天使のながばなし
maki



 ダメな日

ダメな日。
ダメな日は、何をしてもダメ。
それは突然やってくる。
何の前ぶれもなく、キッカケもないことがほとんど。
理由がわかっていれば、むしろ晴れやか。
そんな日はいつも、それを待っていたかのように、
イラつくし、ムカつくし、落ち込むし、泣く。
何もやる気にならないし、自分を責めたりする。
しばらく身をまかせて、ゆらゆらぐったりしていると、
去っていったりもするのだけど。

それとは逆にやる気や幸せな晴れやかさも突然やってきたりする。
そんな日は、満ちあふれていて、活動的で、カンも冴え渡る。
そしてまた去ってゆく。
多かれ少なかれ、こんな繰り返しの毎日。


そしてそんなことを考え、どよ〜んと本を読んでいたら、
ある文章をキッカケに、急にスッキリした私。
きたきた。去り際。
なんて単純なんだ。

2003年09月02日(火)



 泣くと・・・

さっき「Dr.コト−診療所」をみて泣いた。
私はテレビや映画や何かですぐ泣く。
泣いてて気づいたことは、
鼻が詰まって、口呼吸になること。
口呼吸は万病のもとらしい。
泣き過ぎると軽く呼吸困難だ。
これからは、あまり無駄に泣かないようにしよう。

しかし、どうしようもないことってある。
逆にどうにでもなることなのかもしれないけど。
出来事はものすごく多面的で、どちら側からも真実だと思う。
だからよく考えると、簡単に人を責めたり出来ない。
出来ないけど、とても悲しくつらいことは、どうしても存在する。
それでも生きていかなきゃいけないのよ。
(今日の大塚寧々のセリフより)
・・・か。


2003年09月04日(木)



 うちの虫たち

先日、居間でテレビを見ていると、
上の方で「ジ〜ッ・・・」とゆう音がした。
電気かと思い、見ても何もない。
額のウラから聞こえてくる気もして、見たが何もなし。
耳を澄まして方向を見定めて、そちらを向くと、
スズムシが・・・。ジ〜ッ・・・。ま、いいか。

またある日、そのスズムシは私の部屋に。ジ〜ッ・・・。ま、いいか。

そして今日は部屋にカマキリが。ま、いいか。

なんだ、ここは。屋外なのか。
うちってなんかスゴイな。


さっきお風呂に入ろうとしてパンツを脱いだところに、
蚊が向かってきた。
とっさにパンツを持った手で叩いてしまった。
蚊はパンツの上でちょろっと
誰かしらの血を放出して、成仏してました。
なんで私はパンツを持ったまま叩いちゃうんだろうか・・・。


2003年09月05日(金)



 心と体のテンション

今日は誕生日だった。
そろそろ忘れそうな勢い。
でも「おめでとう」と言ってくれる人がいるから
まだまだ私も幸せ者だ。
・・・と、あっとゆう間にヘビーな練習漬けの一日は終わった。

最近思うことは「心と体のテンション」について。
これは少なからず比例していた。今頃気づいた。
薄々は気づいてたんだけど、最近よ〜くわかった。

今まで、ふざけて踊ったり、変な格好したり、
飛び跳ねて騒いだり、そんなことをよくしてたけど、
その時ってすごく気分が盛り上がってて、
フラフラになるまでやっても爽快な感じだった。
また、そうすることで盛り上がるキッカケになったり。

今はそれは出来ないし、すぐ疲れるし、痛い。
そうすると、心までテンション下がる。
あ〜、こんなにわかりやすくつながってたか、と。
だからと言ってずっと下がってるわけにはいかない。
よいしょと、動き出そうとするが、
心と体の切り離し、何しろ不慣れなんだろう、
これがなかなか上手くいかない毎日。
リハビリ必須といった感じ。

ちょっとずつ、ちょっとずつ慣れていけば、
いつかは仏像のようにジッと動かずとも、
意識は果てしなく満ち、拡大していけるのかしら。
不動の肉体と解き放たれる魂、みたいな。

日々、コレ実験。





2003年09月07日(日)



 ひとりでお茶を〜Tea For One

最近、なぜだかやめられないことがある。
それは、ひとりカフェ。
ボイトレの仕事前に、これをしないと気がすまない。
もちろん今日も。
だからといって、どうしてもコーヒーが飲みたいとかってわけでもない。
近頃はスタバでチョコレートチャンクスコーンを食べるのが常だが、
どうしても食べたいかって言われると、それも微妙な時も。
普段、1人の時間がなくて、束の間のひとときを楽しんでるわけでもない。
それについては、1人でいすぎるくらい有り余ってる。
それなのに、なぜだかやめられない。
30分でもいいから。15分でもいいからさ〜。
なぜに。なぜに。

何となくやめられないこと、クセになること。
恋愛も似てるかも。
私とチョコレートチャンクスコーン(以下チョコちゃん)との出逢い。
ある日、大して興味もなかったチョコちゃんを指さす私。
食して感動。そしてまた会いたくて通うのさ。
チョコちゃん目当てなのに、そこにいない時の悲しさ。
(おっと何だかキャバクラに指名しにいくオヤジに近いか・・・)
でも最近シナモンちゃんも試してみようかな、なんて。
チョコちゃん、嫌いになったわけじゃないのよ。
今ではチョコちゃんを指ささず横目で過ぎ去る日もあり。
それなのに、それなのに、なぜだか通ってしまうのさ。
いつの日かフェイドアウトしてゆくのか・・・



2003年09月08日(月)



 そして僕は途方にくれる

bbsで盛り上がってた銀色夏生の「そして僕は途方にくれる」
この詞が載ってた本を久しぶりに手に取った。
表紙(とゆうか帯)の詩が目に止まったので、1つ紹介。



 時間が二人の間からうばっていったものにたちうちできるのは

 時間が二人の間にのこしていったものだけだ

 私たちはお互いの大事なものになれるだろうか



誰かとの関係や何かとのつながりは、常に変化して、
なくしてゆくものと残ってゆくものがある。
何も残らない関係もあるけど。
何も残らないとゆうより、
残ったものはあっても、それに意味を感じないとゆうか。
だから、何を残してゆくかによって、
その関係の重要性を認識できるのかも。
お互いの大事なものになるとゆうことは、
残したものの重要性を深く感じられるとゆうことなんだろう。
いつまでも新鮮さに目を奪われていては、そこへは行けない。
それは必ず時間にうばわれてゆくものだから。


2003年09月09日(火)



 ぜんぶ

最終回のコト−見て例のごとく泣いた。
またしても口呼吸時間。
でも泣くのって好き。
なんか気持ちいい。


おととい紹介した詩、本を読みすすめてたら一部だったのが判明。
全文はこんなだった。



 あの頃の気持ちが思い出せない
 あの頃の気持ちの私なら なんでものりこえられるのに
 時間が 二人の間からうばっていったものは何だろう

 時間が二人の間からうばっていったものにたちうちできるのは
 時間が二人の間にのこしていったものだけだ

 私たちはお互いの大事なものになれるだろうか
 本当はいつでも条件は同じのはず

 楽しかったのは いつ
 楽しいのはいつ



詩の一部だけをくり抜いて、また詩になってるのがすごい。
金太郎飴みたい。
切る所によって、微妙に顔が違うところが。





2003年09月11日(木)
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