せきねしんいちの観劇&稽古日記
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千石にある三百人劇場はほんとひさしぶり。最後に来たのはもう十年くらい前の円の「リア王」だったと思う。 この舞台は、ディートリッヒ主演の映画「嘆きの天使」を原作であるハインリヒ・マンの小説も元にしながら舞台化してます。 感想はね、「こんな芝居してても大ジョブなんて、すごいな」ってところかな? 台本も演出も、とっても中途半端で、何をしようとしてるのか、何を見せようとしてるのかよくわからない。 わからないってこと以前に、ちゃんと「楽しませて」くれれば、全然OKなんだけど、そんなことを考えさせてしまう「隙」がいっぱいだ。 高校教師を魅惑して破滅させる、映画ではディートリッヒが演じたローラを演じてる女優さんが、あんまりセクシーでないとか、妖しくないとかいう問題じゃなくって、芝居としてどうなのかしら?と思ってしまったよ。 こてこてのメロドラマとして作るなら、もっと開き直った方がいいんじゃないかな? 台本はどう考えてもそういうふうに書かれてるしね。 でも、演出がきちっと押さえるところを押さえてないと思うんだよね。 メロドラマってやつのいいところは、とってもわかりやすいってことだ。 今日の舞台がわかりにくいのは、台本がちゃんと書けてないってこともあるけど、演出が「わからせる努力」「見せる努力」をしてないからだと思う。 もっとおもしろくなると思うんだよね、きっと。 教授役の内田稔さんはとってもいい芝居をしてるんだけど、よくわからない。 やってることがじゃなくって、彼の役が芝居のなかでどういう意味を持ってるかっていうような、演出家じゃなきゃできないことがちゃんとなされてないかんじ。 三百人劇場という、いい大きさの小屋なのに、こんな大味な演出はとってももったいないと思う。もっとダイナミックにショーアップするか(わかりやすくね)、もしくは緻密に緻密に作り上げるか、どっちかだと思うんだけど。 冒頭のカフェで出てくるコーヒーは、空のカップなのに、そこに入れる角砂糖はほんもの。 水が嫌いなの?と思ってたら、その後では、一座の座長が洗面器に入った水でスキンヘッドの頭(or顔)を洗ってた。 空のカップに角砂糖の入る「カラン」って音が聞こえるのはやっぱりどうかと思う。 舞台の約束といえばまあそうなんだけど。だって、角砂糖をかじる「ぽりぽり」っていう音も聞こえるんだから。 文化庁芸術祭参加作品で、文化庁の助成も受けている舞台です。 「いいな新劇って」って、思いました。ほんと。 帰ってきたら、NHKでディートリッヒのドキュメンタリーをやってました。 比べてもしょうがないんだけどね。それにしても、すごい女だったんだね、ディートリッヒって。びっくり。 僕は、晩年の「ラスト・ジゴロ」のなかで彼女が歌う「ジャスト・ア・ジゴロ」って言う歌が大好きです。
今日の稽古は大人数。 このところおやすみが続いてた高市さんにまみー。客演の舞台が終わったばかりのよしお。プラス、遊びに来てくれたウスイさんこと青山吉良さん。そして、いつもの面々。っていうのは、僕と早瀬くんと、新人の3人=ふっちーと井上くんと細川くん。 計9名!! いつもの基礎トレの後、新人組の課題「外郎売り」のラストまでを各自発表してもらう。 このパートのチーフ(?)は早瀬くん。 みんなよく覚えたね。今日は動きながら、しゃべってみるというおまけの課題つき。 これからはみんなで一緒にいろんなことをやっていきましょう。 そのためには覚えてもらわないといけないんで、そのためにややスパルタ気味に課題を出していったわけだからね。 後半は、「エレクトラ」。この間、出した宿題は、クリュタイムネストラとエレクトラの「後悔」の場面まで。っていうと、よくわからないけど、二人がそれぞれ、「私は進むべき道を見失ってしまった」とか「これは本当のエレクトラじゃない、本当の私はこんな女じゃないわ」って言うところ。 それまでずっと相手を非難してほとんどののしってた二人がふっと、自分の内側を見てしまうそんな場面。 まずはセリフの確認。さすがにみんないっぱいいっぱいなかんじ。 今日は、前回いなかった顔ぶれが半分なので、台本を持ってもいいということでこの場面をやったんだけど、なかなかうまくいかない。 台本を「読みながら」相手に話しかけるっていうのは、なかなか難しい。それにできたとしても、やっぱりどこか嘘になってしまう。それでも、ウスイさんはきっちりやってくれてたんだけど、他のみんなは、自分だけでやってしまっていて、セリフが全然相手に届いていかない。 「だから、セリフを覚えてもらったんだよ」と新人くんたちに話す。 全員がクリュタイムネストラとエレクトラの両方をやったので結構時間がかかる。 もう一度挑戦してみることができないのが、残念だ。 人数の少ない稽古場は淋しいけど、実は少ない人数の方がじっくり稽古できるんだなと改めて思う。 最後に、この場面の最初のコロスのセリフをみんなで分けて、輪になってくり返ししゃべり、その中から、クリュタイムネストラとエレクトラが現れてやりとりを始めるというのを、早瀬くんのクリュタイムネストラ、僕のエレクトラでやってみる。 場面の初めから途中まで、時間にしては大したことないんだけど、次から次へと気持ちが揺れていく。 来週の土曜の稽古までにこの場面の終わりまでを覚えてきてねと宿題を出す。 その後は、チーム分けをして、この場面をそれぞれつくっていってもらうことにしよう。 帰り道、細川くんから質問される。 「毎回、違うことをやるのはなんでですか?」って。 たしかに同じ場面をいろいろなやりかたでやってる。僕が答えたのはこんなこと。 公演の稽古ではどうしてもこれしかやり方がないっていうような書き方を僕がしてしまうんだけど、その中でもいろいろなやり方があるっていう柔軟性を持って欲しいから、今、そんなやりかたをしているんだよと。 今やりたいのは「上手に読む」とか「上手にしゃべる」とかじゃなくって、ほんとに相手に届く言葉を発してもらうことだから。 芝居を始めたばかりのみんなにやってもらいたいのは、「らしくやる」ことじゃなくて、きちんとした思いを相手にぶつけることなんだよと、話した。 「セリフを覚えるのは何でですか?」という問いには、「これだけ稽古してたら、セリフ覚えたいと思わなきゃウソでしょ?」とややイジワルに答えておく。
ウスイさんの車に乗せてもらって、池尻の「テラカラ」に行く。 高市さんとマミーと4人で。 「テラカラ」はほんと十年からの付き合いになる唐子さんというイカしたお姉さんと寺田さんというお兄さんがやっている、素敵なお店だ。 ウスイさんはよく行ってるそうなんだけど、僕たちは初めて。 場所柄、足がないと行きづらくって。 唐子さんとたくさん昔話をして、フレッシュなスパイスをつかったグリーンカレーをメインにエスニックな料理をおいしくいただく。 帰りは高円寺まで来るまで送っていただいた。 車中ではgaku-GAY-kaiの話をいろいろと。 ウスイさんから、白いティーセットをいただいたんだけど、これがとっても素敵だ。 金の縁取りがついてるんだけど、落ち着いたいい金色でね。 中でも、大きなティーポットはすっごくいいかんじ。 ディズニーの「美女と野獣」のミセス・ポットみたいなかんじ。 「フタがないんだよね」というシュガーポットはおすすめのとおり花活けにでもしようと思って、今は僕の机の上に置いてあります。 ありがとうございました。
| 2001年10月19日(金) |
「アリーmyラブ4」「百物語」 |
第4シリーズがついに始まった「アリーmyラブ」。僕は、テレビドラマってほとんど見ないんですが、これだけは「録画しても」見てます。 こないだまで再放送してた第3シリーズでは、アリーもついに恋人ゲット!ってところまでだったんだけど、今日の第1話で、そのブライアンとの付き合いもジ・エンド。 イカすわ。そうでなくっちゃ。 ロバート・ダウニー・ジュニアが新登場。 アリーの同居人、レネのおっぱいはあんなに大きかったっけ? 今回もまた素敵な音楽がたくさん。 今日のヒットは、「we are all alone」でした。 真夜中に、BSで「白石加代子の『百物語』」を見てしまう。 浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」と筒井康隆の「関節話法」。 「ぽっぽや」は前にフライングステージの稽古で朗読のテキストとして使ったので、白石さんがどう読むか興味津々。 やっぱり、語るだけで見せてしまうのはすごい。 観客にも「見せて」しまうし、舞台上にないものも「見せて」しまう。 「関節話法」は、たくさんカラダを使っての大熱演。でも、その分、語りが弱くなったかな。もっと読み物としての面白さがあったと思うんだけど。 うちにはずっと昔にNHKのFMでやったラジオドラマの録音テープがあって、そこでは角野卓造さんがこのお話を朗読してる。 白石さんもおもしろいんだけど、語りのおもしろさっていうことで言ったら、僕は角野さんの方がおもしろかった。 また、聞いてみようっと。
| 2001年10月18日(木) |
color child「GANBA!」 |
お友達の青木さんからいただいたご招待で、うちの近くの明石スタジオへ。 初めて見る劇団。 青木さんは何度か出演しているそう。 今回もほんとは出てるはずだったんだけど、足を怪我してリタイアされたそう。 お話は、アニメや小説で有名な「ガンバの冒険」です(小説は「冒険者たち」っていったっけ?)。 僕は昔、劇団四季でやったミュージカルを見てるんですよ。 どっかのスタジオでオープニング(?)のナンバーを踊ったこともあるはず(♪行こうよ、仲間たち!♪って歌だった)。 舞台装置は何もなくて、出演者だけで全部の場面を作り出していく。 わりとずっと音楽が流れてるせいなのか、マイクを通したセリフがやや聞きづらくてね。 しばらくたってからずいぶん慣れたんだけど。 海の波も、そこに浮かぶ靴もみんな役者がつくりだす。 とにかくめまぐるしくって、出演者の運動量ははんぱじゃないかんじ。 とっても見応えがあった。 ただ、演技的にはどうなんだろう? 「ミュージカルの芝居」ってかんじだったな。 よく言えば、いいテンポで運んでる。悪く言えば、大味なかんじ。始まったら終わっちゃうみたいなね。ミュージカル特有のノリ。 音がなくなった芝居の場面は、もちろん芝居として成り立たないといけないんだけど、音が流れて踊ってる場面に比べて、ちょっと緊張感が薄らいでたかもしれない。 ボーボの役をやってた女性が、とってもいい味を出してた。 後半からラストにかけて、要の役になってくのもよくってね。 つい、ほろっとしてしまいました。 ディズニー映画の「ターザン」の音楽(だよね、フィル・コリンズの)に泣かされた部分もかなりあったかも。 確信犯で使ってる「ガンバの冒険」のジングルが入るのが、ご愛敬なんだけど、そのセンスを成り立たせるには、もう少し全体に「大人の芝居」になってた方がよかったかもしれない。 パロディとして成り立ってるんじゃなくて、まんまよりかかってるみたいだもんね。 ともあれ、つらい芝居をたくさん見てきた「明石スタジオ」でようやく、だいじょぶな芝居を見ることができました。よかった。青木さんどうもありがとうでした。
| 2001年10月17日(水) |
稽古日記再開「エレクトラ」 |
久し振りの稽古日記です。 今、フライングステージは公演の稽古じゃない、普段のトレーニングをしています。 週に2回ね。 ストレッチ、発声と、その時々に「やってみようか」と思って決めたテキストを元にいろいろとね。 今は、ギリシャ悲劇の「エレクトラ」をやってます。 紀元前5世紀頃に書かれたソフォクレス作の。 tptでデヴィッド・ルヴォー演出のを見たことがあるんだけど、今回は、「グリークス」っていう十本のギリシャ悲劇をまとめて一つの芝居にした中の部分。 去年、オールスターキャストで蜷川さんがやったよね。 英訳されたセリフはとってもあっさりまとまっていて、でも、基本的なスジは全く同じだから、稽古には最適。 これを選んだのは、「対立が厳しい」っていうのをやってみたかったから。 しかも「命がけ」みたいなね。 今フライングステージには新人くんが3人いるんだけど、彼らにまず、むちゃくちゃ厳しい対立っていうのをやってみてほしかったから。 ただ、だらだらしゃべってるのってわりとすぐできるんだけど、そうじゃなくって、ドラマを動かす根本ってやっぱり「対立」でしょ? どんなに「なだらかな」台本にだって、見えないところでの「対立」はちゃんとある。 おもしろい芝居ってそういうもんじゃない? でも、それがわかってないorわからないで作られてしまう芝居ってとってもつまらない。 そうならないように、そんな芝居をしないように、まずはじめに基本の基本を体でわかってほしいなと考えて。 「エレクトラ」っていうのはこんなお話です。ていうか、背景が複雑なので、大元のお話、「グリークス」だとあと2本の別なお話になるんだけど、そのへんから紹介しましょう。
トロイアへ連れ去られたヘレネを奪回するためにギリシャ軍はアウリスの港に集結。でも、トロイアへ向かう船団は風が吹かないので、船出ができない。総大将アガメムノンは神の神託に基づいて、自分の娘イピゲネイアを生贄にする。そのために、アガメムノンは「アキレウスと結婚させる」と嘘をついて、妻と娘をアウリスへ呼び寄せる。やってきた、妻クリュタイムネストラは、アキレウスから全てはアガメムノンの計略だと知らされる。何とか、娘の命を救ってくれるよう頼むが、アガメムノンは総大将として生け贄を捧げないわけにはいかない。イピゲネイアは全てを知り、生け贄として死に赴く。彼女の喉を切り裂いたその瞬間、イピゲネイアがいた祭壇には大きな牝鹿が倒れている。神は、イピゲネイアを殺すことを惜しんで遠くへ連れ去ったのだった。だが、クリュタイムネストラはそんな話は自分をだますための嘘だと言って信じない。彼女の夫への憎しみは募っていくのだった。(「アウリスのイピゲネイア」)
トロイアは破れ、アガメムノンは、戦利品であるトロイアの王女カッサンドラを連れて帰国する。クリュタイムネストラは夫を歓迎するが、カッサンドラを見ると顔色を変える。愛想良くもてなし、館の中へ迎え、浴室へ招き、そして妻は夫を殺す。愛人であるアイギストスと図って。アガメムノンが十年、国を留守にしているうちに、クリュタイムネストラはアイギストスと通じていたのだった。血まみれのアガメムノンの死体。一緒に殺されたカッサンドラも運び出される。怖れおののく民衆の前で、クリュタイムネストラは「私は当然のことをしたまで、娘を殺した男を今度は私が殺してやったのだ」と宣言するのだった。(「アガメムノン」)
そして7年が過ぎる。母親クリュタイムネストラに冷遇されているエレクトラは、父親の復讐を固く誓っている。彼女の頼みの綱は、異国にいる弟のオレステスである。妹のクリュソテミスは復讐など忘れて静かに暮らすことを勧めるがエレクトラはきかない。クリュタイムネストラも娘をなじる。そこへ、オレステスが流されていたポーキスからの使者が、オレステスは死んだという知らせを持ってくる。喜ぶクリュタイムネストラ。絶望するエレクトラ。そこへクリュソテミスが父の墓にオレステスの髪の毛が供えてあったと知らせる。エレクトラはオレステスは死んだのだからそんなことはないと言い、弟が死んだ今、頼りになるのは妹のクリュソテミスだけだと言うが、クリュソテミスはどうしても応じない。そこへオレステスの灰を持って使者が現れる。嘆き悲しむエレクトラ。だが、その使者こそ、オレステスその人だった。喜ぶエレクトラ。偽りの死の知らせで油断させて、復讐をとげようとするオレステス。彼は館の中へ入って行き母を殺す。息も絶え絶えで現れたクリュタイムネストラは「母親を殺せるのか?」と息子に命乞いをするが、オレステスは息の根を留める。続いて、戻ってきたアイギストスも彼は殺してしまう。悪は糾され、正義が戻ったと喜ぶ民衆たち。だが、オレステスは、そこに「復讐の女神たち」を見てしまう。狂乱するオレステス。エレクトラは「私たちを癒してほしい」とアポロンに祈る。コロスたちは「善と悪とは何? 私にはわからない」と語るのだった。(「エレクトラ」)
これまでの稽古では、主に妹のクリュソテミスとエレクトラの場面をやってたんだけど、このところは、エレクトラとクリュタイムネストラの母と娘の場面をやってる。 前回まではクリュタイムネストラの長セリフだったんだけど、今日はエレクトラも登場しての「対話」をやってみる。 前回出した宿題「セリフを覚えてきて」っていうのが、ちゃんとできてるかどうかを確認して、それから、いろいろやってみた。 輪になって椅子に腰掛けてね、まず、動いていいエレクトラと動いちゃいけないクリュタイムネストラ。二人以外はコロスとして二人を見てる(セリフはないんだよ)。 それから、その反対。エレクトラをみんなで押さえつけて、動けない、とらわれの状態にしてみた。ほとんど檻の中に閉じこめられてるみたいなエレクトラが、目の前を歩き回るクリュタイムネストラに「訴える」かんじ。 ただ座ってやりとりしても、相手に届かないセリフが、体を押さえつけたりすると、その反動として、きっちり前に飛んでいくようになる。 「押さえつけられて苦しい芝居」をされてしまったらどうしようかと思ったんだけど、みんな「真剣に」押さえつけてなきゃならないくらい、もがき暴れながらのセリフになった。 あちこちずいぶん痛くなったよね。 あ、僕も、みんなと全く同じことをやってます。 ていうか、そのための稽古なので。 今言えたようなセリフが誰にも押さえられてなくてもできるには、想像力が必要だよと話す。 エレクトラは、しばりつけられてるわけじゃないけど、気持ちとしてはほんとに囚われの身になってる気分じゃないかな。だとしたら、今みたいな強さでセリフが出てきてもいいわけだよね、と話す。 続きは、土曜日。 また、新しい「覚えてきてね」の宿題を出した。 新人くんたちは、他にも「外郎売り」を覚えるという宿題がある。 がんばってね。 「エレクトラ」では、台本を離して初めて感じられる、芝居のおもしろさを味わっていってほしいのでね。 もちろん、その楽しさは苦労すればするほど、大きかったりするわけだから。
って、さくさくあっさり書くはずが、こんなにこってりしちゃってごめんなさい。 これからは、もっと軽くなるハズですので……。
さかのぼって書き込んでますけど、実は今日からこの日記はスタートしてます。 「観劇・感激」日記がなかなか更新できないので、新しくこのスタイルで日記を書いていくことにしました。 この「エンピツ」というサイトを使うのはますだいっこうちゃんの真似です。 できるだけ軽いノリでラクに更新できるといいなと思ったんですけど、どうなることやら。 よかった芝居もそうじゃない芝居(!)も思ったことをどんどん書いていこうと思います。 以前のようにしっかり感想を書いてしまうことはできないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いしますね。
| 2001年10月14日(日) |
高校演劇&フラジャイル「アナトミア」 |
今日は朝から芝居漬け。 昨日の夜の稽古の後、新宿に出てきて、タックスノットへ。 その後、ラピスへ移動して、こたくんと二人で新しくオープンした「COCOLO CAFE」へ。 二丁目のA(エース)の並びのとってもおしゃれなカフェ。 ていうか、無国籍アジア料理がとってもおいしい。 朝ご飯を食べて、オーナーの川口昭美さんに挨拶して外へ。 日曜日の朝7時。明るすぎます。いい天気だし。 その後、僕は、高校演劇の地区大会を見に、月島の晴海総合高校へ行くんだったんだけど、やや時間が半端なので、ウェンディーズで一緒に時間をつぶしてもらう。 で、月島。ていうか、地区大会。 もんじゃで有名な月島ですが、僕は初めてです。 晴海総合高校は新しくできた高校で、とっても立派。 会場になってる講堂もちょうどいい大きさでいいかんじ。 僕の母校の都立小松川高校は2番目なんだけど、もしかして知ってる顔に会えたらうれしい!なんて淡い期待もあったんで、朝いちから来ちゃいました。 でもね、知ってる人はだーれもいなかった。 大体、高校演劇の地区大会自体がもう十年ぶりくらい。 僕は、現役の頃から地区のスタッフみたいなことをやってて、卒業してからもなんだかんだとお手伝いしてた。 だから、顧問の先生なんかもみんな知ってたし、その界隈の芝居をやってる人なんかとのつながりもあれこれとあった。 だけど、もう十年も経つと、すっかり様変わりしてしまうのね。当たり前だけど。 ていうか、同じ舞台を小松川の文化祭に見に行った時、受付にいた現役の子(演劇部)に「何年卒ですか?」と聞かれて、「昭和58年」と答えたら、「わあ、生まれた年!」って言われちゃったんだから。 前に、こんなふうに地区大会に来たのは、小松川が都大会に出場したとき、演目は別役さんの「赤ずきんちゃんの森のオオカミたちのクリスマス」だった。 裏の手伝いをちょこちょこしたり、ラストに空から降りてくる星球をつくったり、いろいろ関わらせてもらった。 当日は、突然、ゴミ袋にいくつもの「枯れ葉」を舞台に敷き詰めたりして、緞帳が上がった瞬間に客席にほんとの「森の匂い」が降りてきたっけ。 あのときの会場は、練馬の富士見高校。今はつかさんのところで活躍してる西沢周市先生に怒られた。直に枯れ葉を蒔くと土や砂がコンセントに入っちゃうから、地がすりしいてからにしてよって。当たり前のことなんだけどね、気付いてなかった。ほんとにごめんなさいだ。 今日は、その舞台に出てたOBが来てた。 芝居をやってたり、やってなかったり。でも、OB会のメーリングリストはとっても活発だ。 小松川の芝居は、「光射す夢消えぬ間に」っていう創作劇(作・長南陽文)。 背中に「巨大なほくろ」ができちゃった女の子が、友達に嫌われたくなくて、海に行けなくて、しかたなく、ホクロ研究所に行くんだけど、そこで、悪いやつらにねらわれてっていう、こう書くとほんと荒唐無稽なお話。 でも、とってもおもしろかったんだ。 終演後、少ししゃべったんだけど、文化祭の台本を、みんなで直して、三日前に完成したんだって。それってすごすぎ。 ていうか、そんなふうに芝居を「生きたもの」としてやろうとしてる感覚がとっても素晴らしいと思った。 納得のいかないものを、きっちり演じるより、少しくらい乱暴でも納得のいくものをやろうっていう心意気がね。 何より、舞台上でのやりとりが会話としてちゃんと成立してるのがすばらしい。 誰だかわからないところに話しかけてしまうのではなく、舞台の上で、語ってる相手にちゃんと届いてるセリフの気持ちよさ。 当たり前のことなんだけど、なかなかできないことだと思う。
で、午後3時開演のフラジャイル「アナトミア」。中野ポケット。 オール明けでかなり「へろへろ」だったんで、壁際の「邪魔にならない」ところに座ったんだけど、もう完全にやられてしまった。もちろんいい意味でね。 これはほんとに久し振りに「わあ、こういう芝居やりたい!」って思える舞台だった。
大学の医学部、解剖学実験室の春から夏の初めまでの物語。 解剖の実習に使われる死体(ライヘ)が運び込まれて、そして、骨になって運び出されるまでのお話。 死体の一つがなくなる……、彼女はどこに行ったのか? というお話かと思うとそうじゃなくて、死体を巡る医学生と担当教官とインターンたちの人間模様って言ったらいいのかな。 まずはじめにこの解剖学実験室は、その「臭い」のため周囲から煙たがらされてるってことがあって、その外界とのひりひりした感じがある緊張感を生んでる。 教官の一人、梶の姉は、脳死状態でいるんだけど、今、妊娠中でその胎児は今も生きている。 医学生の一人、神谷は同級生の成瀬との間に出来た赤ん坊を堕胎している。 死体がなくなったことをマスコミにかぎつけられてしまったので、急遽、梶の姉の話を美談として売ることが決定する。 実験室の入口のドアには、段ボール箱に入った防臭剤が山のようにつまれる。いやがらせだ。 そして、梶の姉の赤ん坊は生まれる。 全ての実習が終わり、ライヘは骨になり、骨壺に収まっている。 最後の場面は慰霊祭。みんな喪服を着ている。 一緒に姉の葬儀もしようという梶。 骨壺を抱えた一人一人が退場していって、幕。
僕はあらすじを書くのが苦手なんだけど、こんなにあらすじを書いても伝わらないと思った芝居もないです。 何がよかったんだろう。 もう、好きなんだよね、としか言えないくらい、好きな芝居です。 でも、わからないことはいっぱいある。 死体はどうなったのかとかね。 でも、どうでもいいような気がする。 だって、すっごいおもしろかったんだから。 終演後、台本を買ってきて、読み返したんだけど、やっぱりわからなさは残ってる。 でも、満足なんだよね。 「死」っていうものを、こんなに見てしまう芝居って初めてだったからかな。 「死」があって「生」があって、「性」もあるっていうのが、「はい、並べてみました」っていうかんじじゃなくって、きっちり描かれてたからかな。 好きな場面はいっぱいある。 この芝居の中では何度も地震が起こるんだけど(その度に天井から吊られてる電球が実にいい揺れ方をする)、一番大きな揺れの時、その場にいる全員が死体にとりつくんだよね。 台から落ちないようにっていうのはわかるんだけど、それがどこか、死体にすがってるみたいに見えてね。僕の席からは、明樹由佳さんの後ろ姿が見えたんだけど、必死にとりついてるその姿を見てたら、どうにも泣けてきてしまってね、困った。 梶が、脳死状態だった姉の死を語る場面もよかったな。 それまでの芝居とはちょっと温度が違う、ややエキセントリックな語りなんだけど、人工呼吸装置のスイッチを自分で切って、姉の手を握ると、体温が一度ずつ下がっていく。その「一度下がった」っていうセリフのくり返しが、もうたまらなかった。「クーラーを止めてくれ」っていうセリフもね。 つまり僕はかなり入り込んで見ちゃってたんだよね。 たとえば、劇中で雨が降るんだけど、その雨が僕には、ほんとの雨だって思えた。 舞台に降る嘘の雨なんだってこと、ちゃんとわかってるはずなのに、外からやってきた人達がそこに降ってる雨に濡れてるんだってことが、なぜだか信じられて。 変な言い方だよね。 それが芝居の嘘だから、そのつもりでいつもは見てるはずなんだよね。舞台の上に降る雨っていうのは。 信じさせようと思って、そういうふうな芝居をつくるんだけど、どこかで「芝居だから」って醒めてる。割り切ってる。 そんなことわかってる僕なのに、でも、この舞台に、正確には舞台の外に降ってる雨は、楽屋で一生懸命、髪の毛を濡らした水じゃなくって、ほんとの雨なんだって思えてしまったんだよね。夏の初めの午後に降り出した。 ていねいに説明されてるとは思えないそっけないセリフもずっと見てると実に用意周到に世界を組み立ててるってことがわかる。 さもないセリフをとってもていねいにやりとりしているかんじがとってもいいんだな。 役者さんたちは、明樹さん以外、全然知らない人達ばかりなんだけど、その明樹さんだって、いつの間にか、知らない人になっちゃってて、それもまた、芝居の中に入りこんでしまった理由かもしれない。入り込んでっていうのは正確じゃないな、きっちりと傍観してしまったっていうかね。 きっと好き嫌いの別れる芝居だと思うんだけど、僕は好きだなあ。 何より、ていねいにていねいに作られてるのがとっても気持ちいい。 ブルーライトの中、スローモーションで転換される場面も、下手したら嫌味以外の何ものでもないのに、きっちりとうまくいってる。 カーテンコールなしの舞台は、いつも「何で?」って気にさせられるもんだけど、今回だけは全然OKだった。 僕は完全にノックアウトされた舞台です。 今度はいつだか、わかってないんですけど、是非また行こうと思ってます。 役者さんたちの名前は一人も覚えてませんし、覚えようともことさらには思ってないんですが、信じられる人たちばかりでした。 って、ほめてばっかりですけども、ほんとに良かったんだよね。僕には、とっても。 おすすめの集団をまた一つ見つけました。
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