ぶる爺の日記
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2003年07月14日(月) ようやく!!

よーやく大佐便にのせました!

ヤホー!

ヤホヤホー!

構図リクは大佐&きのこ。
長かった…。難しいよねー。期待にこたえようとすればするほど
己の技のなさに辟易する日々でした

顔の立体のイメージをもっと固めなきゃ!と何度も下絵を
書き直したけど結局一枚目が一番邪念がなくてヨカッタっていう
事もあったし、
着色したらしたで、まったく表情が変わっちゃったりと
七転八倒しておりました。
なんせ己のサイトに載せる絵よりは圧倒的に人の目にとまる状況に
置かれる絵、なわけですから、地味でもダメ、これがオレサマの絵だー
と意固地になると失敗するのも実は知っているし、
だからといってインパクト重視でもないらしいこのチラシ…。
そして、大佐が『自分の絵を常にチラシとしてみるのは拷問だ』
という理由だけで抜擢され
私がチラシを楽しめないという状況に
陥っているということでようやくここ三日間くらいで気付き…
なんだか怖いよ。わーーーん。




2003年07月11日(金) うわー

イシシってナニヨ私。

ということで、言ったしょっぱなから
頭のイメージ全く着色に出てません。ウヒョー!
出力したら更に色がマターリマターリ。
マヨネーズが乾いたような肌色になっちゃってて
ウヒャヒャヒャーと笑っちゃいそうになりました。

肌着色イチからやりなおしです(涙)

更に来週末は3連休の予定だったのに
ど真ん中日に撮影が入り
おじゃじゃじゃん。

ギャー

先月の3連休は葬式でつぶれたし。
あたしにゆっくりできる連休は訪れないのかしら。
訪れないのね。ホロホロホロホロホロ


2003年07月10日(木) えっとね!!!

今着色3割地点過ぎたところですから!!!

ねえ夏コミって締め切りいつなのかなー?
爺、コミケ事情知らないからすんげー大佐に甘えちゃってるけど
もしかしてこの状態って
かなりヤボい?

ちょっと待っててくれ!
この爺の頭の中のイメージが抽出しきれた着色ができたら
イシシだぞ!?

なので…

ワンベ日記でプレシャーかけるのやめてけれーーー!!
がんばる!もうすぐだ!


2003年07月08日(火) 気が向いたのでショート〜比叡山結婚式日記。

ええと…
キャメロンぶる爺ディアスでぇすv
      ンガググ


キャメロンじゃさすがに血の海見そうなんで亀論にしとくか。
亀論ぶる爺地亞酢

うーん。冴えんな。

ということで、友人の化粧と、三蔵のアンダーウェアみたいなカットの
服(上下黒)を着ていった為、戦う女と思われた模様。
更にキャノンの一眼レフ肩にかけてりゃー誰も色気なんか感じて
くれやしまい。


結婚式は新郎新婦がとってもアッサリタイプだったんで、その雰囲気が
とっても出ていて、すっごく楽しい式、披露宴でした。
ぶる爺は参列者を披露宴前にすべてチェキゲットし、無事お役目を果たし、
披露宴を迎えることができました。
披露宴中は、入場後、担当のスナップカメラマンに威嚇の意味もこめて(笑)
ぶるこ「この会場は逆光が強くて撮りにくいでしょうー?」
カメラマン「ええ、撮り辛いですよ。すっごく緊張しています。」
おいらの存在がプレッシャーになったらしい。グヘヘ。
それが目当てなんだよ。客にプロがいたらおいらもめちゃくちゃ緊張するからな!
(今まで会ったプロなんて所詮いきなり給料と撮影データーと採用形態
聞いてくるようなド阿呆無礼千万な輩ばっかりだったが。


必要以上にメラメラ闘志を燃やさないのだ。されて嫌な事はやらない。
闘志燃やされてぶるこも迷惑被った経験があるからであーる。

動きとストロボの向きと使い方でそのカメラマンがどういう絵をねらっているか
わかるわけですが、今回のカメラマンはそこそこだったので、動かない事を
決めました(前回の友人の結婚式は動かずにはいられなかった為)。

で、参列者メッセージ付きチェキアルバムを親友ふたりと新婦中座中に
組み立ててゆき、ぺたぺた貼り付け、披露宴が終わるころには完成。

披露宴が終わり(おや披露宴報告は?>食ってばっかりデシタ)、
新婦両親に「ぶるちゃん、本当にモデルさんみたいだねー」と言われ鼻の下を
のばし(身長デカけりゃみんなモデルに見えるんだよねー両親世代って)
四条で二次会があることをききつけ、親友2人と着替えをし、二次会開始の
時間まで喫茶店で抹茶デザートを食う。
そして、ビアレストランで新・夫妻を向かえ二次会スタート。
酒もそこそこに入ってきたころに、夫妻に参列者ミニアルバムを渡したわけで
すが、すっげー喜んでくれました!
あんなに喜んでもらえるとは思っていなかったのでやってよかったなーって
思ったデスv二次会参加の人たちもじっくりとアルバムを堪能してくれて
こういうカタチで生の評価をもらえるのもウレシーなーと。

で、酒もどんどん入り、殿がたに絡まれつつ夫妻は離脱し3次会へ。
ちょっとイキってるひげ面若造に求婚されつつも(っつうか大嫌いなタイプ
やし)、酒の勢いは止まらず、親友I(親友ズの中でイチバン最初に結婚した
奥様)がロック焼酎を一気呑み連発。しばらくしたらトイレへ頻繁に行くように
なって、戻ってくる頻度が少なくなってきたんで「ちょっと電話かけてくる」と
席を外しトイレ前で張り込んでいたら案の定ゲッソリとした顔のIが。
I:「うわ、ぶるこどうしたん?」
ぶ:「おめーもー限界やろ。ここ座って頭冷やせや」
I:「うわーどうして分かるかなー」
というやりとりをしつつIの意識はフェードアウト。
ここからが修羅場でございました。事体に気付いたほかの連中がトイレ前にきて
呆然。呆け顔の男どもにぶる背中にこの酔っ払いを乗せる事を指示し、
無事Iを店の外にだす。が、気持ち悪さに体を引きつらせるI。

仕方なくその日は実家に帰ることをあきらめ、宿を取っている男どもの部屋へ
3人泊まらせてもらう事へ。まあ、良識ある輩ばっかりだったんで
「おらおら体で払えやー」なんていうことはなかったんですが、
ヤバいシーンは度々。しかしおいらのガンつけとケリで沈静化。
かわいい子羊(へべれけ主婦と処女)ふたりはぶるこの手によって守られたので
あーる。

翌日は、案の定メイクを落とさず寝た&連日酒三昧&寝不足のせいで
お肌は荒れ荒れ。口の周りは爛れ、亀論ぶる爺は跡形もなく消え去ったのでした。
チャンチャン。






長いやんけ。充分。


2003年07月07日(月) 帰ってきました〜。

「チャーリーズエンジェル…」

おいらを見た新婦の友人(初めて会った)が呟いた言葉。
ちなみに誰なのかしらー?
キャメロン?ルーシー?ドリューー?


えっと、結婚式楽しかったデスー。
高砂と両親席の間をとびかう「ぶさいく」の
言葉の嵐。比叡山の高尚な雰囲気にそぐわないギャグな
結婚式でありました。

非常にいい所でした。曇りでなければ琵琶湖が見渡せるレストラン&
プチホテルでした。サービスも満点。料理もうまかったです。
久々に酒三昧の週末。お陰で顔が荒れまくり(笑)痒いよーママー。

金曜日は仕事終了後高速バスで京都入り。
会社を出る寸前上司にいきなりジンマシンが!首を真っ赤にして
可哀想な上司をほっぽらかして出発。

深夜まで久々に会った大親友達と飲み明かし、朝は8時に起き、
メイク道具を持っていない私に友人が化粧を施しでくれました。
人は化けれるもんだ

気が向いたら明日も報告日記書きマース。
寝る!


2003年07月04日(金) ほんげーーー!

寝坊!寝坊だ!4時におきようと思ったのに!
なにも準備してないよー!
京都いってきまーす。
キャーーーーーカメラカメラ、
メガネメガネ!!(これかなり違)


2003年07月02日(水) イチ難関突破。

えっと、ぶる爺ようやくイチ難関越えました。
ねー大佐!
テーマは「気持ち悪さ」
フフフ…。



明後日には京都なんだよなーあーゾっとする。
大親友の結婚式なんで、得意分野のカメラホッポリ出して
受付やんなきゃなんないです。余興も…。
カメラももっていくけどな!!!!
お祝いに参列者全員をチェキで確保しなければなりませぬ。
んでチェキポラロイド部分にメッセージ書き込んでもらって…
できたポラをアルバムに即貼ってお渡ししないとー…。

本日チェキ2台とフィルム100枚ゲットしてきましたですよ。
激安店で購入した為、さらにフィルム20枚とチェキ袋2つ
ついてきました。
アルバームも買わなきゃ…。

最近よくFMで流れてて、どうしてもCDでホスィーと思っていた
曲のアーチスト名が判明した為、通りすがりのHMVでゲット。
EVANECENCEの『FALLEN』。
すんげーええよ。ぶる爺の狭いツボに見事にヒット。
演奏も声も好きだー!特に2曲めの『BRING ME TO LIFE』
これがFMでよくかかってて…。
ふとした瞬間声が宇多田ヒカルっぽいんだけど
もっと深みがある感じ。コクも。キレはない(笑)。
ストリングスが入ると弱いんですヨー。
むかーしからのワンパターンな趣向なんだけど。

ゼロサムも立ち読みしてきましたー。
ぶる爺に次の38ブームが来るとすれば
光明の姿を彷彿とさせる八戒にコロった三蔵
絶対コレです。昔からそうじゃないかなーと思っていましたが、
今月号の光明が老いた八戒に見えて見えて仕方がナカッタです!!


2003年07月01日(火) 続々・以下略

今週末の親友の結婚式…受付かよ!
今週末は京都でーす。比叡山でーーーす。

それにしても落ち着かない。
これが終わらないとぶるこに夏はやってこない。
えっと、なかなか八戒氏の表情が決まらなくて困ってます。
陰でコソコソ進めてますが…

あ、ゼロサム…忘れてましたーアハハハハー。
今月は買わなくていっか(オイ)



えー、東京からの帰路写真でーす。





葬式編は以下。
興味ある方だけダブルクリックにて文字を浮かばせてご覧下さいまし。



28日は早起きの田舎者達に急かされ起床は7時。
(現場の日以外はこんな時間に起きた事ねえべ!)
お酒のせいで爆睡はできたものの、二日酔い気味で葬式を迎えました。
一旦帰った茨城の面々が顔をそろえ、葬儀場に止まった大阪が迎えるカタチに。
茶を出しまくるぶる爺(母はお湯係)。
ぶる本家の人数が圧倒的に多く、別の家の葬式なのにぶる本家の葬式に
来たような感覚でした。5兄弟が妹(姉)の為に東京に集まる。
勿論夫婦子供総出ですから、相当な数です。一台バスをチャーターして到着。

11時から、お坊さんを向かえ(勿論金髪ではない)、葬儀がはじまり
延々と読経。
叔母さんの斜め後に座り、時折ハンカチで涙を拭く姿や、次男坊の肩が
微かに震えているのに気付いてしまい、目頭が熱くなるのを必死にガマンし、
「これがもし、自分だったらもっと情けなく泣くに違いない…」とかウジウジと
考え出すとまた目が潤んでくるので思考を凍結させる努力をしつつ…、
慰霊を見るとまた泣けてくるので別方向に視線をそらし…などなど、泣かない
努力をしてみる。

が、
一般の参列者の御焼香の時に、叔母さんと親しいらしいご友人が非常に沈痛な
面持ちで焼香台の近くへ来ました。叔母さんと目があった途端、叔母さんの目から
大粒の涙が。

うぎゃーーーーー!だだだ、だからー
かかかか、勘弁してくれーーー!!!!

鼻の奥が焼けきれそうになるからそういうやり取りはーーーーー!!
耐えろぶる爺!耐えるんだ!!と上を向いて涙をやりすごす。

遠くの親戚より近くの友人。
血っていうものは争えんが、やっぱり普段の本人達と接している時間が長い人の
辛さの感じ方ってまた違うんだろうな。



この時点でかなりギリギリでしたが。

経が終わり、故人を見送る時。
忍耐とはお別れいたしましたです。

棺をあけ、故人の周りに花を参列者の手で飾っていく儀式の時。
叔父さんの顔を両手でなで、何かを語りかける叔母さんの姿を見れませんでした。
絶対泣く!まだ、まだイカン!と思いつつ。
花を全て入れ終わり、最期に叔父さんが愛用していた毛布と、ジャンパーと
ボロボロの座布団が一緒に棺の中に入れられました。


いっせいに涙がダーーーー!!!!
あれが遺品なんだ。遺品なんだーー!
うわー頼むからカンベンしてくれー!止まらん、止まらんよ涙が!



棺は参列者の手によって閉じられ、男たちの手によって運ばれ、敷地内の
火葬場まで100メートル程の短い距離を葬儀車で移動しました。
火葬に要する時間は2時間ほど。
その間、葬儀屋によって用意された飲み物とつまみで過ごします。

この2時間で死体が骨のみになるんですよ。
その間遺族は、集まってくれた人たちに挨拶にまわる。
2時間たったら再び火葬場へ。
何基も並べられている火葬用の焼却炉で都会の死体は焼かれます。
ベルトコンベア式で。
叔父さんが入れられた焼却炉からは、棺も花も遺品も燃え尽き、骨だけを
のせた台車が出てきました。再び参列者で焼香をした後は納骨の義。
係りの人が頭の部分の骨のみを取り除き、体の部分をまず納骨します。
長い箸で2人でひとつの骨を御櫃に収めていきます。
ぶる爺は、「あ、これは肋骨だ。この赤味がかっている骨はどこの骨なん
だろう?」
と、叔父さんの残骸を見つめていました。だらしなく流れる涙はこの際放置です。
みんな泣いてるから泣き虫とは茶化されませんから。

最後に、係の人の手で頭部の骨が乗せられます。人骨を器の中に押し込む
様子がなんだか痛々しくて生々しかったです。
遺品の眼鏡が頭骨の上に乗せられふたが被せられ、永遠に叔父さんとはお別れ。
係の人の手で箱に入れられ丁寧に封をされました。

納骨の義が終わり、最後に再び経と焼香をし、葬式は終わり。
2時30分まで会場は借りられていたのですが、我々『大阪』は本家や参列者
への挨拶も程ほどに着替えをすまし、「その荷物夜逃げセットみたいだなー」
と茶化されながら、半年前に結婚したばかりの従兄弟に「お前は(結婚)いつ
なんだぁ?」と痛い質問をされつつ、2時には葬儀場を出ました。



2003年06月30日(月) 続・わー勘弁してくれの連続だった・中間地点

父方の兄弟は男5人、女2人。
私の父親だけ中学卒業後早々に家を出て東京へ、結婚して大阪へと、
自営業で必然性もないのにポツンと離れて暮らしています。
物静かな田舎の男たちに比べたら相当やんちゃで異端児ちっくなうちの父親
ですが(笑)兄弟が集まるととにかくひとりでしゃべくりまくっている根明な
父であります。

5兄弟中、長男、次男、4男3人は茨城の本家で昔ながらの大家族生活をして
おり、末っ子は50過ぎにしていまだ独身(イチバン男前なのに)の東京在住。
2姉妹の方は長女は嫁いで東京へ出て銀座で果物屋さんを手伝い(今回ダンナ
さんを亡くした叔母さん)、次女は養女として子供ができない家へ幼い頃に出
ました。彼女が養子に行った直後に実子ができ、随分と複雑な人生を送ってき
たようです。優しい旦那さんに恵まれ、いまは幸せそうですが…。

インターネットにパソコンをつなげ、デジタルライフを送っている世代は兄弟
は3人でも多いくらいでしょうから、うちの父家系は、子供は荒々しく育てても
勝手に育つという方針の元育ったようなので、非常にタフな人間ばかりです。
弁当は一週間連続のり弁だった時もあったらし(本当にのりしかのってなかった
らしい)く、一時はのり弁恐怖症になり(笑)、隣の菜園の芋こっそり抜いては
食ってたり。食生活は貧相だったにも関わらず、竹登りと川泳ぎは近所のガキ共
には負けなかったらしいです、うちの父親。

そう考えると今の子供の貧相な事よ。私だって『今の子供』のうちに入るようで
すから、こんなオヤジからしてみれば、たとえ体育会系で10年ぶいぶい言わせ
た娘でさえ貧弱なもんでしょう(運動神経は鈍かったから)。
学生時代、体を鍛えるのはバーベル他、運動機器で、当時としては最新技術の
筋トレーニングで鍛えまくり、体力作りの為に弁当にうなぎが丸ごと入っていた
りプロテイン(小麦粉にちょっとあまみがついたものと考えてください)をご飯
にかけて無理やり食わされたり、夏場の合宿で死ぬほど食わされて、胃を壊すで
なく肝臓壊したりした娘(私だよ!)とは随分違う育ち方だなーと。
ちょっとだけ世代の違いを感じる話でありました。



うちのオヤジ以外はみんな関東方面にまとまっている為、顔を合わせる事も結構
あるようですが、うちのオヤジは葬と婚にしか顔を出さない為、娘のわたしも自
ずと珍しい存在となってしまっています。
子供がどんどん増えて、家系図が益々複雑になっている本家・茨城事情に付いて
いっていない為、随分寂しい思いをしてきましたねー(笑)。

都会の人間関係がいかに希薄で、田舎独特の厳しさも勿論あるけど、人間同士の
繋がりを感じさせるあたたかみの重要さを毎度、本家に帰るたびに痛感させられます。本当に粗雑で素朴だけど人間ひねてないんだよねー。



明日はあんまり思い出したくない葬式本編です(オイ)


2003年06月29日(日) わー勘弁してくれーの連続だった。

葬式の為、27〜28日東京へ行ってきました。
父のひとつ上の姉の旦那さんが今月23日に帰らぬ人になった為です。
土曜が通夜だと思っていたら、実はお葬式でした。ので一日早くの帰宅です。

葬式というものに、15年ほど縁がなかったため、人間が死ぬという事柄に
非常に疎くなっていた自分に気付いた出来事でありました。

去年の10月、父方の従兄弟の結婚式で上京した際に顔を合わせたのが
最後だったんですが、肺がんで半分肺を切除したそうで、声がスカスカで
呼吸が苦しそうで、やせ細った姿をしていたのがとても鮮明に記憶に残って
います。
叔母夫婦にはふたりの息子がいて、もう孫もいます。
叔父さんの体を労わって、一家は結婚式後一度本家に寄った後、すぐに帰って
いきました。

ぶる家(以降大阪)が葬儀場に到着したのは金曜日の11時過ぎ。
東京の荒川区あたりを迷いに迷った挙句の到着でありました。
カーナビ搭載のハイエース(バン)を飛ばし、東京入りしたのはよかったん
ですが、カーナビをまだ扱いなれていないらしく、首都高降りたあとは登録
めんどくさいから、FAXしてもらった地図辿ればなんとか行けるだろ!
と、勘を頼りに走っていたんですが、迷う迷う(笑)。
父の方向感覚は凄くイイんですが、下町の斜め道に感覚が狂ってしまったようで、
どんどん目的地から離れてしまうハメに。
最初、「お父さんの方向感覚は本当にイイ!驚くくらいよ」と、自信満々に言っ
ていた母も、迷走時間が長くなっていくたびに不機嫌になり、挙句の果てに
「どんどん離れていってんじゃないの?」とイライラして
(ここらへんがB型:笑)
「だからあそこで止まって道尋ねればヨカッタじゃない!」と怒り出す始末。
「さっきの道やったんちゃうん?もう先にいったら余計遠くなるだけやって!
もうUターンしぃや!」とふたりに攻め立てられあえなくオヤジ、Uターンを
すべく人気のない道に一旦入りUターンを試みる。
路肩に車を寄せ一旦停車し、バックしようとしたところ

ガッシャーーーン!

買って7ヶ月目のハイエース。いきなりベコンとやっちゃいました。
爽快な音にまっ青な搭乗者達。
イチバン真っ先に現実に戻ったのは娘。更にピリピリしだす母に
「とりあえず、またカーナビに登録してナビゲーションしてもらやーいいやん
か!おこんなよ!お父さんだって長距離運転して疲れてんねん!!」と一喝。
冷静になって、この車にカーナビが乗っていたという事を思い出したらしい
ふたり。「登録どうすればええんや?」とガサガサといじり出す娘。
父親からの説明などほとんどナシに(決定ボタン以外分からないらしい)
登録を終え、行き先は荒川警察。そこからちょっと走れば葬儀場。
時刻は11時半。名古屋を出発して5時間半(中一時間休憩)。
首都高の分岐点の凸凹に乗り上げるわ、バンパーベコるわ、散々な道程を
こなした『大阪』は、静まり返った葬儀場に着いたのでした。

駐車場に到着したハイエースを見た親戚は真っ先に駆け寄ってきました。
故人の息子ふたりと、父の兄と、故人のお兄さん。

到着してすぐに、叔父さんに挨拶。
死に顔は綺麗、とよく言われますが本当にそうでした。
やせ細ってはいたけれど、晴れ晴れとしたようなその表情を見た途端、
涙腺が弱いぶるは途端に泣きそうになりましたが、ふたりの息子さんの心中を
汲んでココはガマン。
その後は葬儀場で(ゴロ寝だけど宿泊できるんですねー今時の葬儀場は)、
故人を惜しんでのささやかな酒盛り。
イイ具合に酔って、午前4時に就寝。
就寝間際、息子さんズは部屋を出て行きました。
寝る用意を整え、部屋を暗くしても眠くならなかったぶる爺は、一階にある叔
父さんが眠る部屋の前にコソコソと行ったわけですが、何を話すでもなく、
花に囲まれた叔父さんの慰霊を見て、最後の夜を惜しみながら座り込んでいる
ふたりの背中をみてしまったときにゃー

ぶる爺ひとり、影で号泣しましたよ。
っていうかあの姿思い出したら今でも泣けてくる。

どんな思いで最期を過ごしたんでしょうね。
心中察すると無責任にも未だに涙がとまりません。
深夜の葬儀場の女子トイレ、ひとり座り込んで泣く怪しい女がココにひとり。


ぶるG