某外食チェーンの社長と話す。同社は価格ではなく、味と前後のサービス品質によって顧客から評価される会社を目指している。そのため同店は実際に高い客単価にもかかわらず行列ができる大変魅力的な店になっている。その社長が上場したいという。が、上場が必要か、慎重に考えたほうがいい。株主が増えると、個性的であり続けることが難しくなる。多店舗化より、個性を慕うファンを育てるべきだと思う。
沖縄に出張。ランチタイムにクライアントの女性が連れて行ってくれた店は、探さないと見つからない看板しか出ていない「隠れ家」のような存在の店だった。古民家を改造したそのレストランに入ると、那覇市内の特有の雑踏と熱砂から開放された。メニューはなく、決まった定食しか出さない。三種のサラダとテビチーとコーヒーがバイキング。都心にありながら沖縄の田舎を体験でき、大満足だった。
名古屋の地下鉄内に上着を忘れてしまった。駅に問い合わせると、「自分で終点の駅に電話して、あったら取りに行け」とのこと。連絡すると終点駅にあり、終点駅まで往復60分を無駄にしてしまった。この対応は名鉄だと全然違う。たとえば朝、電車に忘れものをしても、夕方には名鉄名古屋駅に届けてくれる。だから帰り際にピックアップでき、わざわざ取りに行く必要がない。忘れ物対応も官と民ではこんなにも違うのだ。
4日の竹内日祥上人の「他人の評価に満足しない」3つの教えの続き。教えの第三は「『何かに貢献したい』という想いを胸に、自分の気持ちを受け止めてくれる『お客との出会い』を楽しみに生きろ」。 大ヒット漫画『ワンピース』のように、「志」のある人は人との出会いを楽しみに生きることができる。自分が進む次のステージにはどんな人がいるのだろうか?それを楽しみにする人生は、本当に豊かな人生だと思う。
昨日の竹内日祥上人の「他人の評価に満足しない」3つの教えの続き。 教えの第二は「お客が酒井の仕事を評価するのではなく、お客から『酒井さんと一緒に仕事ができるのが楽しい』あるいは『酒井さんの仕事を支援させて欲しい』と言われることを求めなさい」。こんな発想はなかったので、頭を割られた想いだ。 今の私のクライアントは、このような感覚を持ってくれているだろうか?この教えを受けて不安に感じたが、逆に不安を払拭するくらい熱情的に仕事がしたくなった。
私には「他人から感謝される仕事を目標にする」ことを人に教えてきた時期があった。しかし、この生き方には少なからず違和感があった。他人の評価のためのみに生きるのは受動的すぎないかという疑問だ。そのことを、竹内日祥上人に質問してみた。すると上人は3つのことを教えてくれた。 その第一は「『自分自身への共感、納得感』を求めなさい」。CSは、その前にESがないと成り立たないというが、個人の場合もまずは自分の納得感があって、その上で他人に評価されると嬉しいもの。当たり前だが、まずは自分の納得感を大事にしようと思う。
31日の大学の同窓会で、何年かぶりに「慶應賛歌」を歌った。その中に「熱情」という言葉が出てきた。明治時代らしい言葉だな、と思って辞書を引いてみた。驚いたことに広辞苑では「熱情」の方が詳しく載っていた。曰く「一定の方向に向かって努力させ、冷静な判断をさせない感情の状態」。冷静な判断がなくなるのは問題だが、私自身50歳を前にして「ほとばしる感覚」が失せているのを禁じえない。今一度「熱情」を取り戻したい。
中国の高速鉄道事故の顛末を見ながら、「中国政府は国民のレベルを随分過小評価しているな」と感じた。「証人の命より鉄道技術を高く売ることが大事、証拠は揉み消せ、真実を隠せ…」という利己主義の感覚は、民衆を愚民と見ている証だろう。が、これと同じことを日本政府もしている。肉牛出荷停止は、政府の放射能汚染の隠蔽工作が引き金になっている。今の日本に、中国の高鉄事件を批判する資格はない。
昨日は大学の卒業25周年の大同窓会だった。同期の卒業生5000人のうち1100人がニューオータニに集まった。皆、いいおじさんになっていた。正装者が多い中、私は少し砕けた服で参加した。が、もっと砕けた人も多く、おじさんたちのファッションはとても勉強になった。一方で未だに学校のカラーを引擦る人も多数いた。この日のために3年前から準備してきたという幹事の皆さん、ありがとう。皆さんの頑張りには本当に頭が下がる。
「ワンピースの中でどのキャラクタが好きか?」が話題となった。私は「ゾロ」だが、チョッパーという人あり、ルフィという人あり。ウソップという者もいる。愛されるキャラクタが多様になるのは、それぞれのキャラクタがどんな生き方をしてきたか。その生い立ちを丁寧に描いているからこそ。仲間を知る、仲間を理解することの大切さを伝えているのもこの漫画の魅力のひとつなのだろう。