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V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
天壇公園に行く。土曜日であり、公園内は市民で溢れていた。それぞれがサークルになり、体操する人、歌を歌う人、踊りを踊る人、将棋をする人…などに夢中だ。ガイドさんによると住宅街の胡同は狭いので、休みの日にはこうして公園に出てくるのだという。GAMEやスポーツ観戦など個人遊びがまだまだ少ないのだろう。40代以上の年配者たちは連帯の中に自己表現や癒し、興奮を求めていた。
中国でビデオ撮影用SDカードが足りなくなった。現地で買おうとしたが「ふっかけられるから」とガイドさんが代わりに交渉してくれた。4GBのものが最初350元。しかしガイドさんの交渉で150元まで下がった。それでOKして買ってみたが、今度はきちんと動かない。結局払い戻してもらう。こんな交渉、仮に中国語が話せても自分ではできない。交渉次第だと知る中国人ガイドさんに感謝。
万里の長城を観た。生憎の雪で歩けなかったが、これを作り上げた努力は凄まじい。しかし、断崖絶壁の尾根に作る必要が本当にあったのか甚だ疑問だ。匈奴の侵入阻止が狙いなら、崖や谷などの天然の要害はそのまま利用すればよく、そこに城塁を築く必要はないのでは…と思ったが、こんな考えの私が甘いのかしらん。それとも現場知らずの国王の指示によるものか。そういう謎も含めて長城も魅力だ。
北京の空気は汚い。ガイドさんは「北京には空気以外なら何でもある」と言う。五輪のときの排ガス規制をどうするのかをガイドに聞いたら、「6月から、北京市内に偶数ナンバーのクルマしか入れない日、奇数ナンバーの車しか入れない日を交互に設けるから半分に減る」。と教えてくれた、なんとも単純明快な対策を打つものだが、ここまで単純でないと何億もの国民を動かすことができないのだろう。
近年、中国製の品質がどんどん良くなっているが、これはメーカーの品質基準管理者の努力の賜物であろう。中国人観光客が着ている服も靴も決して水準が高いものではない。そんな彼らが自分たちのために作るというのなら「この程度で十分ではないか」と思う品質のものになっても仕方がない。しかし、高度な製品ができてくるということは、彼らに「見たこともない客のために作るが、その客はこのような製品でない満足しない」との考えが定着しているということ。これは、品質基準管理者の努力だろう。提供できる製品やサービスの品質は、顧客への尊敬心から生まれるのだ。
紫禁城の裏にある景山公園。ここからの眺めは抜群だが、山を下ったところに明の最後の皇帝が首をくくったとされる木があった。また、西太后が翡翠などの宝飾と共に墓に入ったが、それゆえに盗賊に掘り返されて惨めな墓になっているという話もガイドさんから聞いた。人民は英雄にまつわる話は皆好きだが、英雄が没落する話もまた好きなのだ。日本には英雄没落の現場が殆どないため新鮮だった。
天安門広場の前で、観光客相手に写真を撮って売る人がいる。手にしているのは、デジカメ。首から画板のようなものをぶら下げていて、その上に写真プリント専用のカラープリンタを載せている。その場で取ったデジカメをその場でプリントして売る商売だ。そのポータブルさに感心したが、カメラ普及の高い日本ならセルフで行なわれている商売。輪タクと同様早晩このビジネスもなくなるだろう。
天安門に掲げられた有名な毛沢東像。その像をじっと見ていたら、その瞳に吸い込まれそうになった。そして「君も、世の中のベースを上げてみないか?」。そうささやかれたような気がした。「ベースを上げる」とは、生活水準を上げること。自分の欲を満たことばかりではなく、皆で幸せになる欲を満たせというのだ。あの瞳にそんな説得力があった。同時に、歴史的偉人の瞳のチカラに驚いた。
中国各地からの団体客は、トイレで手を洗わない。鼻水は飛ばす。前に出ようとするとき、「失礼します」とか何も言わず、体当たりする。ぶつかっても「ごめんなさい」を言わない…。衛生管理や礼儀が全然できていないなあ…と唖然とする光景をいくつも見た。それができないのは、そのような教育を受けていないからだろう。国家プロジェクトとしての教育は絶対に必要。そのことに改めて気付いた。
翌日、早速天安門広場に行く。ここには中国全土から団体観光客が来ていた。彼らは緑や赤などのキャップを被っている。そのキャップだけが自分がどこの団体に属しているのかがわかる唯一の目印だ。そのキャップはデザイン的に観ればとてもダサい。しかし、彼らにはデザイン的にどうだとか、室内では帽子を取るという常識も知らない。雑技段の演舞を鑑賞するときも彼らは帽子を被ったままだった。
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