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しもさんの「気になる一言」
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2020年01月15日(水)
「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する

ある研修で「伝えるということ」について学んだ。
「体験・発見」の大切さを伝えるために、こんなことを目にする。
聞いたことは「忘れる」。見たことは「思い出す」。
やったことは「わかる」。発見したことは「できる」。
しかし、逆の立場(伝える側)から考えると、
話したことは「忘れられる」。見せたことは「思い出してもらえる」
やらせたことは「わかってもらえる」
発見してもらったことは「その人の身につく」と覚えたい。
だから講師の人は「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する、
その感覚を忘れると、いくら面白い話をして、
その場ではウケたとしても、大概は「忘れられる」ということ。
インパクトのあるものを見せたり、
ワークショップなどを企画して、やってもらう。
さらには、他人に教えてもらったのではなく、
自分が見つけたものなら、一生忘れないことになる。
自分の活動に落とし込んでみると、
柿田川の素晴らしさを伝えるには「話す」だけではダメ、
写真を見せたり、体験させたり、自分で見つけさせないと・・
なるほど、ちょっと嬉しいヒントだったな。



2020年01月14日(火)
最近考えが変わりました。

映画「蝶の眠り」(チョン・ジェウン監督)から。
作品の冒頭「小説家の心変わり」を表現する場面がある。
中山美穂さんが演ずる「女流小説家、松村涼子」さんが、
自身が遺伝性のアルツハイマーに侵されていることを知り、
今まで、小説を書くことで自分自身を隠していたことを認め、
大学生たちの前で、こう講義する。
「最近考えが変わりました。
小説よりも大切なのは自分自身だということです。
皆さんに自分自身を見せたいのです。
これからは小説の後ろに隠れません」と。
ありのままの自分を表現するから、これからの私を見て・・
とばかり、大学講師を始めたり、新作に取り掛かるのだが、
残り少ない人生だからこそ、自分の気持ちに正直に、と思う。
歳を重ねてきた私には、とってもよくわかる気持ちの変化だったし、
それを、みんなに「最近考えが変わりました。」と公言する勇気、
羨ましいな、とメモをした。
簡単そうで難しいのが、不平不満のない今の生活からの脱却。
今までコツコツ築き上げてきた自分との葛藤もある。
邪魔しているのは、中途半端なプライドだということも分かっている。
あとは彼女のように、言い切ってしまうことなのかもなぁ。



2020年01月13日(月)
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ

昨年11月頃から、クレイマー対応に追われ、
警察を呼ぶような騒ぎが何度も繰り返されて、
冷静にしているつもりが、何度も大きな声を出してしまった。
こんなことのために、公務員の再任用を受けずに、
定年退職の道を選んだのではないのに・・と思うが、
周りの人たちは、楽しそうでいいねぇ、と言うばかりで、
誰一人、心が折れそうになる誹謗中傷には、無関心。
クレイマーに対して「いい加減にしろ!」という人もおらず、
「あんたも大変だねぇ」と言うのが関の山だ。
だからって、今更、それを問題にするつもりはない。
原因は、適切に対処できなかった自分の責任だから。
ただ「言葉は力だ」と言いづけてきた私が、
「言葉の暴力」に対して、なす術がないことが情けない。
まだ、ギリギリのところで、心は持ち堪えているが、
マイナスの言葉を受け続けると、体が受け付けなくなる。
たぶん、最近、人と話すことが億劫になっているし、
「映画」や「読書」する時間が楽しいと感じてきているので、
ちょっと呟いてみたくなっただけ。
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ。
この「気になる一言」も、そろそろ・・・・。



2020年01月12日(日)
エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること

時々耳にする「シンパシー」と「エンパシー」。
その違いは、インターネットなどで調べれば、
多くの方が事細かに書いている。
「エンパシー」は「シンパシー」と同様に「共感」「共鳴」
「人の気持ちを理解する」という意味があり、
明らかに異なる点は、相手を気の毒に思う「同情」というニュアンスが
「エンパシー」にはあまり含まれていないこと。
「エンパシー」には「感情移入」という意味もあり「哲学」や「心理学」、
また自己の感情を表現する「美術学」の世界で用いられる言葉。
たとえば「共感が芽生える」「共感が湧く」という
ポジティブな状況においての熟語表現では「シンパシー」ではなく、
むしろ「エンパシー」の方が適切でしょう」とあったが、
実は、なかなかイメージできなかった。
そんな時、ラジオから流れてきた、読者投稿の定義、
「エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること」が腑に落ちたので
慌ててメモをした。(笑)
この例えが正しいとは言えないかもしれないが、
誰の説明よりも分かりやすかった。
様子、雰囲気がイメージできるってことが、いいよなぁ。



2020年01月11日(土)
今こそ分かれ目、いざさらば

映画「ビルマの竪琴(1956)」(市川崑監督)から。
戦争前・戦争中・敗戦後の日本軍の様子を題材にした映画は、
いくつも観てきたが、小隊の統制のために「合唱」を活用する、
それだけでも信じられなかったが、戦時中のドロドロした描写は少なく、
妙に清々して気持ちで観終わった。
それだけ、音楽に力があることを物語っているとも言える。
特に、泥だらけで精神も疲れているはずの彼らが歌う「荒城の月」は、
主線を歌うだけでなく、しっかりハモっていて、驚いた。(汗)
井上小隊が、戦時中どれだけ規律が守られていたかを説明しなくても、
この一曲の合唱を耳にするだけで、一致団結が理解できるのは、
メモに値した。
主役の水島上等兵が、井上小隊を離れ、訳あってビルマ僧となり、
竪琴演奏を通じて、仲間の日本兵に向けて別れを告げるシーンは、
繰り返して観ても、胸が痛くなるほど切ない。
その光景を思い出させる曲は「仰げば尊し」。
私たち世代は、卒業式の定番ソングとして、何度も口にした名曲であり、
歌詞の最後となる「今こそ分かれ目、いざさらば」が、
日本へ帰還する日本兵の仲間と、ビルマに残る水島との別れと重なり、
その光景が目に焼き付いて離れない。
静かな戦争映画だったなぁ。

P.S.
画面に表示された「ビルマ語」(ミャンマー語かな?)
記号みたいで、ポケモンの「アンノーン」かと思った。(笑)



2020年01月10日(金)
じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね

年末に集まった、恒例の「仲良しグループ」忘年会。
いろいろな話題が飛び交ってメモもしたが、
一番印象的だったのは、健康や病気の話をしていた時だった。
「今年、胆嚢の手術をした」という話題になったので、
「数年前に、胆嚢と同じくらいの大きさに胆石が育ち、
自分も、胆嚢全摘手術をしたよ」と、病気自慢をして、
「先生に、胆嚢がなくなって大丈夫ですか?と尋ねたら、
「キリンもないから、平気だよ」と言われたことを披露した。
そしたら、獣医の友人は、笑いながら
「牛はあるけれど、馬と鹿も胆嚢がないよ」と付け足した。
さらに、誰かが追い討ちをかけるように、
「じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね」と確認し、
「だってよ・・」と私の方を見ながら大笑いした。
胆汁が出ないから、日常生活に支障があると思ったけれど、
何も影響がなかったこと。
手術も、腹腔鏡で体に負担がかからず、3日ほどで退院したこと。
だから、昔の保険は意味がなかった・・なんて話を、
先日紹介した、全員がパフェを食べながら、話し続けた。
今回は「耳鳴り」の話や、突発性難聴の話など、
耳に関する病気ネタが多かった気がするなぁ。
先生の「加齢が原因です」が一番、説得力があるようだけど。



2020年01月09日(木)
元気に下山

仕事の帰り、いつものように書店により、久しぶりに、
タイトルを読んだだけで買ってしまった、
書籍「元気に下山」(毎日を愉しむ48のヒント)
(五木寛之著・宝島社新書・239頁)。
9年前にも、同じことをした記憶があり、検索したら、
書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)で、
書店で目にして、珍しく立ち読みもせず(内容も確認せず)
買ったことを笑いながら、書いてあった。
今回は夕食の食卓で、母に「面白い本見つけたよ」と見せたら
「えっ、あなたのこと書いてあるの?」と驚いたので、
妻と一緒に、大笑いした。
そう言えば、私だけでなく、母も妻も娘も「下山」。
嫁に嫁いだ妹だって、親戚一同「下山」に反応するはず。(笑)
私の場合、もう一つのヒントをもらった。
それは、書籍「元気に下山」(柿田川を愉しむ48のヒント)
試行錯誤しそれでも悩んでいた、柿田川の魅力の伝え方、
まとめ方は、これだな、きっと。・・ラッキー。(笑)



2020年01月08日(水)
あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ

映画「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(ロブ・ライナー監督)から。
「イラク戦争の大義名分となった大量破壊兵器の存在に疑問を持ち、
真実を追い続けた記者たちの奮闘を描いた実録ドラマ」であるが
私は、小さな子供を持つ、ある家庭の会話が気になった。
「授業で米国の偉大さを勉強したって?」というシーンから始まる。
「どこが偉い?」と父親、「自由の国」と子供。
「いい答えだ」「いい子ね」と両親。ここまでは普通だけれど、
「学校で愛国主義教育とは・・」と母親が嘆き、
「今は愛国心が必要だろう?」と父親が反応するのだが、
それを受けた母親の返しの一言が、インパクトがあった。
「あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ。
ユーゴスラビアもそうだった。おかげで国がバラバラだよ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
「愛国心または愛国主義は、自分の国家に対し、愛着や忠誠を抱く心情」と
同意語のように扱われているが、やや違和感を覚えた。
うまく言えないが「愛国心とは、自然発生的に感じる感情」であり、
「愛国主義とは、その考え方を教育で植え付ける」イメージがある。
もし敢えてその違いを説明するのなら、
心の底から「誇れるかどうか」、そんな気がしている。
自分の住む国を愛しているからこそ、嘘で固められた政策に対して
反旗を翻す行為を黙ってみてられない、心境になる。
アメリカ人の「愛国心」と日本人の「愛国心」・・
どちらが良いということではなく、ちょっと違う気がして観終わった。



2020年01月07日(火)
未来を、どこまで楽しくできるか。

私が読み直したのは、正月に新聞紙面を飾る、
各社の一年の抱負とも思える、キャッチコピー。
今年、あっ、これいいな、とメモしたのは、
パナソニックの「面白い年になりそうだ。」と
トヨタの「トヨタイズム」と書かれた
「未来を、どこまで楽しくできるか。」だった。
社是、と言われると難しく感じられるが、
今年一年、こんなことを念頭に仕事をしよう、という
とてもわかりやすい表現だな、と思ったから。
とにかく、方向性があってるか、間違っているかは別として、
何をしたいのか、どんなものを目指していくのか、を、
社会に向けて、コミットするという意志が感じられる。
トヨタの「未来を、どこまで楽しくできるか。」は、
まさしく、大きなイベントを控えた日本という国を、
そして、自動運転が本格的になってきた自動車業界を、
足を引っ張り合うのではなく、共に歩んでいこうとする、
そのキーワードが「楽しい」だったからかもしれない。
もちろん「柿田川を、どこまで楽しくできるか。」が、
私の今年のテーマでもあることは言うまでもない。
楽しくなったそのあとは、パナソニックが目指す、
「面白い」のはずだから、この2社が気になったのかもなぁ。



2020年01月06日(月)
手帳にオリンピック日程などをメモ

新年の新聞内容は、普段の紙面と違い、情報満載だが、
気になったことは、手帳などにメモして欲しい。
なぜ、こんなことを提案するかというと、
今年の「オリンピックイヤー」をどれだけ「自分事化」として捉え、
対応をしているか、気になったからである。
何も、オリンピックに合わせて、イベントを開催して欲しい、
そんなことではなく、恒例のイベントを企画している人は、
オリンピックの種目(特に決勝)によっては、
国民全てが、オリンピックムード一色になることが予想され、
予定していた人たちが集まらないことも意識して、
企画を立てる必要があるよ、と言いたかったのである。
以前、サッカーW杯日本戦とか、WBCの決勝戦などを考えず、
全然、人が集まらなかった経験があるので、
それ以来、私は自分の手帳に、大きなイベントの日程などは、
書き込むクセがついてしまった。
昨年のラグビーW杯だって、同じことが言えたはず。
もしかしたら、飲食業だって影響があるかもしれない。
少なくとも、ターゲーット層が夢中になりそうな種目の日程は、
知っておいて損はない気がするなぁ。