◇日記◇
DiaryINDEXpastwill


2012年10月31日(水)

◇◆◇◆

はっきりと、どう、と診断がついたわけではないけれど、

橋○病の傾向があるみたい。

甲状○の機能が低下してるのか、しかかってるのか、そんな感じらしい。

ま、いいか。


2012年10月29日(月)

◇◆◇◆

歌稿を送って、上機嫌。


2012年10月28日(日)

◇◆◇◆

昨日は良い天気だったので、近所を散歩した。

雪虫が、飛んでいるのか風に吹かれているのか、

その白い胸の毛に秋の陽ざしをいっぱいに浴びて、輝きながら空中を漂っていた。

わっくわくの冬が来る。


2012年10月26日(金)

◇◆◇◆

医師との面談は、もっとひどかった。

私が。

まるで父の死を望んでいるかのような発言になってしまった。



私のなかには、手術を拒否する父への怒りもある、とわかった。


2012年10月25日(木)

◇◆◇◆

また失敗した。


もしお父さんの大動脈瘤がどうかなって、緊急手術となったとき、
人工呼吸器をつけないとならないって、なったら…

と言いかけた私に、母は

99%即死だって言われたから、と。

でも1%の可能性があるでしょう、と私。


−何もして欲しくないってお父さんが…

−そういうこと、お父さんとゆっくり話しておいてね


待合室での、父が血圧を測りに行っている間の会話。

私は、父が生き残る可能性を考えていた。



そこに父が戻ってきた。

母は、ぺろっとその話をしてしまった。

少し気落ちした様子の父。

私は、何も今言わなくても、と気になる。

何を言ったんだろう、とも気になる。


後ほど、また母に言った。

さっき、待合室でお父さんに話しちゃったの?

母は「だっていつもそういう話しをしているから」と。

母の「だって」が出ると、私は怒りを覚える。

毎回毎回、だってだって、と自己を正当化して、と。


なので、急いで言った。

話したのは、いいの(本当はよくなかったが)。
その時、お父さんがちょっと気落ちした様子だったのわかった?

気落ち?してないでしょ、私はそうは思わない、と母。


母とは繊細な大事な話はできない、と再認識。


私はもっと大人にならないと。
両親のそばにいると、どうしても子どもに戻る。
大事なことは、相談して、と思ってしまう。


2012年10月24日(水)

◇◆◇◆

今日は、両親を街のホテルに送り届けて帰宅。

ウチから自転車で実家に行き、父の車でホテルまで連れて行き

車を置きに実家に戻り、そして自転車でウチに戻った。

これだけなのに、一時間以上かかった。

仕方ない、そういうものなのだろう。


明日は、朝早くから、父を心臓血管外科に連れて行かねばならない。


毎日が飛ぶように過ぎていく。



2012年10月22日(月)

◇◆◇◆

野球のルールはよくは知らないが、

なにやらすごいことになってるらしいということは、

テレビの解説者の口調からよくわかる。

あとみっつ、だそうだ。

なにがあとみっつ、なのか。


アウトの数かな?


2012年10月21日(日)

◇◆◇◆

今日は、寒い。

タイヤも交換したし、いつ雪が来てもいいように準備は整った。


でも、雪虫はまだ見かけていない。

まだしばらくは、雪は降らないな。


しかし…一ヶ月前には30℃もあったなんて。

あの暑さをもはや忘れかけている。


2012年10月20日(土)

◇◆◇◆

どうして、夏には犬が朝5時から屋上に放たれるか、理由がわかった。

太陽。

日の出とともに犬が目覚め、飼い主も目覚め、そして屋上へ。

だからなのだ、最近は6時半、ときには7時にならないと吠えないのは。


理由がわかったからといって、ウルサイことに変わりはないけど。


2012年10月18日(木)

◇◆◇◆

このマンションの難点は、裏の家の犬である。

いや、犬が問題なのではない。

飼い主が問題なのだ。


朝5時から犬を屋上に出す。犬は、中に入れて欲しくて吠える。

それで目が覚めてしまう。

周辺住民が苦情を言うと、一ヶ月くらいは屋上に出さないが、

結局は、元の木阿弥。

それに耐えて10年。


今朝は、歌声で目が覚めた。

女性の声、しかもしっかりとした発声で歌っていた。

「ちんぎんはらえ〜、かねよこせ〜、えいえいおー!」

聞いたことのない節回しでくり返し歌っていた。


ウルサイね、とねこぞーともそもそ会話する。
ここって、犬もウルサイけど、人間もウルサイよね。


最後に、その女性は

「あ〜と〜い〜くつね〜る〜と〜 お〜しょう〜が〜つ〜」

を朗々と歌い上げ、そして練習(たぶん)を終えた。


なんかの集会の練習だね、とねこぞー。
うん、年末になにかするんじゃない?
しゅしょうかんていまえ、とかで、と私。

そして私たちは、二度寝した。


2012年10月17日(水)

◇◆◇◆

ねこぞーが、高校時代に「ラジオ体操部」に入っていた、という夢をみた。


部員が二人しかいないらしい。

だから、正式な部じゃないんだ、と(高校生の?)ねこぞーが言う。

活動は、毎日。

放課後、二人で集まって、ラジオ体操第一か第二をする。

それだけ。

調子が出たときには、第一と第二、続けてするときもあるらしい。


な、らくな部活だろ?体にいいだろ?

なにより、すぐ終わるってとこがいいだろ?

と言われて納得したところで目が覚めた。


夢の後半から、これはオカシイ、ねこぞーは陸上部だったはず、と思ったが

いかんともし難く、夢は完結した。


なので、目が覚めたとたんに、まだ眠っているねこぞーに

「高校のとき、ラジオ体操部に入ってた?」

と聞く私。

ぶわっはっはっは、と半分眠りながら笑うねこぞー。



私って、幸せな人生を送ってる、とつくづく思った。



◇◆


随分以前、まだ20代だった頃、母にねこぞーと離婚しなさい、と言われたことがある。

ねこぞーのべーちぇっとが判明し、コドモも難しいかも、と言われた頃だった。

そのときの母の言葉、私くらいの年齢(当時母は、50代半ばすぎ)になって
失敗した、と思ってももう遅いんだよ、子どもが欲しかったと思っても遅い、今のあなたならまだやり直せるから、離婚して別の人生を考えなさい、にずっと反発しつつも、どこか恐れてきた私であった。

いま、自信を持って言える。
私の選択は正しかったよ、お母さん。
私は全く後悔していない。
べーちぇっとは治ってないし、片目も失明したままだし、更に他の病気も
抱えているけど、そしてやはり子どもは無理だったけれど、でも
ねこぞーとの生活は、楽しくて幸せ。
お金も大してないからものすごい贅沢な暮らしはできないけど、
でも、とても楽しくてとても幸せ。
ようやく、またひとつ、母の呪縛から解き放たれた。


2012年10月14日(日)

◇◆◇◆

昨日、思いついて盤○に行ってみた。

冬はスキー場である。

夏なら、歩けるらしい。

ついた途端に、雨。とりあえず、行けただけで満足して帰宅。

○渓から、荒井山、円山と抜けて街にもどった。

思いついて、知事公邸に寄ってみた。

芝生と大福(安田かん、の彫刻)が美しかった。


紅葉はまだだった。


2012年10月11日(木)

◇◆◇◆

久しぶりに雨。

少し落ち着けそうで、嬉しい。


晴れだと、どうしても外に出て行きたくなってしまう、のみならず

出て行ってしまう。

それはそれで楽しいのだが、家の中のことが、すべて滞る。


冬を迎える準備をしないとね。


2012年10月05日(金)

◇◆◇◆

醤油さしを割ってしまった。


この日記、一番最初に書いたのが、小皿を割ったという話しだった。
もう消してしまったかもしれないけれど。
こうやって、ひとつの季節が終わる。


そして、私は私のままで生きていく。


2012年10月03日(水)

◇◆◇◆

あっという間に10月も3日。
今日は、自転車で街に行ってきた。

欅のご飯茶碗と汁椀がペアで陳列されていたので、珍しいと思い、即、買った。

木のお椀でご飯を食べたことは、ない。

どんな味がするのだろうか。


今までの汁椀は、桜だった。
ねこぞーのは割れ、私のも傷みが激しくなってきていたので、
嬉しい買い物ができた。


sai |MAILBBSDiaryINDEXpastwill

My追加