凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2007年01月22日(月) お誕生会

集合住宅内の幼稚園OBのお誕生会へ、アイとアユムと一緒にお邪魔させてもらった。

この幼稚園OBとは結局アイは残念ながら親密にはなれず、登校するメンバーの片隅に加えてもらっていただけの関係になっていたんだけれど、さすがにアイもつまらなくて仕方なかったようで。
毎朝皆の輪の後ろから一人うなだれとぼとぼとついていく姿に、もうこの幼稚園OBとの関係も潮時かな。
無理に続ける意味もなさそうだし、と一緒に登校するのをやめて半年。
まったく繋がりもなくなったわけだし、もうお誕生会も声をかけてもらうこともなかろうと、肩の荷が下りた開放感とちょっとだけの寂しさを感じていたんだけれど。

意外や、子供達の仲は関係ないのか、子供のお誕生会には変わらず声をかけていただいている。
子供も一緒に顔を合わせれば、それなりに遊ぶわけで、アイもお誕生会は物凄く楽しみにしてて、数日前からプレゼントを選びに店をはしごしたり、カードをせっせと書いたりとそれは楽しそう。
ついでに、アユムもしっかり数にくわえてくださるおかげで「お誕生会たのしいー!!」と姉妹で浮かれ楽しみにしている状態。

ま、これはこれで、声をかけていただける間はこちらも同じように声をかけて、お誕生会を楽しんでもらおうか…と思った次第。

子供達はWiiで大騒ぎの大盛り上がり。
親達は親達で勝手にケーキをつつきつつ近況だの情報交換だので盛り上がる。
そう。奥様方の情報網は素晴らしいので、とても参考になるのだ。
今回は来年中学入学の子の準備と来期の小学校だの自治会だのの役員決めの話だのがメインだったような。
子供会の役員、なり手がいないのでどうも来期は私にまわってきそうな情報もいただいた。
え。来期は無理。だってアユムの入園と、夫が一応四月からの正社員の口を見つけてきたので生活リズムが大きく変わるため、今年はどうなるか予想がつかないのだもの。
夫の仕事が土日も無いようだったらアユムを連れての役員行事参加は大変だし。
収入が大幅に減るのに、幼稚園入園で出費は確実に増えるので、そのへんの様子を見て、私もそれなりに何かしなきゃと思っているし。
そんな我が家の転換期に、任意で入会の子供会の役員なんてボランティア、やってる余裕が無い。

役員の話が来たら、申し訳ないけれど辞退して、子供会は退会しよう。
今年は生活の様子を見ながら、幼稚園のバザー役員あたりを引き受けようかと思っているし。


次回はアイのお誕生会をうちで開くわけだ。
また二月後半から大掃除だな。(苦笑)
年度末の大掃除は子供達のいらないおもちゃだの作品だの整理するのにも丁度良くて、これはこれでいい機会なんだろうなぁといつも思う。

問題は、アユムがいつ「私のお誕生会は?」と言い出すか、だ。
アユムのお誕生会に小学生呼ぶのもなぁ。
しかしこの集合住宅にアユムの年代の幼稚園児の友達は数名いるけど、そうするとお互い呼んで呼ばれて、になって、面倒って話もあるだろうし。
実際、アイの時、声をかけたら「悪いけど子供がうちもやりたいって言い出すと面倒だから」と遠慮された事もあるし。

ま、どうなるか、春になったらだな。
とりあえず、節分まではのんびりして、雛人形を出したあたりからぼちぼち片付けを始めるか。
うちはWiiは無いから子供達には人生ゲームでもしてもらおうかな。

回を重ねるごとに、気楽に準備できている自分が嬉しい。
初めてのお誕生会開催の時は緊張で前後寝込んだ気がする。
人付き合いがひとつ楽になってきているのは、ちゃんと頑張った事が無駄になっていないって感じで、嬉しい。
頑張ろう。


2007年01月16日(火) 正月

年末里帰りをするたび、近所のおじさんおばさんがおじいさんおばあさんになっていっているのに驚いたり、甥っ子姪っ子達が昨年よりまたひとつ出来る事が増えていて微笑ましかったり、自分の記憶の中から少しずつ変わっていっている風景とか、日々ぼんやりというか、バタバタとその日をやり過ごして生きているだけの自分だけれど、世の中はこうして確実に時間が流れていっているんだなぁとしみじみ感じる事が多かった。

私の母と夫の母は同じ年齢だけれど、勤めていたせいか、母の方がいつも元気そうだった。
義母も「おかあさんはお仕事されているから元気で羨ましい」といつも言っていたし、皆、そう思っていたと思う。
義父は心臓疾患があるし、年齢的にも、正直、一番先に弱るのは義父かもな…と失礼ながら思っていた。
実際、里帰りのたび、義父は少しずつ小さくなっていっているように感じたし、大好きな酒の量も当然ながら減っていっているし。

しかし今回の里帰りで一番弱っているように見えたのは、私の母だったと思う。
身体的な印象もだけれど、話していて「あれ?」と思うような小さなズレを感じる事が多くなった気がする。
縁起でもないけれど、というか、予感がはずれればいいけれど、母は性質の悪い、怒り癖のある痴呆性の老人になりそうな印象を受けた。

このいきなりの老いはなんだろう、と考えると、母の弟の妻である叔母の死が大きかったのかもしれない。
母とこの義妹は生涯仲が悪かった。
可愛い弟にしがみついた疫病神といった感じに思っていたと思う。
それでも弟の為、世間一般の付き合いはきちんとこなし、なんとか歩み寄ってやっていた、という気分なんだろう。
その叔母があっさり癌で他界。
母は何十年も叔母を影でけなし罵りながら、表面ではそつなく付き合いして、それなりにバランスを保って過ごしてきたわけで。
そのバランスがあっさり崩れ。
母があんなに嫌った最低女であったはずの叔母の葬儀はたくさんの花輪に弔電に香典に、涙を流して別れを惜しむ友達にご近所さんにと、それはたくさんの人々の涙に送られていった。

母の中の価値観があれで多少崩れたのだろうと思う。
自分が死んだ時、はたしてこれだけ花輪が届くだろうか。
泣いてくれる人がいるんだろか。
あれこれ考えたのかもしれない。

思えば義母が急に老け込んだように思えた年は、お兄さんが亡くなられた年だったような気がする。
兄弟姉妹が亡くなると、親戚や親の時より死を痛烈に身近に感じるのかもしれない。

義母がそれでも元気になったのは、やはり配偶者である義父の存在なんじゃないだろうか。
お兄さんの記憶を多少なりとも共有する部分があり、共に歳を取り、互いの体の変調や心を気遣い。
義父より先に死ぬわけはいかない、介抱は自分がしてやらなければいけないのだし。
それが自分の存在意義のように、生きる張り合いのように思えるのかも。

連れ合いを早くに亡くした母にはその話し相手がいない。
今までの人生を一緒に振り返り、老いていく感情を共に語り合う相手がいない。
それは多分、張り合いの無い事なんじゃないんだろうか。

「70までは皆結構生きる。80までの10年でバタバタ死んでいくんだ」と義父は老いていく事について笑いながら語った。


一日一日、確実に老いていき、死に近づいていく体を、繋ぎとめるのは心なのかもしれない。

母が己の心を繋ぎとめる何かを今年は見つけることができるといいのだけれど。





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