TOHGA嬢の生活



猫と私と会ったこともない彼女

2004年06月19日(土)

 先日、母から電話があった。飼い猫のノラが、猫エイズに罹ったというのだ。

 ノラは私の猫なので、母は聞く。

「最悪の場合、安楽死させても良い?」


 勿論、しょうがないよ。

 言おうとしたが、声が出ない。

 取り敢えず、現在はそこまで酷い状態ではないので様子を見る事になった。


 電話を置いて、しばし考える。

 猫エイズは唾液や血液を介して、他の猫に感染する。

 もう外へは出せない。家にはイチゴという猫がもう一匹いるから、ずっとケージの中だ。

 ケージは前飼っていた猫が子供を産んだ時に使用したモノで、縦横高さ1メートル程あるからそれほど狭いものではない。

 けれど、今まで自由に外へ出ていたノラにしてみれば不自由に違いない。

 病気はストレスで悪化するらしい。

「じわじわと死なせるか」「有無を言わせず死なせるか」

 ノラと話せれば良いのに。

 ねぇ、どうやって死にたい?

 私だったら安楽死だけど、その前に遣り残したことは片付けたいな。

 ねぇ、なにがしたい?


 母は言う、「でも、交通事故で死なれるよりは良いわ」

 そうかな?

 私は交通事故の方が良かったな。



 ノラの安楽死について考えているうちに、小学6年生という若さで同級生を殺した、彼女の事を思い出した。

 私が感じている枷の重さ、彼女には無かったのだろうか?

 本当に? 本当に? ほんの少しも?


目を逸らす

2004年06月18日(金)

 私が子供だった頃の話。

 私は怖い話や悲しい話が大嫌いだった。

 たとえば、「フランダースの犬」とか「小公女セーラ」とか、子供向けのアニメーションで主人公が辛い目に遭いだすと、テレビを消してそれ以降その話の続きを一切見ようとしなかった。

 私は物語に感情移入しすぎてしまうところがあり、その悲劇の主人公達の辛さには耐えられなかったのだ。

 困難や悲しみに対して逃げ腰なのは、大人になった今でも変わらない。

 辛いことには目を合わせない。

 哀しい現実は見ない振りをする。

 この前、誰でもない人に「現実から目を逸らすな」といった内容の言葉をもらった。

 私は言った

「無理です。私は死にたくありません」



 最近、私の周囲では会社を辞めたり、リストカッターになってしまった友人などが続出している。

 ふと思う。彼らと私の違いは、見ているか、見ていないかだけなんじゃないかと。

 だから私は彼らの脆弱さに呆れながらも、一欠けらの敬意と尊敬を感じている。

 でも私はそっちへは行きたくない。

 だから見ない。

 目を瞑ってお化け屋敷を駆け抜けるの。

 お化け屋敷の平気な人たちは言う。

「それってお化け屋敷に入る意味あるの?」


 ええ、ありますとも。

 「見ない」けど私は「逃げない」から。

 「逃げた」人だって、ちゃんと「見た」んだもの。

 でも、ごめんね

 私は「見ない」から、私は「逃げた」人たちが見た「怖いもの」の話も聞きたくないの。

「そんな怖いものなんて、何処にもないじゃない。なんで逃げるの?」

 って言ってしまうの。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!