◇日記◇
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2010年03月23日(火)

さて。

さっそく、今日から始動する。


2010年03月22日(月)

父が、手術を止めて、退院してしまった。

今回見つかったのは、腹部大動脈瘤である。
1月の上旬に見つかり、すぐさま入院・検査となった。
しかし、なかなか手術の方法などが決まらない。
肺が悪い父なので、医師も慎重になったようだった。
当初は、カテーテルでの治療を模索していたようだが
開腹じゃないとだめだ、との結論が出たのは、3月に入ってからだった。

しかし、それからまた、問題が持ち上がった。
10年前の大腸ガンの手術の様式について、である。
どこをどうやって切ったか、と問われても、
お腹を縦に切った、としか答えられない。
では、その病院に問い合わせます、ということになった。

そして、ようやく入院。3月18日だった。


3月20日。
両親と私は、術前の医師の説明を聞きにいった。




−あなたの大動脈瘤は、とても悪い。

医師は切り出した。
この言葉は、この2ヶ月、外来で診察を受けるたびに聞かされている。

−大きさもそうだが、形も悪い。こんなにでこぼこしている。
 しかも、ここにもここにも、ある。
−放っておけば、間違いなく一年以内に破裂します。
−なので、カテーテルの治療は無理です。

これも何度も聞いた科白である。

「もちろん、このまま抱えて生きていくというのもひとつの方法です。
藤田ま○とさんのようになります。
手術するというのも、ひとつの方法です。
それは、あなたが決めて下さい」

父に言われた言葉だが、藤田ま○とさんのように、がとても印象的に耳に残った。

藤田ま○とは、大動脈瘤があることを知ってそのまま生活していたのだろうか。
それとも、知らずにいて、ある日突然破裂して、命を落としたのだろうか。


−ところで、大腸ガンの手術の様式がわかりました。
 S字結腸のところを切っている。お腹の左側です。
 ちょうど、大動脈瘤のところで(?)場所が非常に悪い。
一番あっては欲しくないところにあることになります。
 お腹をあけてみないとわからないが、癒着がひどいかもしれない。


−しかも、あなたの場合は、肺がかなり悪い。



この医師は癖なのか「悪い」という言葉を多様する。
聞かされる身としては、辛い。


−大動脈瘤の手術はできます、
−麻酔からも醒めるでしょう、
−ただ、しばらく人工呼吸器をつけないとならないかもしれません。


しばらく、というのはどのくらいか
人工呼吸器をつけたままになる可能性はあるのか、その場合の確率はどのくらいか、
自分としては、手術を受けたはいいが、その後ずっとベッドに寝たきりになるのは困る、

というようなことを、父が質問した。

素人の質問の仕方で、疳に障ったのかもしれないが、医師は突然大声を出した。

どのくらいか、などやってみないとわからない、
確率なんて聞いてどうするんだ、
仮に12%だ、39%だ、と聞かされてもそんなものに意味はない、

というようなことを言葉こそ丁寧だが
怒気をはらんだ大声で述べ立てた。



そこからは、私が質問した。
麻酔がかかっている間は、挿管されているんですよね、
自発呼吸がある、ない、は管をはずしてからわかるのですか?

これも素人の質問で、苛ついたのかもしれないが医師は、私にも怒鳴った。

自発呼吸があるかないか、は管を外す前にわかるんです。
自発呼吸がある、とわかってから管を外すんです。
じゃないと、殺人じゃないですか。そんなこと、私はしない。

そうですか、となぜここで殺人の話しが出てくるのか、
かなり驚きつつ、私は答えた。
では、自発呼吸が少しあったら、管をはずすとして・・・
私が言いかけると
医師は、大声で怒鳴った。

少しではない、完全に自発呼吸がないと管ははずしません。
じゃないと殺人になると言ってるではないですか。
私はそんなことはしない。

すみません、と私は謝った。
では、完全に自発呼吸が出たら管をはずしたとして、そのあと
また自発呼吸がなくなったら、どうするのですか?
また、人工呼吸器をつけるのですか?

ばかみたいな素人の質問だが、どうするのだろう、と、素朴に私は疑問だったのだ。

もちろんそうです、と医師は怒鳴った。
そうしないと殺人だろう、殺人になるんです、もちろん、人工呼吸器をつけます。


この医師は、人工呼吸に関して何か大きな傷を抱えているのかも、と思いながら
私は質問を続けた。

では、自発呼吸がなくなったらまた人工呼吸器をつけて
また自発呼吸が戻ったらはずして、
もしまた自発呼吸がなくなったらつけて、を何回も繰り返すのですか?


3回から、4回まではやります、そのあとは同じ事を繰り返しても仕方ないから
気管切開になります。
医師の声が急に冷静になった(のは面白かった)。


その場合の栄養補給はどうなるのですか?

鼻からチューブを入れて補給するから、心配はないです。

医師の声がまた少し普通に戻った。

この医師は、患者や自分の感情を扱うのには慣れていないのかもしれない、
技術的なことは説明できるのかもしれないが、と私は感じた。


鼻からのチューブは違和感はないのですか? また私が質問した。

違和感はあるだろうが、慣れてもらわないと困る。
そういう人は大勢いるんだ。
また医師の声が大きくなる。


口からはものを食べられないのですか?

人工呼吸器をつけている間は食べられないが
気管切開をしたら、食べられるかもしれない。

また少し医師の声がやわらいだ。

胃に穴をあけての栄養補給になったり、ということもあるのですか?

私が質問した。

父が、それはイヤだな、と呟いた。

とたんに、医師の声が大きくなった。
「本当に、細かい人だ」

「細かいですか?」父が聞いた。

「細かい、こんなに細かい人は見たことがない」医師は大声を出した。

私より年下の医師に父が怒鳴られるのを見るのは切なかった。

「私は、これ以上家内や娘に迷惑をかけるのもいやで」
父が話し始めると、医師は
では、ご家族でお話ください、病室に戻って話し合ってください、と席を立った。

「手術は水曜日だから、火曜の朝までは待ちます
麻酔科の医師も忙しいしこちらも手術がつまっている、ご自分で決断されてください」

私はもっと聞きたいことがあったのだが、とりあえず打ち切りとなった。

カンファレンスルームをまず、父が出て母が出た。

私は医師に、どうしても聞きたいことがあった。

それは、この面談の最初から、医師がぴりぴりと怒っていたことに関してであった。
私の知らないところで父となにかもめ事があったのか、
それを確かめたかった。
なぜ怒っているのですか、と聞きたかった。

怒るには、普通はきちんとした理由がある。
その理由と、怒るに至った経緯を医師の口から聞いておきたかった。

しかし、医師は、両親のあとについて、部屋を出て行ってしまい私ひとりが残された。

・・・とろい、ってこういうことか、と突然思って可笑しくなる私・・・




そして、父は「手術はしない」と言って退院してしまった。
医師は他の病院にかかるまでの間、と言って
3日分の薬をくれた。


2010年03月12日(金)





◇◆◇◆


あっという間に、もう3月。

春である。

異様に寒いけど。




あれからいろんなことがあって、まだ10日間くらいしか経ってない感じなのに

実際には、2ヶ月が過ぎている。

びっくり。




◇◆


父は、1月末に某病院に検査入院し、2泊して退院。

2週間後にきてください、といわれ

そのときには、手術の予定もたっているのだろうとまちこがれて

2週間後、2月半ばに病院に行ったら

全然、何も決まっていなくて


どれだけ

‘腹部大動脈瘤の形が悪く大きいか’

の説明をされ

できれば、開腹せずに腹腔鏡で手術をしたいので検討させてください

といわれて帰宅。



2週間後、3月はじめに、今度こそ決まっているだろう、と

希望を胸にまた受診。


しかし、再度、

どれだけ‘腹部大動脈瘤の形が悪く大きいか’を説明され

開腹じゃないと無理みたいです、と言われ、

でも、10年前に大腸がんで開腹手術をしているので

癒着があるかも・・・

それによっては、どうやって切るか、検討しないとならないです、

前回の手術はどこの病院でしたっけ?

どういう手術をしたか、の書類をとりよせたいので

しばらく待っていてくれませんか

という話になり

げんなりして帰宅。


病院に行くたびに、父がやつれていく。



毎回


この大動脈瘤は大きいから

一年以内に必ず破裂します




(破裂したら命はないと思ってください、という保証つきで)



と言われ、

じゃあとっとと手術してくれ

と言いたくなるのをこらえるのが一苦労。




そして、ようやく入院の日と手術予定日が決まった。

来週入院し、再来週手術らしい。


入院してから手術まで9日間もあるのはなぜ? と思うが

仕方あるまい。



退院はいつになるのだろうか。


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