曙−ボブサップ戦。ボブサップの圧勝だったが、入場と退場するときの曙の表情が何とも清清しくて好感が持てた。この人は根っから格闘が大好きなのだろう。技術はゼロだが一歩も下がらず前に出続けたのは、恐怖心を克服するだけのガッツ(闘魂)があるから。人間は好きなことをするのが一番。敗れたとはいえ、この戦いで曙を好きなった人こそ居れども、嫌いになった人は居るまい。
友人が年賀状の代わりにと、歳末に宝船を送ってきた。枕の下に引いて寝るとご利益があるという。年賀状を辞め、宝船にした動機は、より自分を目立たせるため。有名人の知人が多い彼は自己アピールをしたいのだ。が、これは失敗だろう。年賀状は書いてあることとか、目立つとかよりも「来ていることの安心」に最大のメリットがある。宝船の有難さより、それが来ない寂しさを考えて欲しい。
NHKの年末特有の番組「○○この一年」。つい見てみようかな、という気持ちが沸くのは、それが長く親しんだ恒例の行事だからだろう。大掃除して、紅白を見て、親戚と飲んだくれて、初詣に行く。そんなことよりも世間様のように、スキーや温泉に行ったり海外に行ったりできたらどれだけいいだろう。しかしそれを選択しないのは自分。本音を言えば面倒で習慣を変えるエネルギーが沸かないのだ。
近くの公園に行く。そこで見たのは「餌をあげないで」の立て札にもかかわらず、鯉に餌をやる家族連れの姿。違反者の大半は65歳以上のおじいちゃんだ。豊かな日本を築き上げてきたこの人たちは、どこかで「俺だけなら構わない」で生きてきたのだろう。成長を優先する余り、それが許された時代があった。しかし今は違う。そのことをこの人たちに分からせるのは無理かもしれない。
横浜のヨットクラブで開かれたパーティに出た。その昔は英国人が遊び場にしていたという由緒あるところらしい。見た目は質素で、色使いはいかにもブリティッシュ・トラッドな感じだ。しかし、その構造は…何とも大雑把。これを比較して改めて和魂洋才の価値を感じてしまった。確かに日本人は大きなモノを生み出すことは苦手だ。しかし、細部に神経を配る点では格段に優れた民族だ。
クリスマスで子供がいろんなおもちゃをもらった。それらを使い比べると、メーカー間でかなり品質・精度にばらつきがあると感じる。例えばプラスチック同士を組み合わせるときに「カチッ」っという安心音がなかったり、組み付けたときの安定性に不安を感じたり。中には来年まで持たないだろうと予感させるものもある。日本人のモノ作りに対する価値感が壊れつつあることを実感した。
経営者数名と観光ホテルで忘年会。その後、ホテル内の温泉に入る。皆、タオルで前を隠すことなく、堂々としたもの。イチモツを晒したまま風呂のヘリに腰掛け、会話は尽きることがない。裸一貫で生きてきた自信がそうさせるのだろう。対して「男の価値はイチモツの大小ではない」と思いつつ、恥ずかしさでつい隠してしまう自分。そのサイズよりも、晒せぬ己の心の小ささが情けない。
会社の片隅にスーパースーツストアの紙袋。「誰だい、これ着ているのは?」「お前なあ、コンサルだったらオーダーで作らんかい」。部下は『人は見かけで判断するもんやない』と言いたげな顔。「それは自分が他人を見る時の考え方や。が、他人は人を見かけで判断するんや。人前で話すのが仕事ならビシッとせい!」。知識や智恵は勿論、格好でも世の社長達といつでも渡り合える武装はしておきたい。
大雪に見舞われた土曜日、いよいよスタッドレス購入を決意する。問題は交換したタイヤ4本の置き場だが、雪の日に平気で外に出かけら隣人曰く「トヨタ店に預けていますよ」。聞くと預かり料を年1万円強支払うだけで、取付け賃は0円だという。しかも、タイヤは他店からの持ち込みも可能。狭い家に住む者には何とも有難く、ますますトヨタファンにさせられてしまった。
8月決算の某社は賞与を年4回出す。世間と同じく6月と12月に出す賞与は、業績とは無関係の最低限の固定的賞与。他に3月と9月にも支給する。こちらは2月までの上期決算、8月の下期決算に連動して支給する成果的賞与。こうすることで、人件費の年平準化が図れる上、税金を払い過ぎずに済む。社長はこの方式を会計士に学んだという。こんなアドバイスのできる会計士は一流だ。