せきねしんいちの観劇&稽古日記
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一日、部屋にこもって、台本に向かう。「贋作・Wの悲劇」ともう一つ年内締切のもの。 昨日一昨日と見た舞台がカラダのなかにいっぱい残っていて、何を書いても、これが自分の言葉なのか?と自問してしまう。 「贋作・Wの悲劇」用の音データをメールで送る。最初のプランでは、「コーラスライン」のナンバーをメインにという予定だったのだけれど、「知らない曲は微妙かも」と思い直し、「ウエストサイドストーリー」のナンバーがメインになりそう。 夜、篠原さんと電話で打ち合わせ。12月8日のリーディングの台本と富士見丘小学校の話。一度会って打ち合わせすることに。 録画していたドラマ「野ブタ。をプロデュース」を朝方まとめて見てしまう。 今クール、ちゃんと見ているドラマのひとつ(あともう一つは「宮廷女官チャングムの誓い」。 「すいか」で大好きになった木皿泉のシナリオが、今回もなかなかおもしろい。 いじめの問題を扱って、相変わらず日テレの土曜九時は、冒険していい枠なんだなと思う(先クールは「女王の教室」だもの)。野球が終わったので、時間がずれることもなく、しっかり見ることができるのは、とてもうれしい。 「この子たちって誰?」だった、若いジャニーズ男子2名を見ながら、「今の若い子ってこうなんだ」と思うくらいにはなった。まだ、名前はちゃんと書けないけど(亀梨くんだっけ?)。 教頭役の夏木マリがやりたい放題なかんじがいい味。こちらもようやく「湯ばーば」じゃなく声が聞けるようになってきた。
| 2005年11月19日(土) |
ボタタナエラー「バーハイレ」 |
森川佳紀さんの出演する舞台を見に、目白と椎名町と下落合の中間のとっても不便なところにあるシアター風姿花伝へ。椎名町の駅から歩いてたどり着いた、初めての劇場は、とってもきれいな空間でほっとする。 レゲエバーを舞台にした、そこに集まる人たちのお話。というか、お話のようなものがドカンとあるわけでなく、人々のその時々の姿が断片的に描かれる群像劇。 行き当たりばったりのようで、じつは緻密に作られている台本が、僕はとても好きだ。俳優さんたちも、その場でだらだらとおしゃべりしているようすに嘘がなくて、好感をもった。男優陣が、二枚目というのではないけど(ごめん)それぞれみんな「いい男」だったのもうれしい。 一番驚いたのは、劇中ずっと流れるBGM。バーだから音楽が流れるのは当たり前なのだけれど、ずっと流しっぱなしの音楽というのは、芝居としてどうなんだろうと、初めはちょっと心配した。 でも、芝居が進むにつれ、音楽は全然気にならなくなった。不思議な経験。劇中では軍歌も流れるのだけれど、そのときの音楽の聞き方と、ただ流れているBGMのスカやレゲエとの違いを、耳が聞き分けているかんじがおもしろい。これもある種の観客参加といえるかもしれない。 右翼の人たちがいっぱい出てくるわりには、右翼の話では全然ない(あ、全然でもないか)。右翼をしながらラーメン屋をやってたり、元組長の娘がとっても普通のおっとりしたお嬢さんだったり、はしばしで人間がとてもちゃんと描かれている。派遣OLのおしゃべりもなかなかに生々しい。 人間が書けていて、その人がちゃんとそこにいれば、ストーリーの引っ張る力は、別に必要ないんだなと思った。観客は、お話を見たいんじゃなくて、生きた人間を舞台に見たいんだなと思った。 二人きりの場面で語られる、いくつかの恋のありようが、それぞれとてもよかった。右翼の塾長とお嬢さんのあわい恋のやりとり、気の弱い弁護士と派遣OLの恋の始まり、そしてトラブルに巻き込まれる跡取りでない、社長の次男とその妻の倦怠と連帯、バーの店長と帰ってきた昔の男との気持ちのすれちがい。 終演後、森川くんとごあいさつ。帰りは、一緒になったマミー、ヤマガタくんと、目白駅まで歩く。いい芝居を見た後は、全然平気なJR目白までの徒歩十数分。でも、ツライ芝居を見た後は、わりと近くの椎名町の駅にさっさ向かってしまいそうな、そんなシビアな劇場だなと思った。
| 2005年11月18日(金) |
青年座「パートタイマー・秋子」 |
久しぶりの本多劇場。駅前のペルモビルがすっかり様変わり。居酒屋やバーが入っていてびっくりした。 で、「パートタイマー・秋子」。スーパーのチラシのようなフライヤーで、軽めのコメディを想像していたら、おもいきり裏切られる。 下町のスーパー「フレッシュかねだ」を舞台にした、権力争い。スーパーの店長が誰になるかというかけひきや、パート仲間でのいじめや派閥、とっても身近な「政治」の話。まるで、シェイクスピアの歴史劇みたいだなとちょっと思った。 あきらかにパッとしないスーパーに、あきらかに負け組の人たちが吹きだまってる。その中でおこる、とてもみにくい、でも、切実な争いが、ほんとにおかしく描かれる。 誰も完全には正しくない、でも、正しく生きたい、嘘をつきたくない、でも、いけないこともし、嘘もつかなければ、生きていけないという切実さが、おかしさにつながる。 このあいだの「歌わせたい男たち」同様、誰にも肩入れしない、クールな視点で書かれた台本がみごとだ。 こういう話は、テーマや言いたいことが勝ってしまって、「ああ、それがいいたかったのね」と思わされておしまいということになりがちな気がするけど、見終わった後、「言いたかった」ことは言葉としては何も残らない。この残らなさが、もしかするとおもしろい芝居の醍醐味なのかもしれないと思った。一言では言えないものを、2時間かけて芝居にする。そのことこそが。 客席の年齢層はとっても高め。芝居は若い人たちのものばかりじゃなくて、こういうものもちゃんとあるんだというのが、とてもうれしかった。 見ている間はゲラゲラ笑って、カーテンコールのあとに涙が出てきた、そんな芝居。出演の小豆畑くんに、お疲れさま、いい芝居をありがとうとメールを送った
今日はまた新しい課題。「エモーショナルプリパレーション」。 先週の「作業」は続行。今度は、相手としてコールする人の側の課題。 ドアの外からノックして入る。そのとき、外で感情を準備してくる。 メンタルなものでも、フィジカルなものでもいい。 感情を動かして、エンジンをかけることが目的。 外で準備をしても、中に入ったら、全部忘れて目の前のことに集中して、コールをしていく。 僕にとっては、初めての作業。先週考えた、DMの挨拶文を書くということをやってみた。途中で、時間内にいけてしまいそうだということがわかってしまい、または、集中してやり終えなくてはいけないという緊迫感が希薄になってしまって、やや言葉のやりとりがメインになってしまったような印象。途中で挨拶文をシンプルにしてしまったことも反省。 次回は、最後まで妥協できないものを選ぶように言われる。 外から入ってくる方の役割もやってみる。メンタルなものは、どうしていいか正直わからなかったので、とにかく走ってみた。花伝舎の廊下を一走りし、やや足りない気分だったので、外に少し出てみる。 部屋にもどったときは、かなり息が上がっていたのだけれど、カラダの問題よりも、走っていたときのてれくささのようなものの方が、カラダに残っていたようなかんじ。 相手役のジョニーさんに対してのコールがやや細かく変化しすぎていて、「本当にインパクトがあったの?」と言われる。こっちでも、やりとりをしようとしてしまいたがっていたと、また反省。 コールを細かく変えないこと。 マイズナーさんの言葉「セリフは感情の川を流れる小舟」。まず感情があるんだということをカラダにしみこませていくワークショップなのかもしれないと、ぼんやり思った。
| 2005年11月16日(水) |
富士見丘小学校演劇授業打ち合わせ |
これからの授業と卒業公演の舞台の打ち合わせ。 授業とは別に、どうしても、一度ちゃんと時間を持ちたかったので、先生方にお願いして、時間をつくっていただいた。 前回の授業以降の子ども達の様子が聞けてうれしかった。 全体の構成と、これからのスケジュールの確認をする。 他の行事や、受験を抱えながら、6年生はほんとにタイトなスケジュールだ。もちろん先生方も。 その中で、どうしたらおもしろいものを楽しくつくりあげることができるかをみんなで考える。 いろんなアイデアが登場、やれそうなこともいろいろ。 この時期に、具体的に見えてきている、そのことがうれしい。 駅までの道を田中さんと篠原さんと歩く。 田中さんは、扉座の新作に久しぶりに役者として登場する。そんな稽古の話をいろいろ。これは見に行かないと。 篠原さんと、「非戦を選ぶ演劇人の会」のリーディング台本の構成について相談。次回の授業は12月8日、その日の夜がリーディングの本番だ。まずは、それぞれできることから。僕は、「贋作・Wの悲劇」とずっととりかかっている台本のめどをつけないと。
今年のgaku-GAY-kaiの演目は、「贋作・Wの悲劇」。このあいだ、ちょっと若い人たちと話したら(10代から20代前半)、あんまり知られてなくって、ショックだった。名作だよね?(>30 代から40代のみなさんへ) 僕は、わりとリアルタイムで見た覚えがあって(でも、たぶん名画座)、そのときの印象は、「演劇」についてずいぶんしっかりと書かれた脚本だなということ。あ、その前に、何の予備知識もなくて、夏木静子の原作を読んでから見たら、ほんとに劇中劇としてしか登場しなくて驚きもしたんだった。 当時、とっても好きだった加藤健一さんが書いた「俳優のすすめ」という本のなかの言葉が、いっぱい盛り込まれていて(世良公則のセリフね)、あららと思ったり。劇中に登場する「海」っていう劇団は、「ガラスの仮面」の「劇団つきかげ」や「オンディーヌ」みたいに、絵空事、もしくは理想郷の演劇を体現しちゃってて、当時でも、かなりうさんくさく見た覚えがある(今は、かえっていとおしい気がするけどね)。 とにかく、僕は、まだ二十歳そこそこで、まだ劇団の養成所にも入ってなかったから、今より、ずっと「お芝居の世界ってなんてすごいんだ!」という視線で見てた気がする。 で、今の僕にとって、この映画のおもしろいところは、トシを取るにつれ、おもしろいなと思うポイントが変わってきたことだ。 芝居をやめようかどうしようか考えていた頃には、世良公則のセリフがとってもしみた。つきあってた相手ともめてた頃には、「芝居をとるか、自分をとるか」というようなことを、実際に言われて、「わ、『Wの悲劇』みたいだ」と思ったりもした。喧嘩の最中にそんなこと考えてるくらいだから、僕が芝居をとったことはいうまでもない。 すっかり芝居ばっかりの暮らしの今になって、ようやく、この映画をシンプルにおもしろがれるようになったのかもしれない。何年か前だったら、やっぱりこの映画をとことんおもしろがることはできなかった。薬師丸ひろ子の役がなまなましくて。 でも、今は、この映画の三田佳子をおもしろがってしまえる。存分にね。 こんな女優いるんかい?というぎりぎりの線で「あり」になってるのがすごい。 セリフも、ほんとうに真剣に書いてるの?というくらい、イカしてる。 僕がこの映画の三田佳子を再認識したのには、札幌のジュソくんの役割がとっても大きい。札幌に行くたび、東京で公演を見に来てくれるたびに、三田佳子の名セリフを「演じて」くれたからだ。 「そういうとき、オンナつかいませんでした?」「私はそれでも舞台に立ったわ、血にまみれて」「あー、もう私だめだわ、ただの女になっちゃう」 まさにゲイが好きな女優の要素のあらかたが、三田佳子演ずる羽鳥翔という女優にはブレンドされてる。 それと、高木美保のヒールぶりも、もとい、高木美保を陥れる三田佳子のヒールぶりも、なんてイカしてるんだろう。このへんは、郡司明剛さん改めしいたけをさんに学んだところが大きい(*しいたけをさんは、今回、高木美保の役です)。 「Wの悲劇」の各シーンは、もしかすると、ゲイカルチャーの無形文化財のようなものかもしれない。本編の中にはゲイのゲの字も登場しないけど、あちこちのバーや、友達同士のおしゃべりの中で、みんながいちどは聞いたことのあるセリフの数々。それを今回、思う存分遊んでしまおうと思う。 去年の「贋作・毛皮のマリー」も女優が登場するバックステージものだったけれど、今回はもっとストレートなものになりそうだ。 とりあえず、同じ頃に公開された角川映画、原田知世主演の「時をかける少女」もちょっと盛り込んで、にぎやかなミュージカルにしようと思う。 稽古は来週の日曜日からはじまり。今年もまた、ナンバーのキーの確認をして、歌稽古から始まりそう。 すすみぐあいをややネタバレありで、この日記で紹介していこうと思うので、よかったらどうぞご覧下さい。 「ストーリーはみんな知ってるでしょ?」という前提でのお遊びなので、「『Wの悲劇』ってなあに?」という人は、ビデオorDVDで予習しておいてくださいね。その方がきっとおもしろいから。
gaku-GAY-kaiのフライヤー、今年はウラに出演者の写真を載せることにした。みんななかなかおもしろい写真。基本的にこれまでのgaku-GAY-kaiの舞台写真を選んだので、懐かしい顔がいっぱい。 トシくんこと水月アキラは、「贋作・大奥」のアフロな腰元。荒くんのは「贋作・犬神家の一族」の立花署長役で、おやくそくの「よーし、わかった!」と叫んだところ。小林くんも「贋作・大奥」で、本当はオンナなんだけど男装して連れて来られて、家光と結ばれるという設定の、じつは男な役者役(あとで妊娠したりしたね)。郡司明剛さん改め「しいたけを」さんは、同じく「贋作・大奥」のとびきりのヒール、阿茶局(あちゃのつぼね)の楽屋での一服姿。 僕とマミーは、それぞれ去年の「贋作・毛皮のマリー」から。エスムラルダさんも「撮影所の怪人」役で歌っているところ(ミュージカルなので)。 今回、初めて出演してもらう「劇団おちないリンゴ」の三人からも写真が届く。彼女たちは、今年の4月の青年座のスタジオの舞台でご一緒した。養成所が舞台の「Wの悲劇」に、今年の春に卒業したばかりの彼女たちに出演してもらおうと思って出演をお願いした。 「おちないリンゴ」の旗揚げ公演は、11月30日、12月1日の両日、OFF・OFFシアターにて。HPのアドレスはこちらです。
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