あれこれ雑記帳

ROM大歓迎!!
でも一言いただけると嬉しいです(*^_^*)
BBS


2007年03月19日(月) 今日は

OL時代のお友達と美味しいランチの後、ゆっくりおしゃべり♪

ゆっくりし過ぎちゃって、後でとんでもない事になっちゃったけど(爆)
明日もヒロの高校の説明会なので、またバタバタ〜・・・
日記は後日になるかもですm(__)m



越後の孫の母親(違)から素敵な贈り物が
激・良い香り〜癒されます。
どうもありがとうございましたm(__)m



2007年03月18日(日) 12年目の卒業 その2

12年前。ユータはピカピカの1年生だった。
エネルギーの有り余るユータをどうにかしようと、幼稚園の時は
園に出入りするスポーツクラブのサッカーに月謝を払って入れていた。

その時一緒だったメンバーで「小学校のスポ少は3年生からだから1,2年のうちは
自主的に土日に練習しませんか?」
と声掛けをして音頭を取ってくださる保護者の方がいた。
だから1〜2年の頃はグラウンドの隅を借りて親が交代でコーチをしていた。
そのお陰で、ユータの学年の親は母親同士はもとより父親同士も大変仲が良い。

それから正式にスポ少に入団して。試合当番や役員生活が始まったんだよね〜(^^ゞ

倒れそうになるほど暑い真夏のグラウンド、アイスノンで首を冷やして
応援したっけ。
用意した氷が足らなくなって、何度も何度も暑い中氷を買いに
会場とコンビニを往復した事もしばしば。

凍えそうなほど寒い冬の日。ダルマストーブを持ち込んでそれでも寒くて
体中にホカロンを張ってこなしたお茶当番。

一番辛かったのはヒロが5年生の頃だったかなぁ?
真冬の雪の中の試合中、雪が雨に変わってしまって・・・
子供達はびしょ濡れ、ハーフタイムにベンチコートを着せたらそれもびしょ濡れ。
それでも試合は中止にならず、試合後ガタガタ震えながら青い顔をする子供達を
どうする事も出来なくて涙が出てきちゃったっけ。

思い出してみると本当に、本当に色々な事があった。
自分の体調が悪くて辛い時もあったし、兄弟二人がスポ少に居た時は
お当番ばかりで、家の中の事が出来ずにイライラした事も沢山あった。
それでも頑張ってこれたのは、何と言っても子供が頑張っていたから。
滅茶苦茶サッカーが好き〜!と言う風にはとても見えない息子達だったけど
それが証拠にユータもヒロも中学ではサッカーやらなかった(^^ゞ
辛いとも辞めたいとも言わず、黙々と練習に通い続けたよね。
3人とも。
暑くったって寒くったって、時には風邪を引いていても時間になると
サッカーの練習に出掛けて行くんだもの。
これはいつも「すごいなぁ〜」と感心していたんだよ。子供達の前で
決して口にはしないけど(爆)

子供達も得たものが沢山あったと思うけれど、それ以上に夫や私が得たもの。
これが大きかったと今は感じている。
特に夫は子供の友達の父親と友達になれた事が非常に嬉しかったらしい。
父親同士は中々そう言う機会に恵まれないからね。

辛く、楽しく、苦しく、喜びに溢れた12年が昨日で終わってしまったんだよなぁ。
まだちょっと実感が無い。
きっともう少ししたらポッカリと胸に穴が開いたような気持ちになるよ・・・!
と先輩お母さん達から言われたけど。
そうなのかなぁ?(^^ゞ



2007年03月17日(土) 12年目の卒業 その1

今日は末っ子のスポ少の退団式の日。
同時に私のスポ少生活12年の終わりの時でもある。

午前中はお別れ親子サッカー。
夫が仕事だったら私が出るようかな?と覚悟を決めていたんだけれど
幸いお休みだったので、私は後からコーヒーを抱えてゆっくり参観(笑)

お別れサッカー恒例の6年生vs保護者&コーチ
もう6年生にもなると体格も大人に負けない子も出てくるし
蹴るボールにも威力がある。
日頃運動不足のコーチ&保護者の面々は必死必死(笑)

最初はそれほどでも無かったけれど、点が取れない事が判ってくると
だんだん手段が姑息に・・・(^^ゞ
応援する私たちが「大人気ない〜!」って叫ぶ事もしばしばだよ(呆)

結果は1−1の同点。
低学年の時はおかーさん達が相手でも十分だったのに・・・成長したんだね。

午後は子供達とコーチの卒団式。
3年生の時からタケ達の指導をしてきたSコーチは涙涙。
子供達に泣いてる〜!って指差されたら「花粉症だ!」って誤魔化していたわ(笑)
もっとも指差してたのは低学年の子供達。
6年生はきっと意味がわかったんだろうね。誰もその事には触れてなかったよ。

そして、そして。
いよいよ夜は保護者とコーチ達のお別れ会。
ユータの時、ヒロの時。過去2回送り出された訳だけど
子供は卒団しても親は下の子がいるからUターン(笑)
嬉しくはあったけれど、感動〜!と言うほどではなかったかな。

でも今度はUターン無し。
もう二度とこう言う場に来る事はないんだもの。

コーチ達の所に今までのお礼を申し上げようと、お酌に行くと必ず
「ユータが入団した時はお囃子さん、一番若いお母さんだったのにねぇ〜!」
って。
「それが12年でこんなに立派なお局様になって・・・(泣)」

泣かなくて良いからっ!てか、お局様って・・・( ̄ヘ ̄)凸
まぁでも無理も無し。ユータが小1でサッカーに携わった頃。
確かに私は若かった。い、今だって・・・!(無理)
上にお子さんがいらっしゃる先輩母の使いっぱをしていたような。
それが今は若いお母さん達を顎で使ってるって?


そんな事アリマセン・・・(嘘)



最後に保護者一人一人が『一言』言って行ったんだけれど、
皆、涙涙。
私の前のお母さんなんて嗚咽をもらしつつの挨拶だった。
ヤバイ。次は私じゃないの!!

この12年の思い出が走馬灯のようにあれこれと浮かんでは消え・・・
でも今それを口にするとホント涙が出てきそうだったら、
なるべく簡潔に。そして単純に(笑)
泣いたら滅多にしないフルメイクが剥げるから耐えた!




明日に続く・・・(イランて?)



2007年03月16日(金) 昨日の話

昨日の卒業式。受付を済ませると、ユータ達と同じく子供から親への
メッセージカードを渡された。

ユータの時は素晴らしい文章が並んでいたけど、親同士見せ合ったら
何人かで殆ど同じ文章だったので「パクったな・・・(怒)」と直ぐに判った(爆)
さて、ヒロはどんな言葉で呆れ感動させてくれるんだろう?

・・・突っ込みどころ満載(爆)
まぁでもヒロなりに色々考えて書いてくれたんだろうなぁ〜と思って
プチ・感動プチかよ(苦笑)
最後の方には

これからもお世話になるのでよろしくお願いします
まだまだお世話になりますの予告アリ

卒業式の後は家でゆっくり通知表や返されてきた色々な書類を見て爆笑!
まずは英語の授業で、自分で出来たところ駄目だった所、反省、質問、感想を
書く欄があってね。それに対して先生が赤字でコメント入れてくれてるの。

今日は眠くて授業に集中できなかった。明日は頑張る。 頑張れ〜!

思ったより小テストの点が取れてよかった。次も取るぞ! その調子♪

・・・やっぱりダメだった。オレ、頭悪い? そんな事無い!次こそ!

9回も手を上げたのに1回しかさされなかった。落ち込む。 ごめん〜!

疲れた・腹減った・眠い。   今日は早く寝よう!給食いっぱい食え!

等々。そしてノートの最後に
「ヒロが1年生の時の一学期の中間テスト。よーく覚えてます。
『Iam a girl』を日本語に訳す問題で『私は地雷です』と訳したよねー!
マジボケなのか冗談だったのかいまだ謎です。その明るさと努力の精神で
これからも頑張れ!」

先生もこんなおちゃらけた奴に良くお付き合いくださいました(多謝)
って、何で「girl」が地雷??

「だってオレ「girl」が女ってわからなくて「gとiでジ・・・だから
その流れで「girl」・・・地雷?って思ったんだ〜!」

ヲィヲィ(;´д` )最後まで英語の成績が悪かった理由を垣間見た気分。

そして3学期の国語の期末テストの回答。
ざっと見たところ、一箇所大きな×印とともにやはり赤字で何か書いてある。
何故にこんなに大きな×?

テスト問題が無かったからどんな問題だったのかは不明だけれど
答案に一緒に添付してあった模範解答には
『ゆとりのある時』(ゆったりした気分の時・など)
と書かれていた。

ヒロの答えは『余裕こいてる時
大きく×がしてある隣に「意味としてはわかりますが、『余裕こいてる』は
辞書には載っていない言葉です。よって国語では間違いになります」
と書いてあった。

そして答案の最後に「ヒロはテストに名前を書かなかったり、今回みたいに
ボケ回答をしたと思えば、去年のテストの中で学年212人の中で一人だけ
正解という快挙も成し遂げましたね。何事ももう少し真面目に取り組めば
もっと伸びるはずです。高校での活躍を期待します」

そうですか。名無しの権兵衛だった事がありましたか←知らなかった
本当にこの人は。。。(;´д` )

最後に一番受けたのは通知表。
オタッキーな担任、皆に同じ言葉を贈っていたんだけれどその中の一文に

「『我が人生に悔いなし』とは北斗の拳のラオウの言葉ですが、皆さんも
この先後悔することの無いよう、日々努力してください」

と言うものがあった。

「・・・ラオウって誰だよ・・・」←byヒロ

「ラ王?」←byタケ

先生ってば最後まで・・・(笑)
昨日は子供達だけでお別れ会をやろう!と卒業式のあと
ボーリングとお好み焼き屋さんに行ったヒロのクラスの仲間達。
その打ち合わせを教室でしていたら先生が
「これ使いなさい」ってダイソーの財布(笑)を差し出したんだって。

「そしたらそこに一万円入ってたんだよ!俺達ビックリ!!」

へぇ〜〜〜。そりゃ太っ腹。私もビックリ。
今日になっても「まだ卒業した実感はないなぁ〜。なんか学校無くてつまらないなぁ〜」
と言うヒロ。

私が思っている以上に充実した3年間が送れたのかもしれないね。



植えっぱなしのムスカリが顔を出してたわ。
いつの間に・・・(^_^;)




2007年03月15日(木) 祝*卒業!

今日はヒロの中学の卒業式。

全くダラケタ雰囲気から3年前に始まったヒロの中学生生活。
ヌルイ部活の陸上部に所属し、楽しくダラダラ練習して、時々サボって
大会前だけ別人のように練習して。

日頃の授業では崩壊してしまう教科もあったり、あんなことぉーこんなことぉー。。。
あったでしょぉー(涙)
最初のうちは先生方も方針がバラバラで、本当にまとまりの無い
「史上稀に見る極悪学年」と言われ続けた2年間(酷)

それが3年生に上がる時「こりゃだめだ!」と学校側でも大きな改革を実行してくれて、
同じく生徒側でも「このままじゃだめだ!」と気がついて
「お互いに変わりたい」の部分が一致したんだろうね。

受験が始まる頃にはとても雰囲気の良い学年になっていたよ。
個々諸問題は発生していたけど
PTA側も学年委員長さんを先頭に、一生懸命学校と連携を取り合っていたもんね。
やっぱり大人がしっかりと見守れば子供って軌道修正なんて簡単に
出来るんだなぁ〜って思ったよ。

本当に立派な素敵な卒業式だったなぁ。

特に元生徒会長のS君の謝辞がすばらしかった。
しっかりした文章を考え付くんだなぁ〜と感心していたら、途中声が震えて
詰まり出してしまったの。

後で知ったんだけれど、実は彼の家は母子家庭で彼は仕事で忙しいお母さんに
負担をかけまいと、部活でお弁当が必要な時には自分でおにぎりを
作って行くような孝行息子なんだって。
その彼も県外の高校から部活でスカウトされて、今月末からは寮生活が待っている。

謝辞の中で「お父さん方、お母さん方、ありがとうございました」と言う
くだりがあったんだけど「お父さん」って言葉を口にした途端言葉が
出てこなくなってしまったんだよね。
残していく母親を思い、天国にいる父親を思い、涙が止まらなくなってしまったんだって。

それから彼は式が終わるまでずっと泣きっぱなしだったよ。
でも謝辞は詰まりながらも大きな声で自分の気持ちを伝えていた。
すごく立派だったよ。最初から事情を知っていた保護者は皆泣いていたよね。
わたしゃあまりに立派な謝辞に感動して泣けた

この後、卒業生で大地讃頌を合唱。これもとても素敵な歌声だった。
そして保護者代表の謝辞。
最初はね。比較的ありきたりの言葉だったんだけれど・・・
途中から何故か歌に。

保護者代表で謝辞を述べてくださった学年委員長さんって、実は音大で声楽を
学んで昔某合唱団に所属していてN●Kのみんなの歌等で歌ってらした方なのね。
流石にお上手な訳なんだけど、その歌の歌詞がまた泣かせるのよ。

おかあさん(音出ます)と言う歌。
彼女の澄んだ歌声と会場の雰囲気と、全てが感動的でまたもホロリ・・・と。
生徒もこの歌を聴きながら泣いてる子が多かったわ。
撮影に来ていた地元テレビ局のカメラマンも泣いていたのを私は見逃さなかったわよ(笑)

夜になって歌を歌った委員長さんの所に「素敵で泣けた」と
思わずメールしてしまったわ。だって本当に感動したんだもん。
大人になって、こんな風に感動したり、感激したりする事って段々少なく
なって来たように感じるんだけど、
子供のお陰で十分に味わう事が出来たよ。

ホント良いお式だったなぁ〜・・・


 < 過去  INDEX  未来 >


お囃子 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加