TOM's Diary
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2005年05月27日(金) 正しいのだが・・・

「A級戦犯は罪人ではない」とは、厚労省の政務次官の発言だ。

だが、一般的にはそう言う認識を持っている人はどのくらい
いるのだろうか?私の知る限り、ほんの一握りの人たちだと思う。

A級と付くくらいだから戦争にかこつけてとんでもない悪いことを
した人と考えている人がほとんどだと思う。しかし、ここ言うA級
とは一番と言う意味ではない。

A級があるのだから、B級があるのか?

ある。
B級、C級。
うろ覚えだが、B、C級戦犯は捕虜の扱いなどを定めた国際条約に
違反するなど、いわゆる戦争と言う状況のなかでおこなってよいと
されている条約から逸脱した行為をした人たちを指す。
B級は捕虜の逆代などを指示監督した犯罪者、C級はそれ実行した
犯罪者ということになっていたと思う。逆かも知れない。
つまり罪の重さではく、犯罪の内容で分類されているのである。
わかりやすく言うと、刑法犯と殺人犯を区別するように、分類
しているようなものだ。

それに対してA級戦犯は・・・
私の感覚では、戦勝国がの人々が「あいつは憎たらしいが戦犯に
できないのは悔しい。そうだ、平和を乱した罪で起訴しよう。そんな
罪はない?良いんだ、俺たちが法律だ」と言ってでっち上げたような
ものだ。

そう、「平和を乱した罪」だ。

1945年に東京裁判のために作られた決まりで、戦前に遡り適用され、
この罪で7人もの人が絞首刑となり、18名が終身もしくは有期の禁固
刑となった(禁固刑のものの一部はのちに釈放となっている)。
つまり事後法で罰せられたのである。

言い方を変えると、A級犯は、駐車禁止ではない道路に停まっていた
クルマの持ち主が気に入らないから、その道路を急遽駐車禁止にして
すでに停まっていないそのクルマの持ち主を駐車違反で取り締まる
ようなものだ。
つまり、犯罪すら犯していない上に、半ば嫌がらせのようなものだ。


さて、話を戻して、政務次官の発言に間違いはない。

しかし残念ながら、かの国は、戦争を起こした人たちがいる場所
を参拝していることについて文句を言っているのであり、その代
名詞としてA級戦犯と言う言葉を使っているのである、と言われ
ておしまいだろう。


2005年05月25日(水) 飲酒運転

仙台でよっぱらいが事故を起こして高校生3人が亡くなったそうだ。

ここだけの話、私も酒を飲んで運転をしたことがある。
もちろん、若かりし頃の話であり、今は一切しない。しかも、
ほとんどは酔っているうちに入らない程度、それこそ乾杯だけで、
あとは烏龍茶などで我慢したときだが、いまでは、乾杯も烏龍茶に
している。正直、私にとって、乾杯の時だけの一杯なら、絶対事故
なんて起こさないとは思っているが、法改正後は飲酒検問が恐い
ので運転するときには一口も飲まないようにしている。

だが、一度だけ、ひどく酔っ払って運転したことがある。
その日は飲み会がいつになく盛り上がり、いつもの路線は終電が
なくなってしまうまで飲んでいたのだった。しかたがないので
別の路線で帰宅した。この路線だと、最寄駅から自宅まで徒歩で
30分以上かかる。が、その中間付近、15分ほど歩いたところに
マイカーの駐車場がある。
その日は間違えてクルマのキーをポッケに入れて家を出てしまった
ので、これ幸いと、クルマで一休み。

酔っているときには判断力が鈍くなっているので、普段ダメだと
思っていても、なぜか大丈夫な気がしてしまう。しかも若さゆえ
の無鉄砲さがそこに加わるから恐ろしい。

翌日は早朝からクルマで出かける用事があった。
ここから、歩くと15分かかるが、クルマなら5分、とっても
楽チンだ。しかもほんとにわずかな距離である。大して酔って
いる気もしない。明日の朝15分かけてここまで来るのも面倒である。
とても身勝手な理由だが、これだけ理由が揃ってしまうと酔っ払いの
頭では間違った判断をしてしまうものだ。

結果は、とても丁寧な運転で無事に家までたどり着き、途中警察の
ご厄介になることもなく済んだのだが、万が一なにかあったら人生が
狂っていたに違いなく、今考えるととても恐ろしい出来事だ。
本来ならば、酒を飲むことが判っていたのだからクルマのキーは家に
置いて出るべきであったのだ。その時点での判断が間違っていたのだ。

--

その後の法改正で、今はとても厳しくなっている。
しかし、なにかが間違っている気がする。

罰則等が厳しくなっているのはもちろんだが、その中の目玉商品とも
言えるのは呼気中のアルコール濃度の許容値が引下げられたことだ。

それがいけないとは言わない。
厳しくなったのだからますます飲酒運転はしてはいけないと思わせる
効果は十分にあったと思う。実際に飲酒運転による交通事故も減少した
と伝えられる。

しかし納得いかない。
微量のアルコールを摂取しただけの人はそれなりに判断力も残っている
だろう。その人たちを検挙するのを反対するわけではない。
だが、酒気帯びを厳しくした割に、判断力が鈍ってしまうほど飲んだ人
が運転をした場合の罰則があまり厳しくなっていないと思われる点を
不審に思う。
ましてやその状態で死亡事故を起こしたら、殺人罪でも良かろう。

ちなみに現状は飲酒運転で死亡事故を起こしても1年以上15年以下の
懲役である。
だが、酒を飲んで運転すれば危険であると言うことは誰でも知っている
ことである。にも関わらず、酒を飲むことを判っていながらクルマで
出かけ、飲酒運転をして死亡事故を起こせば殺人罪でもおかしくないと思う。
ちなみに殺人罪は死刑もしくは無期懲役もしくは5年以上の有期懲役で
ある。大きな違いだ。

仙台の事故では6時間以上も飲んだ挙句の事故であったそうだ。
しかも一度家に帰り、車で呑みに出かけている。明らかに飲酒運転を
するつもりであったに違いない。
ここまで来たら即死刑だって構わないくらいに思う。


2005年05月24日(火) 外交問題

どうも外交問題はわかりにくい。
ご近所付き合いに置き換えて、こんな風に考えてみよう。
以下はあくまで架空の近所付き合いの例である。

−−

隣の家とは昔から仲が悪かった。
そもそも、お隣も我家も先祖代々受け継いできた土地に
住んでおり、それぞれの敷地の境界がはっきりして
いなかったのが原因なのだが、一時期は全面的な抗争にまで発展した
こともある。
なにしろ隣家は昔ながらの大地主で、昔から力で土地を拡大してきた
ような家柄だ。その当時はだいぶ力が弱っており、我家との抗争で
多くの土地を一時的に失った。

その後、すぐにきちんと測量してもらいなんとか和解をした。
抗争で占拠した土地は返上し、どちらの土地かはっきりしない
ところに関しては過去の文献などをもとに適切と思われる方に移譲した。
文献でも不明確な部分は双方の話し合いで決着した。
それによって、一度は双方とも納得し、和解もしたかに思えた。

しかし、代が変わってから土地の一部に関して問題が持ち上がった。
文献の曖昧な記述の部分を示して、そこを返せというのだ。
実は最近になって我家の土地から井戸が出たのだが、調べてみると
その水脈は隣家の土地の下を通っていなかったのである。
すると隣家の主人は本来そこは我家の土地であるといいだしたのだ。
その場所は奥まった傾斜地で日も当たらず、井戸でも出なければ
ほとんど使いみちはない。
そのためか、その部分は文献でははっきりしない部分だったが、
異議はまったくでずに我家の土地と言うことになっていた。
それを今さら・・・ほとんど言いがかりである。

挙句に墓参りに行くと「うちと抗争をしていた奴の墓参りなんて
絶対に許さない」とか、「当時の謝罪も済んでいない」とまで
言い始めた。我家の教育方針にまで口をだす。子供たちが隣家に
憎しみを持たないように、というわけでもないが、隣家とのことは
簡単にしか話していない話していない・・・
教育云々と言われる筋合いではないと思うが、どうも気に入らないらしい。

隣家では子供たちに我家のことをなんて教えているのか判らないが
隣家の子供が、我家の離れに卵やペットボトルを投げつけられたり
もしてきた。明らかに我家に憎しみを持つように教育しているとしか
思えない。
それに対する謝罪はなく、「遺憾だが、しかし、原因はそっちにある」
と言ってきた。呆れて開いた口が開かない。

なんとかしなければと話し合いの場を持とうということになった。
その前日、家のものが「今年は墓参り止めておけば」と提案して
きた。隣家とこれ以上仲がこじれるのを案じての発言だったが、
墓参りを止めるなんてとても考えられない。

もちろん隣家とうまくやっていけるように出来ることはやっている。
例えば、隣家の離れは母屋から離れているのだが、我家の敷地を
通り抜ければすぐに移動できる。隣家からの要望もあり、通り抜け
られるように塀の一部を壊して門をつけたりもした。
隣が金で困っていれば、うちで取れた野菜を譲ったりもした。
うちの仕事を手伝ってもらって賃金を払ってあげたりもしている。
その際には機械の使い方などを教えたりもしている。隣家はその
技術を使って我家に断りも無く商売を始めているが、我家はその
技術を習得するのに莫大な資金を投入したのにと思うと悔しい
思いもするが、あえて目をつぶっている。

にも関わらず、墓参り中止などということは考えらえられない。
ご先祖様になんて言い訳すればいいと言うのだ。

「そんなことできるか!」と怒鳴った声が隣家に聞こえたのだろうか。
朝になって隣家から「急用が出来たから」との一方的な話し合いの
中止連絡が来た。延期ではない、相談さえなく一方的な中止である。
果たして隣家に、この問題をなんとかしようかと言う意思はあるのだろうか?


裁判に持ち込もうと思った。
仮に隣家が正しいのなら素直に受け止める覚悟も出来ている。
が、裁判に持ち込まれたら不利だと思っているのか、あの手この手で
訴訟の妨害をしてくる。

そろそろ、それぞれの家の当主が直接話し合いをしなければならない
時期になっているのは判るが、とても話し合いをしたいと言う気には
なれない。それでもなんとか話し合いの場所がもてたと思ったら、
一方的に中止させられてしまう。

いったい隣家は我家になにをしたいのやら・・・
ケンカを売っているとしか思えない。
生憎我家では、以前の抗争のあと、一切のケンカをしないと言う
家訓があるので、どんなにケンカを売られても買うわけにはいかない。
それを知っていてわざと挑発しているのかも知れない。
しかし、家訓なんて変えようと思えば簡単に変えられる。
実際、我家の子供たちは家訓を変えたくてしょうがないようだ。

これ以上挑発されるとさすがの我家も家訓を変えざるを得なくなるだろう。

−−

日中間の問題を出来るだけ、ご近所付き合いに置き換えたつもりだが、
こうやって考えるとますます腹が立ってくる。
もちろん隣家の立場に立った見方もするべきかもしれないが、
理解しがたい部分もあるので、それはまたの機会にしたい。
やはり隣家になんとか理解を示してもらわないと、これ以上問題が
大きくなると双方にとって不利益が発生しかねない。
同じアジアの国として、なんとか仲良く出来る方策をとって欲しい
ものだ。


2005年05月23日(月) S氏の移動手段

S氏はバス停でバスが来るのを待っていた。
バス停ではS氏と同じように家路を急ぐサラリーマンに混じって
学生さんも何名かバスを待っていた。

空はすでに薄暗くなっており、バス停では街灯の明かりが
暗さを一層強調しているようだった。
肌に心地よい春の風がバス停を吹き抜ける。

会社帰りはいつもなにかとせわしない気持ちになることが
多いが、今日は春の風がのんびりとした気分にさせる。

このままこの雰囲気を楽しんでいよう。

S氏が読もうと思って取り出した本をバックに戻して、
そう思ったとたんにバスがやってきた。
最近導入されたばかりの電気バスは音も無く静かにバス停の
前に滑り込んできた。
バスは何人かが立っているが、座席も半分くらいあいている。
S氏とおなじバス停から何人かが乗り込んだが、逆に同じ
くらいの人数が降りた。

S氏が空いていた座席に座るとバスはゆっくりと動き出した。

バスは素晴らしくスムースに走っていく。
どんなに狭い路地も素晴らしいテクニックで通り抜け、
どんなに混雑した交差点も速やかにすり抜ける。
S氏はそのテクニックに感動した。

しかし、S氏が運転席を見ると誰も座っておらず、
勝手にハンドルが廻っている。
そのバスは最新鋭の電気バスである。
きっと、コンピュータによる自動運転であろう。
S氏はそのテクノロジーに感動した。

どんなシステムになっているのかとS氏は運転席のそば
へよった。
そこには運転席のシートにすっぽりと隠れてしまうほど
小さな運転手が座っていた。
あまりに小さかったのでS氏の席から見えなかっただけ
のようである。が、S氏はすっかり自動運転だと思って
いただけにとても残念であった。

しかし、S氏は考えた。
バスの自動運転は大変そうだが、ロボットによる運転で
あれば、S氏が以前作ったクモ型ロボットならすぐに
でも出来るはずだ。なにしろクモ型ロボットは自分で
好きなところに行けるくらいだ。糸を使えば空中だって
自由に行き来できる。

S氏は自宅に帰り着くとさっそくクモ型ロボットを
運転席に乗せ、ケーブルで繋いだノートPCを通して
運転の仕方を覚えこませた。
しかし、クモ型ロボットからノートPCへ次のような
メッセージが送り込まれてきたかと思うと、ケーブルを
切離して、クルマの窓から出て行ってしまった。

「言っちゃなんだが、おれはこんなクルマよりはるかに
性能が良いんだぜ。運転なんて簡単だがクルマなんか
使うより自力で移動したほうが全然早ぇよ。どっか
行きたいならおれの背中に乗ればどこへでも連れてって
やるからいつでも言いな」

口は悪いが、ごもっともである。
S氏がクモ型ロボットを作るときにとても高性能に
作ったので、新幹線なみの速さで移動できる。
しかもクモ型ロボットは自分で動けるので操縦の
必要もないし、渋滞も関係ない。
駐車場の心配だっていらない。

わざわざクルマの免許まで取ってクルマを買ったが
そんな必要さえなかったのだ。
S氏はクモ型ロボットに自分が乗れるスペースを作る
ことを思いついたのだった。


2005年05月18日(水) 類似事件

似たような事件が続く。

少女を監禁したと言う事件。
先週末のニュースと今週のニュースがごっちゃになってしまう。

商店街を暴走するクルマ。
数ヶ月前にも同じような事件があった。

いったいどうなっているのだろう?

今、当たり前の事件でもはじめて起きた頃には同じように思ったかも知れない。
空き巣狙いがまったく無かった頃に、空き巣狙いのニュースを立て続けに
聞けば、「似たような事件が続くなぁ」とおもったに違いない。
もっとも空き巣なんて、いまじゃニュースにもならない。

少女の監禁事件にしても商店街を暴走するクルマにしてもいずれ
当たり前のニュースになってしまうのだろうか?

そう言えば少年犯罪も最近じゃ普通のニュースになってしまった気がする。

いったい、この世の中どうなってしまうのだろうか?


2005年05月17日(火) 新聞記事と対話

とある新聞社の記事(ネット配信された記事)には小泉首相の発言をこのように書いていた。

「東条英機のA級戦犯の話が出るが、「罪を憎んで人を憎まず」は中国の言葉。
何ら問題があるとは思っていない。」

しかし、昨夜テレビではこのように言っていた。

「東条英機のA級戦犯の話が出るが、「罪を憎んで人を憎まず」は中国の言葉。
特定の個人のために参拝しているのではなく、多くの戦没者に対する追悼の
ために参拝している。
何ら問題があるとは思っていない。」

正確ではないが、このような内容であった。

間に一文あるかないかの違いだが、私が中国との関係を意識して記事を書くなら、絶対にとある新聞社のような書き方はしない。
この記事だけを読んだ中国人はきっと嫌な気分になるだろう。
第一、首相が言いたいことがまったく伝わっていない。

どうせ一部を省略するならば、孔子の言葉を引用した部分だろう。
首相はそんなことを言いたいわけではなかったはずだ。
多少感情的になって、中国が批判していることを持ち出し参拝に反対している「日本の国会議員に対する嫌味」が出たにすぎないと思われる。
それよりも首相としては、戦犯を追悼しているのではない、戦没者に対する追悼をしに行くのであり、戦争を繰り返さないことを誓いに行くのであるということを言いたかったはずだ。

そもそも日本のマスコミには、日本を守ろうという気があるのだろうか?
事実をありのままに報道するのがマスコミの基本ではないのか?
首相発言の一部を外国との関係を悪くしかねないように恣意的に抜取って、報道しているように取られかねないやり方は問題があると思う。
もちろん、首相の発言に大きな問題があれば、ありのままに伝えた上でそれを批判するなりするのは構わないと思う。
が、上記のような報道の仕方は非常に腹立たしい。犯罪行為に近いものを感じる。万が一、マスコミの間違った報道が原因で犯罪や戦争がおこったらだれが責任を取るのか?首相?いや、私ならマスコミに責任を持ってもらいたいと思う。
言論の自由と言うが自由を得るには責任を持った行動を伴なわねばならないことを、肝に銘じて欲しい。

ところで、そうは言ってもやはり中国などを意識してか終戦記念日には参拝しない小泉首相。
うまくやっているようにも思えるが、どうだろうか?

個人的な考えを少しだけ書いておく。
戦没者たちはこの件をどう思っているのだろう。
おそらくは、国にだまされるようにして戦場へ連れて行かれ、殺されたのだから、責任者である首相が参拝に来るのは当然だと思っているに違いない。

だが、首相が来ることでアジア諸国との関係が悪化し、戦争につながりかねないという事であれば参拝をしなくても勘弁してもらえるのではないだろうか?さすがに戦没者たちもこれ以上の戦争による被害者が増えることは望んでいないに違いない。
いや、そう言った問題を解決したうえで参拝に来てもらうのが戦没者たちがもっとも望んでいることではないだろうか?

昨夜の小泉首相の発言にもあったように「「これ以上戦争を起こしません」と戦没者たちに誓いに行くことが参拝の目的である」と言う事を、もっと公の場で繰り返す必要があるのではなかろうかと思う。

歴史認識の違いなど様々な要因があるだろうが、少なくともどんな問題であっても対話がなければ解決策など見出せるはずがない。

追記:
などと書いたが、一部の国はどんなに合理的な理由を説いたところで納得をする努力をしてもらえないと思う。とりあえずそれらの国はおいておくとして大多数の理性的な国に納得してもらっておく必要はあるだろう。
いずれにしても、国際的な常識としても、戦没者の方々の気持ちとしても(すでに亡くなっているのだが)、一部の国の反対を理由に首相の参拝を取りやめる必要性はまったく感じられない。


2005年05月16日(月) ブライダル写真

ブライダル写真の依頼を受けた。

ブライダル写真はこれまでに何度撮影しただろうか?
よく覚えていないが、最初の頃は仲の良い友達の披露宴に関して
撮影を引き受けていたのだが、噂を聞きつけて知り合いの知り合い
などからも頼まれるようになってきた。
だが、仲の良い友達ならいざ知らず、知り合いの知り合いとも
なるとなかなか難しい。

式場付きのカメラマンとの違いはやはり本人の人柄などを良く知って
いるからこそ撮れる写真がある。しかし、会ったことがあると言う
程度の人のブライダル写真なら、経験のあるプロに頼んだ方が安心
だと思う。

それ以上に最近は昔ほど意欲的に撮影をすることも難しくなってきた。
忙しくて準備も十分に出来ないとか、当日もマンネリな写真ばかりに
なってしまい(式場付きカメラマンに対するアドバンテージが・・・)
最近は出来るだけ断るようにしていた。
美味しい料理とお酒も思う存分味わえるし。

今月末は大学時代の友人の結婚式。
一番仲の良かった友人のうちの一人である。
新婦も最初に紹介を受けたときからとても波長が合う感じであった。
正直こちらから撮影を申し出てあげたいくらいである。

そんなわけで喜んで引き受けたのだが、いろいろと難問、課題が・・・
会場のレイアウトやその他いろいろ。しかし問題が多いほど、やる気も
沸いてくると言うものである。
最初はそんなに本格的な撮影は考えていなかったのだが、準備を
進めるに従いどんどん本格的になってきてしまう。良い写真が
撮れそうな予感。

それにしても金がかかるのだけは、なんとかならないだろうか・・・
そう言えば、金がかかるのもブライダルカメラマンを断るようになった
要因の一つであった(笑)


2005年05月15日(日) JR中央線

JR中央線
中央本線ではなく中央線
東京駅を起点に神田、御茶ノ水、四谷、新宿と都心部を通り抜け、
さらに東京多摩地区をまっすぐ西に立川まで向かう。
立川を過ぎると一旦、南に下って八王子を経て高尾から大月へ抜ける。

関東のJR線の代表的な路線は千葉、さいたま、横浜など
大きな街から東京駅や新宿駅をかすめて別の大きな街へ向かう
路線がほとんどだ。例えば総武線や京浜東北線や埼京線などだ。
いわば東京のヒゲのように伸びていく。

中央線は東京の真中を2分するように伸びていく。
山手線が頭蓋骨なら中央線は背骨のような存在だ。

しかしこの中央線、なぜか車両が古臭い。
埼京線にせよ、京浜東北線にせよ、総武線にせよ、スタイリッシュな
ステンレス車両が導入されている。車両に乗り込むとドアの上の液晶
パネルに最新ニュースや次の停車駅の情報、さらにどちら側のドアが
開くかなど、さまざまな情報が提供されている。
シートも少し硬めで座りごこちがよく、空調も適度な効き具合で快適だ。

対して中央線はなぜか色あせたようなオレンジ色の鋼鉄製車両(たぶん)。
夏は冷房が効きすぎて寒く、冬は足元が暑く、いや熱くなるほどの強力
な暖房と、冷たいすきま風。
朝は目的の駅で降りようと思っても、あまりの混雑に出口まで行けないので
ないかと不安になるほど混むし、チカンに間違われないように手を回りから
見えるように高い位置にあげようにもあまりの混雑に上げることすら出来ない。
車内放送は聞き取りづらいのに、次の停車駅の情報は広告収入を優先させて
一部のドアの上にしか貼りだされていない。
人身事故が多く、一時期は毎日のように遅延していたこともある。

まず、車両の色。
もっと明るい色に出来ないのだろうか?
確かにオレンジ色は遭難したときに救助を待つ時に使われるほど
目立つ色であるが、いかんせん中央線のオレンジはくすんでいる。
ついつい飛び込みたくなる気持ちも判らなくは無い。
一時、人身事故を減らすためにホームの床を明るいタイル張りにしたり
照明の配置を換えて、自殺を思いとどまらせるような改良をしたようだが
車両自体の色も変えたほうが良いように思う。

そして、車両の編成ももっと増やせないだろうか?あるいは、山手線に
併結されている座席を折りたたむことで乗車定員を増やせる車両を採用
出来ないだろうか?
混雑緩和には運航本数を増やすことが一番だが、現状でも時刻表は
いっぱいいっぱいであり、これ以上本数は増やせそうにない。
通勤時間帯は特急電車にも遠慮してもらっているほどだ。
混雑の緩和には現在の10両編成を12両もしくは14両編成へと
増やすのがよい。もちろんホームも延長しなくてはならないので
なかなか難しいと思うので、せめて車輌そのもの乗車定員を増やして
もらいたい。
八王子付近には新たな宅地開発もされており、混雑緩和は早急に行うべき
課題だと思う。
また、現在中央線の高架工事が行われているが、これの完成も急いでもらいたい。
これにより複々線化の完成が一番の混雑緩和につながると思う。
また、複々線化による快速線の速達化も可能となるので、利便性もはるかに
向上すると思われる。


現状はとてもこんな電車で通勤できないと、今は車で通勤しているが、
混雑緩和と速達化が達成されたら電車通勤も良いのではないかと思っている。
もちろん、人身事故による遅延も減らしてもらわねばならないが。

そんなことを思っていたのだが、勤務先の事務所の移転が決まりそうだ。
そうなると中央線自体使わないで済んでしまう・・・
良いことなのやら、悪いことなのやら・・・

ところで、数年前までは反対方向から通勤していたため、こんなに快適な
電車はないと思っていた。なにしろ反対方向はみごとに空いているのだ。

当時は始発の東京駅から中央線に乗っていたので必ず座れたし、帰りも
吉祥寺で少し時間を潰して通勤時間帯をずらせば必ず座れた。
しかも途中には新宿や東京と行った繁華街があるので、買い物やデートにも
都合が良かった。多少の遅延も座っていられるので大して苦にならない。

ちょっと向きを変えるだけでこれだけ印象が変わる路線も珍しいのでは
ないだろうか?典型的な通勤路線と言うことなのだろう。


2005年05月14日(土) 春の日

とある休日の昼下がり

S氏は庭に置いた椅子に座りコーヒーをすする
時折庭を吹き抜ける微風が肌にここちよい
鳥たちの声と柔らかい日差しが春らしさを強調する

近所からは三味の音色が聞こえてくる
きっと縁側で練習でもしているのだろう
上手ではないが、休日のノンビリとした気分を満たすにはちょうど良い

上空からかすかに飛行機の音が聞こえる
本当は騒音なのだろうが、むしろ静けさ感じさせるようだ

あの飛行機はどこへ行くのだろう?
国内線かも知れないが、気分は海外へと向かう

春眠暁を覚えずと言うが、
S氏はあまりの気持ちよさにそのまま眠りについた

目が覚めると近所から日曜日の夕方に毎週放送されている
長寿お笑い番組のテーマ曲が聞こえていた
S氏は思った以上に長い時間寝ていたようだった

風が冷くなっていた
冷たい風に、S氏は急に現実に戻ったような気がした
明日から仕事だと思うと落ち着かない気分になった
春の暖かい日差しに未練を残しつつもS氏は部屋にもどった


2005年05月13日(金) 埋め戻し

S氏は考えた。
井戸から上に土を放り上げれば宇宙の家に土が戻るのではないか?
さっそくS氏はリニアモーターを使った土砂運搬装置を開発して
井戸の部分に設置した。
宇宙から落ちてきた土をそれで宇宙に送り返すのだ。

土砂運搬装置は素晴らしい性能だった。
あっという間にすべての土砂を送り返すことが出来た。

宇宙の家に戻ったS氏は唖然とした。
土は元通りに戻ったのだが、穴の空いていた場所から
井戸水が噴出していたのだった。
屋敷は水浸しである。

それにしても宇宙で井戸水が出るなんて常識では考えられない
ことだったが、これで水に困ることは無い。
久しぶりの実用的な発明にS氏は満足だった。

そのころ、地球のS氏の屋敷は地盤沈下で穴の中に埋もれていた。


2005年05月12日(木) 穴掘り

S氏は穴を掘っていた。
最初はスコップで掘っていたがキリが無かった。
近所からショベルカーを借りてきて掘ったが埒があかなかった。

宇宙の家から帰ったS氏は自宅の裏庭に掘った井戸が
埋まっていることに気がついたのだ。しかし、掘っても
掘っても掘り進まないのだ。

ついに穴掘りで出た残土が屋敷をすっぽり埋めてしまった。
S氏は井戸の様子をよく見ようと覗き込むと上から土が
落ちてきていることに気がついた。
どうやら、宇宙の家の庭に空いた穴からここへ土が落ちて
来ているようだった。

しかし、屋敷は土の山に埋もれてしまっていて、家には入れない。
対策は宇宙の家で考えることにした。


2005年05月10日(火) 穴埋め

S氏は穴を埋めていた。
庭に空いた穴を埋めていた。
最初はスコップで埋めていたがキリが無かった。
近所からブルドーザーを借りてきたが、
それでもなかなか穴は埋まらなかった。

庭の土で埋めていたのだが、ついに庭の土も
なくなってしまった。敷地内の土を全て使って
も穴は埋まらなかった。
いまやS氏の屋敷は空中に浮いている始末だ。

S氏はいったいこの穴はどこまで続いているの
だろうと穴の中を覗こうとしたが、庭の土がすで
になくなっているため、穴自体がどこにあるのか
も判らなくなっていた。

S氏は宇宙に家を買うにあたって欠陥住宅だけは
買わないように注意していたが、まさか庭に欠陥が
あるとは予想もしていなかった。
ところで庭の土はどこに行ってしまったのだろう?
自分で穴埋めをせず、不動産屋にやらせれば良かったと
すこしだけ後悔をするS氏であった。


2005年05月05日(木) JR福知山線

JR福知山線には一度だけ乗ったことがある。
尼崎から福知山まで特急電車に乗った。
もう、5年くらい前だろうか?

福知山のお得意様の元へ行く際に利用した。
通常は京都から福知山に入るのだが、たまたま別のお客様のところへ
行った帰りに福知山へ向かうことになったため、福知山線を利用したのだ。

GWに名神高速道路を利用したが、カーナビの画面を見ながら、この辺が
脱線事故のあった場所だろうと現場の方を見ると、復旧作業のための
クレーン車がいくつも見え、テレビ画面で見慣れたマンションもちらりと
見えた。
事故から1週間以上が過ぎており、しかも高速道路の防音壁越しに
一瞬見えただけにも関わらず、異常なほど大きな事故があった場所
であることは、雰囲気から痛感できた。
しかし、同時に異常なほど大きな事故であったにも関わらず、日常的な
風景の中に溶け込んでおり、その場所が事故現場であることを意識して
みなければなんてことのない風景であるようにも思えた。

それにしてもひどい事故である。
事故そのものはもちろんだが、JRの体質がひどい。
無理なダイヤや、乗務員へのちょっとしたミスに対する懲罰的な対応
などなどなど。

報道もひどい。
オーバーランなど日ごろ電車に乗っている人ならだれでもが経験して
いるはずである。それをさもとんでもないことをしたかのような報道。

宴会やボウリングにしてもそうだ。そんなにひどいこととは思えない。
取材中にトラブルを起こした張本人が、終業時間後に宴会に出ること
なんてよくあるのではないかとおもうがどうだろう?
まして、当事者や担当者ではない別の記者が宴会をしていたら、それは
責められなければならないことなのか?
トラブルの規模が違う?
規模の問題じゃない。
そんな考えだからひどい報道しかできないのでは?


新しい情報がないからと言ってなんでもかんでも報道すれば良いって
ものではないだろう。
報道するなら、なんでもかんでも悪いこととしてつるし上げるのではなく
(そんなことは小学生でもできる)日常的にある大したことではないことが
なぜこんなことに繋がったのか?そう言った切り口で冷静に報道できない
ものだろうか?

福知山線の開通にはまだまだ時間がかかりそうだ。
公共交通機関がこれだけの長期間に渡り不通という状況はよいことなの
だろうか?並行して走っている私鉄や自動車の利用が増えているようだが
福知山線の開通を望んでいる沿線住民も多くいるだろう。
また自動車の利用増加は公害と言う観点からも問題があるだろう。

新型のATCなどの設備が整うまでは開通させられないそうだが、
そんなことはないだろう。ダイヤの見直しや運転士以外に監視役を
運転台に乗せるなどして速度超過を起こさせない態勢を作ることで
安全は確保できるはずである。
あとは利用者に選ばせればよい。
JRが信用できない人は利用しなければよいだけだ。
新型ATCを導入したところでそれが壊れれば一緒だ。

結局、安全は人間が確保するものである。


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