近所の西友に、1枚200円のワンピースの名シーンのカードのガチャガチャがあるのを見つけた。中には、23巻の最後に出てくるビビとの別れを描いた一枚があるらしく、それが欲しくてついやってみたくなった。黄金の鐘が鳴るシーンのカードを自宅で見たことがあるが、それは息子がここで買ったものだったのだろう。名シーンがカードになるなんて他のアニメでは考えられない。これを商品化した人は頭がいい。
東京駅で土産にワンピースのWANTEDのポスターを買おうとしたら、一枚400円だと言われた。娘が好きなチョッパーのと自分が好きなゾロのを買おうとしたら、中身は不明でガチャガチャと同じく当ててみろの方式だという。全部で9種類あるから…その確率は2/9。いくらワンピが好きとはいえ、これはリスクの大きな博打だ。こんな大きな博打を考えたのは誰だ?と恨みながら、こんな儲け方もあるのかと舌を巻いた。
ディズニーランドを歩きながら人気の「ワンピース」について考えてみた。ワンピースを題材にしたテーマパークはできないものかとい…しかし、それは難しいと思った。あのワンピをもってしてもとても、これだけのスペースは埋められない。せいぜいハウステンボスやラグーナのイベントの一環として花を添えるのが精一杯。米国のテーママークであるディズニーはそれだけでかい、ということだ。
ディズニーランドで昼のパレードを6年ぶりに観る。今年のパレードの前半は「自然」や「森」をテーマにしていて、登場したキリンには度肝を抜かれた。しかし後半はそのようなテーマ性はなく人気のキャラが居並ぶお決まりのパターンだった。震災の影響とかいろいろあって準備が不足したのかも知れないが、テーマ性を重視するスタイルが好きな私としては最後尾まで同じテーマで貫いて欲しかった。
3年ぶりに家族と東京ディズニーリゾートに出掛ける。16時に急にゲリラ豪雨に襲われたので慌ててホテルに避難。小降りになった18:30以降、再びパークに戻った。そうしたら、園内にはびしょ濡れになりながらも、並んでいる人がたくさんいた。彼らの顔は「遠くから来ているのだから、こんな雨で諦めるわけにはいかない」という気合に満ちていた。21:00までパークで楽しむ。雨もいい思い出になった。
「鉄分とカルシウムの多い脂肪0牛乳(グリコ)」を飲んだ。機能性に惹かれて買ってみたのだが、正直言って美味しくない。機能性を追求するために、ミルクならではの「自然の恵み」感が消えてしまったように思う。牛乳はコーラやビールのように人為的に造ったものではなく、元々は牛の乳という「生命の源」をいただいている。天からの授かりものだという有難さだけはかき消したくないものだ。
ばあちゃんの初七日法要の後の食事のとき、坊さんと話した。坊さんによるとばあちゃんは私心のない人で、よく人に「与える」人だったらしい。坊さんによると、仏の教えを説いてくれた人に、お返しをすることを布施と言う。ばあちゃんは、自分の周囲の人が皆、自分に何かを教えてくれる存在で、そのたびに布施をしていたのだろう。私も山菜や漬物、野菜など山ほど貰った。こんな私にいつも布施をしてくれてありがとう。
ばあちゃんへの弔辞では、ばあちゃんの口癖を披露した。村の人はばあちゃんのことを「姉さん」と呼び、村のおばさんたちは「姉さんはいるかな?」とよくばあちゃんを訪ねてきた。ばあちゃんはそのたび玄関に出て行き、一生懸命おばさんたちの話を聞いた。そして、それが危険な話なら「あらま、大騒動や!」とか「あ〜おそがいや」とか、悲しい話なら「お〜かわいや」とか、大きな声で相槌を打った。それが嬉しくてみんなやってきた。類まれな聞き上手な人だった。
白川村に住んでいた祖母が他界した。子供の頃からかわいがっていただき、他人を支える人生、他人のために尽く人生、他人に与える人生を貫いたとても大きな人だった。村民の皆さんの慕い方で誰もが感謝していることがよくわかり、しめやかな葬儀いうよりにぎやかな葬儀だった。祖母は2002年5月13日のこの日記に書いたように84歳とき趣味の刺し子の個展を開き、アーティストの仲間入りをする。老いてからも輝き続けるその生き様に脱帽。大きな器でいつも包んでくれたおばあちゃん、ありがとう。
健康食品販売の会社社長がリッツカールトンに家族で泊まったときの話。子供が風呂の水を出しすぎてフロアが水浸しになった。社長はその光景に弁償することを覚悟したという。しかし、リッツの人は「自分の責任です。申し訳ありません」といい、社長一家を責めることはなく即座に別の部屋を用意。弁償まで覚悟した社長一家は以後リッツの大ファンになったという。矢印を自分に向ける人はファンを増やす。