TOHGA嬢の生活



シャンメリーで乾杯を

2003年12月19日(金)

 卒論提出、最終期限。

 前日から、体調が不調。

 原因は、不摂生と「あと一日」という気の緩み。

 前日、「これなら明日の期日に間に合う!」と思った途端、クシャミ・ハナミズ等の風邪の症状が現われた。

 体調崩して当然の生活をしていたのだから、昨日まででも、よくもった方なのだが、どうせなら今日までもって欲しかったと思う。結構辛い。

 朝起きて、朝食もそこそこに学校へ向かい、プリント、製本、資料用テープの録音。

 提出。

 どうやら私達のゼミが一番提出率が悪かったようだ。

 私は、締め切りのぎりぎり30分前に卒論の原本を教務課に提出し、副本を提出しに研究室へ行ったのだが、そこで受取人の助手さんに開口一番言われたのは、

「ねぇ、貴方と同じゼミの○○さんと、○○さんと、○○さんと、みあーんさんと、ナミさん、教務課に、いた?」

 である。

 私のゼミは、確か9人か10人だったはずだから、半数がまだ研究室に顔を出していないのである。

 助手さんが心配するのも当然だ。

「○○さんと、○○さんは、さっき教務課の前ですれ違ったので、間に合うと思います。○○さんは、去年も4年生だった人ですよね? あんま面識無いんで、分かりません。あ、みあーんはあそこで副本の表紙に名前書いてます。ナミちゃんは・・・」

 ナミちゃんは、結局、卒論を提出出来なかった。

 数日前から風邪か何かで倒れて、寝こんでしまっていたらしい。

 一緒に卒業できなくて、残念だ。

 とりあえず、卒論を無事に提出出来た事を祝い、みあーんとマナマナの三人で、生協でそれぞれお菓子と白葡萄の炭酸入りジュースを購入し、ども研の部室でしめやかに乾杯をした。



 さて、どうでも良い事だが、この日は学校に来てから卒論を提出するまで、携帯の電源を切っていた。

 そしたら、朝にメールをしていた某氏から、なんで急に連絡が取れなくなったんだ、どうせ自分の事なんか君にとってはどうでも良いのだ、といった内容の文章が、数通のメールの中のひとつに書かれていた。

 こいつは、私を留年させる気か?

 嫌々やって、何とか手に入れた内定を、棒に振らせたいのか?

 ぎりぎりの行動を取った私にも非があるのは分かっているが、

「このクソ忙しい時に、お前の相手なんかしていられるか!」

 一瞬、携帯を地面に叩きつけたい衝動に駆られた。


鎮魂歌

2003年12月09日(火)

 友人の猫が死んだ。

 交通事故らしい。

 悲しんだ友人が、数日間の沈黙の後、一遍の物語を書いた。

 死んだ猫が主人公の、綺麗な綺麗な物語。

 追悼の物語。

 彼女の文を追ううちに、自然と涙が溢れてきた。

 彼女が死んだ猫をどれだけ愛していたか、

 どれだけその死を悲しんでいるか、

 まるで大地に雨が降るように、

 しんしんと私の心に沁みて、伝わった。


 私は少し、羨ましく思った。


 彼女に愛された猫が、

 猫を愛した彼女が。


 私は今の猫を亡くしても、きっと泣かないだろう。

 家族を亡くしても、泣かないかもしれない。

 以前祖母達を亡くして、泣けなかったように。


 たった一度だけ、物心ついた時から一緒にいた猫の癌を知らされた時は泣いたけれど。

 その癌猫が死んだ、その時は泣けなかった。


 死や別れに対して仕方がない事と諦観してるのか、

 実は大事だなんて思ってなかったのか、

 自分でも判断出来ないのだけれど。

 私は、死を悲しめない。

 だからだろうか、自分に欠けているであろう何かを補おうかとするかのように、

 死を悲しむ人の心に強く感動する自分がここにいる。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!