではないですけど。


でも、最近はホント、ピアノ弾くのが楽しくて。ピアノを習っていた小学生時代よりも、キーボード弾いてた高校時代よりも。これまでの人生で、今が一番、鍵盤の演奏を楽しめている。


これは、コロナのおかげだと思っている。悪いことばかりではなかったな、と思っている。きっとコロナがなかったら、もうピアノに向き合うことなんてなかっただろうから。


ピアノを弾いていると、小学生の頃を思い出すんです。一瞬で、あの頃にタイムスリップする。あの頃の自分が、俺のカラダに降りてくる。そんな感覚に震えてしまうのです。人生これから、だった頃の自分を思い出して、なんだかうれしくなるんだけど。


そして、自分のこれまでの人生がきちんと地続きだった気がするから。実際はそうでなかったとしても、そう思えるから。だからうれしいんですね。多分ね。


ピアノ、今後も人前で披露する機会は多分ないだろうと思うのですが。でも、そういうことは今のモチベーションには影響しないですね。自分がよければよいのです。


今はゲームよりもピアノ弾くのが楽しいです。再見。



2021年03月13日(土) 今日

本日、アリオ亀有でエヴァを見てきました。


エヴァは、2004年に初めて見たので、自分にとっては、遅れてきた青春、でした。
最初の娘の名前は「アスカ」ですが、これはただの偶然。アスカみたいな子に育ってほしくて付けた名前ではなかった。結果、とてもイイコに育った。惣流、式波のアスカよりも、イイコに育ったと思っている。

自分の息子は、「シンジ」という名前ではない。でも、父にとって恐れるべき存在ってのは、その通りかもしれない。そしてそれは、息子自身にとっても、父ってのは、そうだったんだろうなと。

エヴァの物語は、自分に置き換えられるものではない。でも、置き換えられるものもある。エヴァはロボットアニメだけど、そうではなかった。人間のドラマ、そのものだった。


今後もうエヴァの新作は現れない。喪失感。庵野サンが映画の観客に期待した感情もそれだったのか?そうならば、もはやなにも言うことはない。おれ以外の人たちと共有できた気がする。本日、アリオ亀有の、Eー10のど真ん中のシートにて。


アスカとシンジがうまくいけばいいのになと、一時期思っていた。すごく昔に。レイとシンジはなんか近いよな、とも。


それにしても、ゲンドウよ…



2021年03月05日(金) 多分最後の大宮

大宮にある事業所に来ている。今週は3回も。でも事情があって多分ここに来るのは最後。ここは入社後3年2ヶ月いて、その後、5年前からも8ヶ月ほど通った思い出深い事業所なんだけどね。もう来ることはないのだろうなあ。

最初の3年2ヶ月もその後の8ヶ月も、そんなにいいわけではなかったんだけど、今から思い返してみると感傷的な気持ちにさせられてしまう。年齢のせいだよね



2021年02月23日(火) 逃げ足が速い

そういえば、この2月は一度も日記書いてないなあと思って。実家からスマホで書いてます。

先週水曜日に母が退院。その後、毎日実家に泊まる日々です。退院後の母の生活は、これまでとは少し変わるので、慣れるまでは仕方ないかなと思ってます。でも今週いっぱいぐらいまでで、これまでの通常ペース(週2回程度)に戻せればいいなあと思ってますが。妻にも最大限サポートしてもらっており。もはやアタマが上がりません。

本日、天皇誕生日。昨年から天皇誕生日が2月になり、祝日が一日増えたので、2月の逃げる感が加速している気がします。来週から3月…目眩しますね。

昨年、サザンバンドでライブやってから、ちょうど一年。もう一年もライブやってないのね…仕方ないね。


ではまたそのうち。再見。



2021年01月27日(水) 「つぶくさん」と呼ばれたスーツの話

濃紺の地に、それより多少明るいぐらいの紺〜濃い青のストライプのスーツをもう10年ぐらい着ている。いつから着てたのか忘れたけど、A○KIで買った記憶がある。そして2011年度に勤務していた浦和支社で着ていたのは間違いない。

浦和支社に当時「つぶくさん」という人がいて、その人が着てるスーツと完璧にカブっていたので、おれは自分が来ているそのスーツを「つぶくさん」と呼んでいた。嫁にも「つぶくさん、そろそろクリーニング出しといて」とか言ってて、それで通じた。もはや嫁はそのスーツのことを覚えていないらしいが。

そんで、その「つぶくさん」の左尻のポケットについに穴が開いた。今日、帰るときに気づいた。習慣としてスマホを左尻のポケットに入れているので、そもそもその部分は傷みが激しいのである。それで去年は二本もスーツを駄目にした。そのいずれもツーパンツ、というのを買っていたので、一本駄目になっても、替えはあるんだけど。

でも「つぶくさん」はツーパンツで買ったわけではないので、替えはない。よってもう「つぶくさん」は成仏ということになる。さよなら、「つぶくさん」。

スーツは仕事着であるし、結構酷使するけど、この10年ぐらい、そこまで体型が変わっていないこともあり、あまり買い換える機会がない。一着をとても長く着る。だから自然、愛着がわくということなのか、「つぶくさん」との別れが寂しい。手持ちの紺基調のスーツが、ほかになくなってしまうということもあるけど。

ものに執着しない。思い出に執着しない。それはそれでステキなこととも思うんだけど、ものを通して、これまでの自分を見つめ直すことを、自分はやってきたなあと。だからそういうものとの別れが、一段と寂しさを募らせるのである。


ところで「つぶくさん」は元気なのだろうか。2011年当時に64、5歳ぐらいの人で、加齢臭がきつすぎる人だった。


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mare

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