読書好きの弊害というか

 もともと、本が好きで、というか日本語が好きで、いろんな本をそれこそ水を飲むかのように読みまくって、いろんな知識や感情や物事の成り立ち方なんかをずっと吸収し続けて、今の自分が出来上がってます。
 僕の持っているほとんどの経験や知識は、全て文章で書かれたものから得ているものが大部分なので、そういった物事の生の感覚というものが、かなり不足しているなぁ、と最近思うようになりました。
 いや、不足していたところで、日々の生活には何ら影響はないと思うのですけど、なんというか、充足感?というか、満ち足り方というか、そういうものや、感情の起伏、生きる方向性、感受性、そういう目には見えないところが、かなりいびつになってるような気がしてしょうがないのです。

 これから先の人生で、表面だけ出来上がった人格の内側が充実出来ればいいなぁ、と思う日曜日の午後。
2004年04月25日(日)

書いてはみたものの

 世間との価値観のずれを修正しつつ生きていかなきゃいけないとするなら、そのお手本となるべき価値観はどこにあるんだろう。
 根源的に正しいものは存在するのだろうか。
 皆がみな、自分の価値観を正しいとして行動するということは、ある種の地獄絵図に他ならないけど、最近の風潮はそういったことを推奨するものに思えて仕方がない。
 思うがまま、感ずるがまま、なんて言葉は綺麗だけれども、その裏にある本質を踏まえた上で言っているとは思えない。それは、ただの我が儘だし、ただの獣でしかないんじゃないのかな。

 規律規律で縛られた世界なんか、堅苦しくてごめんだけど、じゃあ規律を一切取っ払ったところに何が残るのだろうかね?
 ひとは、たぶんそんなに強い(弱い)生き物じゃないです。

 我慢が足りない、ってわけではないです。その前に、我慢してるんですか?
 枷に縛られているという前に、その枷を見せてみてください。
 この世はそもそもの初めっから、不平等に出来ているんです。
 だからこそ、変えていけるところを、平等にしていこうと思えるのです。
 根本的に能力の足りない人は、努力しても無駄なんです。
 だからこそ、いろんな人がいて、いろんな生き方があるんです。

 言葉が足りないです。
 ただの感情の吐露じゃないか。情けないね。
2004年04月11日(日)

一息つけそうかな

 年度末の猛攻も何とかしのいで、ようやく一息付けそうな感じです。
 このすさまじさを目の当たりにすれば、人も増員してくれるだろう…、と思っていたのですけど、甘かったです。配属ゼロ。キビシー。

 桜がぼちぼち咲きそうです。
 大阪城公園とか、人の出が凄まじいところは、性根が田舎者なせいかまったく受け付けないので、家の近所にある川沿いの桜並木の下を、自転車で通勤がてら見ておこうと思ってます。
 家に帰る頃には日も暮れているので、朝の清々しい空気の中で見る桜を見ながら出社して、しんとした夜桜の下を通り抜けて帰宅するって、心の栄養になる気がします。

 ゴールデンウイークは、すでに仕事の予定がびっちりです。
 今のうちに、消耗した気力体力を回復させておこうと思います。
 仕事に命をかける、なんちゅうことはまったく思わないですけど、一応社会人としての責務はきちんと果たさなきゃいけないし、やるからにはばしっと決めたいですもんね。

2004年04月01日(木)

日々 / いけだ