TOHGA嬢の生活



夜10時の来訪者

2002年10月01日(火)

 妹(次女)と母がやって来た。

 バイトが10時までだと言ったハズなのに、9時頃に駅前のファミリーレストランに入って、『早く来い』との催促メールを送ってくる、少し勝手な二人。。。

 そういう事は、アタシじゃなくて時計に言って欲しいものだ。

 バイト後、走ってファミレスに向かい、シチューを食べながら二人と話す。

 「だったら○○しちゃえば?」

 「そうそう、そんでその後○○して○○○もらうの」

 そんな会話についていけない自分を自覚しつつ、この前作ったタイカレーの自慢をする。

 「お姉ちゃんって、結構「食」にお金かけるよね」

 ……確かにそうかもしれない。

 その後、ある程度は片付けておいたアパートに二人を招き、フォートナム&メイソンのダージリンにシナモンスティックをつけて振る舞った。

 アタシの場合、紅茶はストレートが好きなので砂糖とミルクは用意しない。

 レモンがあったら、この前仕入れたばかりのマローブルーというハーブティを出すつもりだったのだが、生憎スーパーは既にしまっていた。

 まぁ、「衣」にお金をかける妹にはそんな紅茶云々よりも、某氏から借りたビートマニアの方が魅力的に映ったようだった。

 母からは貰い物の時計を褒められた。

 正直アタシはそれほど気に入ってなかったのだが、母いわく

「その人(送り主)アンタの事、よく分かってんじゃない」

 だ、そうだ。

 しかし、アタシは気に入ってない。


 分かっていないのは誰だろう?

 某氏と母か?

 それとも、アタシなのか?

 誰も自分の姿を見る事は出来ないって言うしね。
 案外後者なのかもしれないと感じた、十月最初の日。

 台風が去って、虫が鳴いている。


葡萄を取れない狐

2002年09月11日(水)

 『望まなければ、落胆する事も無い』

 消極的な考え方ではあるが、アタシの思考回路は得てしてこの考え方に順ずるモノが多いと言える。

 例えばアタシは、理解者と云う存在は存在しないと考えている。

 理解者、なんて。所詮は見せかけか思いこみでしかない。


 人が人を理解出来る?

 アタシが誰かを理解する? 身近な人物を全て頭に浮かべてみても、それが可能だと思える人物は一人としていない。

 そもそも、そんな事が出来る訳がないのだ。

 それが、当たり前なのだと思っている。

 故に、自分の言葉が理解されない事があったとしても、アタシはたいしてショックを感じない。

 アタシが人を理解出来ないのに、人がアタシを理解(共感ならまだしもだ)出来るとは到底思えない。


 しかし、世の中には色々な人がいるので、当然アタシと同じ様には考えない人がいる。

 それだって、別に問題では無い。

 アタシにとって絶対でも、他人にとって絶対だとは思っていない。

 けれど、万人に対して絶対の解があるとも思わない。


 アタシ達は理解は出来ずとも、似たような感覚を持つ者達の側にいる事で、共感と云う、理解に近い感覚を味わっている。

 そして、そんな共感者達からも理解されなかった時に、ひどく動揺を覚える。


   望まなければ、落胆しないのにね。


 後ろ向きな思考ではあるが、アタシは満足している。

 否定するならすれば良い。

 単に、アタシとアナタとは縁が無かっただけなのでしょう。



 『自分の手に入らないモノは、きっと悪いモノだったから』

 紀元前の寓話だってそんな事は知っている。



 どうでも良いけど、

『この道で転んでしまったけど、もしあの道を通っていたら死んでいた』

 って考え方はポジティブな考え方だ。と、本で読んだ事がある。

 私にはネガティブな考え方に思えた、今日この頃。。。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!