TOHGA嬢の生活



彼らはいったい何処にいた?

2003年09月16日(火)

 池袋に行った。

 当初は映画を見る予定だったのだが、とても映画を鑑賞出来るようなテンションになれなかったので、夢遊病者の如く、東急ハンズをウロウロ、フラフラと歩き回った。

 一階から巡りに巡り、辿りついたが最上階。

 そこには、ねこぶくろと云う、猫が沢山いる空間があった。

 入場料は1人600円。

 何となく人恋しい、もとい猫恋しい私は入場料を払ってそこへ入った。


 猫は、いた。

 沢山、いた。

 でも、いないのと一緒。


 彼らはまるで隠れる様に、逃れるように、隅っこで眠っていた。

 暗い物陰に隠れて眠っていた。


 拒絶された。

 なんて切ない。

 彼らの心は、遥かヒュプノスの膝の上。


 私以外にも客がいて、眠っている猫をそっと撫でて行く。

 いや、撫でると云うのはあくまで私達の視点。

 彼らには、ベタベタと体を触られている、不快感しかないのではないだろうか?


 そう思ってしまうと、もう手も出せない。


 眠っている彼らの気をなんとか自分に引かせようと、客は皆、その手にネコジャラシを携えている。

 その姿は、酷く滑稽で哀れだ。


 私は、館内の内装をぐるりと見まわした。

 猫ちぐらが沢山あって、ジャングルジムもあって、狭い通り穴や、猫用の細い階段、細い梁。

 人間が好みそうな壁の模様、オブジェ、ポスター、家具。


 此処は、何処だ?

 猫しかいない、動物園?

 雨風凌げて、食べ物に困らない、温かい住処?

 ネコジャラシを持ったピエロばかりのサーカス?

 天国?

 牢獄?



 多分彼らは、此処しか知らない。

 彼らは此処を、どう思ってる?



 そんなつもりで来たんじゃない。

 私はただ彼らの喉歌を聞きたかっただけ。

 でも・・・。

 やり切れなくなって、私は早々に、そこから逃げ出した。


胸の煙

2003年09月14日(日)

 ごく偶に、煙草を吸いたくなる。

 と言っても、私は喫煙者ではない。
 生まれてこの方、吸った煙草は片手でも余る程の本数だ。

 煙草を吸っている人を、カッコイイとも思えない。
 寧ろ、邪魔に思う事が多い。

 二十歳も過ぎて、煙草に対する好奇心も何もないだろう。

 では何故、煙草を吸いたいと思うのか。

 煙に惹かれているからだ。


   煙草の煙は、外界と自分を隔てる、薄いシールド。

   なんびとも、その煙を越えて私に近づく事は許さない。


 どうやら私は、煙草の煙を万能蚊取り線香か何かと、取り違えているのかも知れない。

 また、煙が出ればなんでも良いのか。という疑問も、当然出てくる。

 煙があるだけで良いのなら、別に煙草ではなく、私のお気に入りのセージのお香でも良いではないか。

 しかし、お香では物足りない。

 お香の煙では私との関係性が薄いから。

 イカやタコの墨の様に、自分から吐き出すモノのほうが、意味合いが明確で、効果もある気がするのだろう。


   煙に私の息が交じり、息には私の意思が交じっている。


 別に、口から視覚的な気体が出れば、私の目的は遂げられる。

 ただ今は、煙草しか思い当たらないだけ。


 ある日、私は煙草をひと箱買った。

 煙草の匂いがあんまり好きじゃないから、「フルーティ・メンソール」なんて書いてあるヤツ。

 封を切って、フタを開ける。

「フルーティ・メンソール」とやらの良い香りと、やっぱり嫌いな煙草の苦い匂い。
 両者は仲が悪いらしく、手も繋がず、どちらも独立したまま私の鼻腔を撫でていった。

 火のつけ方が下手なのか、そもそも煙が少ないタイプのモノを買ってしまったのか。

 想像以上に煙が出ない。

 喉がピリリとするだけで、匂いも味も、はっきりしない。

 ただひとつ。

 一番最初に吸い込んだ時の、僅かな眩暈だけが素敵だった。

 でも、それだけ。

 半分も吸わず、勝手に煙草が灰になって行く様をただ眺めた。

 たった一本で、部屋が臭くなった。

 勿論、フルーティ・メントールの香りは何処にも残っていない。



 今後暫くは、煙草を吸おうとはしないだろう。

 ケースの残り19本は、友人にあげる事にした。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!