ちむたんのつぶやき
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2004年12月31日(金) 行く年に

あと一時間足らずで、2004年は「去年」になります。
皆様にとって、どんな一年でしたでしょうか?

今年を回顧する番組で繰り返し言われているように、天災、人災、とにかく災いの多い年だったと確かに思います。

大晦日の今日も、東京で積雪が観測されたのはなんと21年振りだそう。
猛暑、台風、洪水、地震、津波。地球という惑星の病は次第に重くなりつつあるのかと、頭の隅で思わずにはいられなかった方が多いのではないでしょうか。
罹災された方に、あらためてお見舞いを申し上げたいと思います。

戦争も終わりません。為政者自らが、正義という主張のもとに人殺しを奨励してやみません。そしてそれに迎合して恥じるところのないかのような我が祖国の代表者の命のもとに、戦乱の地へ同胞が赴いてゆきます。

若者、いえ子供の犯罪や、子供をターゲットにした陰惨としか言いようのない犯罪も多くありました。
心の闇の部分を、これほどまでにためらいなく曝してしまう人が続出していることにも、心寒い思いを何度も味わいました。

どちらを向いても、辛いニュースが多かった今年。
でも、人に本来備わっているはずの気高さや思いやりを信じて、来年も前に進んでゆきませんか。どうか、ご一緒に。

今日も一日、お疲れ様でした。
今年も一年、お疲れ様でした。

雪の蓼科で年を越す相棒に。
いつもお世話になりっぱなしの知己の皆様に。
そして、お名前も存じ上げませんが、このサイトにお運びくださったあなたに。

来年も、たくさんの幸せが降り注ぎますように。


2004年12月30日(木) 凍っとるがな

母のお墓は、実家(山の上のほうにある)の隣の山にあります。こっちの山のほうが高いんです。
昨日の雪は、屋根や芝生の上にうっすらと積もっているだけで、お昼過ぎにはほとんど融けてなくなっていました。
掃除が一段落したので、父を乗せてお墓参りに出かけることにしました。明日はまたお天気悪そうですし。

車で坂を下りてまた坂を上りました。
ららら?こっちの道は結構雪が残ってる…隣の山なのに、こんなに違うの?スピードを落として走りました。
霊園に到着。

一面の雪景色じゃん!

市営の霊園なので、年末年始はお役所らしくお休みになります。そのため、道が全く除雪されていません。先に通った車の轍が残るのみ。
うちのお墓は霊園の中で上のほうにあるので、霊園の門をくぐってからまた坂を上らなくてはなりません。その坂を上ろうとしてUターンしてくる車がいます。通行止めかな?と思ったら別にそうでもないようです。いちおう車の轍もついてるし。

その時、進むのをやめておけばよかったんですが…雪をナメてました。
坂を上り始めた瞬間、いつもと全く違う感覚に襲われました。
タイヤの下に何か挟まってるみたいに心もとない感じ。要するに滑るんです。ハンドルを危うく取られるところでした。
どっしぇー!!怖え!このままずるずる滑ったらどうしよう!
顔面蒼白になりましたが、なんとか駐車場まで辿り着けました。
お墓まで行って戻ってくるまでの間(しかもお墓の階段が濡れてつるつるになっており、危なくて上がれなかったのです。父なんか転んでしまいました)、私の頭を一杯にしていたのは「下りはどうすんだ」ということ。
もしあの調子で滑ったら、下までブレーキがかからず滑っていってガードレールにどかーん、となりかねません。
今までは、雪が降ったら絶対に車は出さないというポリシーを貫いていたので、雪道を運転するなんて初めて(おい!)。もちろんタイヤは普通のものです。
あああああ、なぜこんなことに!
でも行くしかありません。上がってきたんだから下りることだってできるはず、とにかくゆっくりゆっくり進めば。

ギアをローに入れてゆーーーーーっくり発進。心臓ドキドキ。
牛歩戦術のようにのろくさ進んだ結果、無事下まで行けました。
この年の瀬に事故ったりしなくて済んでよかった。父も怪我しなくて済んでよかった。
今年はほんとに最後までビックリ出来事が多いです。

それにしても学習しました。
隣山と言えど、ゆめゆめナメてかかってはいけない。
雪模様の日およびその後は、絶対に車を出さない。


2004年12月29日(水) 君に会ってからというもの僕は

実家に戻っております。

今日掃除したところ:
台所、洗面所、お手洗。これから入浴するついでにお風呂も片付ける予定。
水周りはいちおう今日で完了。

実家は茨城県北部に位置しており、今日は朝から雪でした。内陸部では積もったそうですが、うちの辺りは途中からみぞれまじりの雨になり、積もる程ではありませんでした。が、寒かったー。年末に雪って珍しいですよね。

どうやら大晦日も雪になるらしく、これは日頃の私の行いを評価したやさしい神様が「大変だから外の掃除をしなくて済むようにお天気を悪くしてあげましょう」と思し召したのかもしれません(一体どこが評価されたというのだ私よ)。そもそも天気悪いからって窓拭きしなくていいことになるのか…?

でも明日は晴れるそうです。
相棒が「12月30日は正月の餅を搗く日と決まっていて、この世に生を享けてから一度たりともこの日に雨が降ったことはない」と断言しております。確かに天気予報も晴れだ。明日勝負しろってこと!?

で、今日の題名「君に会ってからというもの僕は」ですが。
さっきBSフジで、去年夏にやったという「お台場フォーク村」ライブを放送してまして、村長さんが坂崎幸ちゃん、1夜目のゲストが吉田拓郎さんでした。
放映は1時間で、その大半を「君に会ってからというもの僕は」THE ALFEE&吉田拓郎バージョン、が占めていたのでした(笑)。
ギターの弾き語りみたいな感じで延々とアドリブっぽくALFEEのメンバー同士の出会いから拓郎さんと知り合い、今日に至るまでが歌われました。
実に爆笑ものでした。昔からずっと、仲良し兄弟みたいな付き合いだったんだなぁ。
全体的に爆笑爆笑また爆笑、というノリだったんですが、なぜか気がついたら私、泣いておりました。

後でネットで調べて知ったんですが、実はこのライブ、がんの手術をした拓郎さんの復帰ステージだったのですね。お祝いにALFEEからエルメスの時計が贈られたそうです。

歌詞やMCではそんなこと全然言ってませんでしたが、こうして伝わってくるものがあるのです。
長い時が醸し出すものが、確かにあるのです。


2004年12月28日(火) 今年もおつかれさまでした

仕事納めでございました。
まあもう今日になってバタバタしても、ね<誰に言い訳してる

今年はですね。
長い一年でした。

ここまで来てやっと書けることですが。
6月に職場のベテラン二人が一度に退職して、チームの中で4番目だったのが一気に2番目になってしまいました。
去年の夏あたりからずっと仕事を辞めたくて辞めたくて、上司に退職話を持ち出しては説得力がないと蹴られるのを繰り返していたら、見事に先を越されちゃいまして。
辞めていく二人が要領よく見えて、悔しくて。
でも目の前には仕事が山積みで、とにかくやるしかなかった。無我夢中で働きました。
小説やマンガじゃないですから、一生懸命やったからといって奇跡が起こるわけでも、夢のように実力がアップするわけでもないんですけれども、自分としてはかなり頑張ったと思います(いい加減だったことも結構あるけどね…)。

たとえ収入が途絶えてもという覚悟でやりたいことがあって辞めるなら、それも一つの選択なのでしょうが、正直、それほどの目標があるわけでもなく。
いい年して本当に恥ずかしいですが、逃げることばかり考えて、辞めたいと思っていました。
生活のために働くということを、どうも低く見ていた節があります。巷で言う“今の自分は本当の自分じゃない”に近いような。
バブル期の最後の年に、そこそこの大学を出ていたおかげで簡単に内定を複数取って、安易に会社を選んだことも影響しているかもしれません。

けれど、それをこのまま1年、5年、10年と続けていくのは虚しすぎる。

今は、目の前の現実をちゃんと受け止めていこうと思います。
仕事は面倒くさいししんどいことも多いです。未だに、社会人として何か決定的に欠けているものがあるのではないかという気もします。でも、そんなことを言っていても仕方がない。

ここまで辿り着くのに、新卒で就職してから13年近くかかってしまいました。
「仕事で自己実現」なんて実感を覚えないことは言いませんが、一度きりの人生を、あらゆる意味で充実したものにするために、私は働きます。


2004年12月27日(月) 年内最終更新〜

レオトモページに、単発のお話を一本載せました。
明日、仕事納めのあとそのまま実家に移動してしまいますので、これが年内最終更新になりますね。
長編の続きは実家でなるべく書き進めてきたいと思いますが、仕事も持って帰ることになりそうだしな…うううう。

そういえば昨日の話なんですが。
体育館で観戦中に父から携帯に電話がかかってきました。あの賑やかな中で、たまたまマナーモードにして膝の上に乗せていたので気付けたんですけれども、私の名を呼ぶ父の声があまりに切迫しているので驚きました。これは身内に何かあったな、と身構えました。
ところが。
なんと、実家に先程女の声で電話がかかってきて、私の名を騙ったというのです。いわく「誘拐されて車に押し込められていて、ここがどこか分からない。もう会えないかもしれない」と泣き声で。
その後、男が替わって話し出したそうですが、どうもカタコトの日本語のようなので父(昔米軍で通訳をしておりました)が英語で話したところしどろもどろになったので、これはどうもおかしいなと思っているうちに向こうから切ってしまったらしく、それで私に電話してきたというわけです。
私にしてみれば楽しくバレーを観ていたわけで全く身に覚えのない話なんですが、父は生きた心地がしなかったそうです。当たり前ですね。私だってもし父からそんな電話がかかって来たら逆上してしまいます。
特にお金を要求されるでもなく事なきを得ましたが、これはやはり昨今騒がれている「振り込め詐欺」なんでしょうね。
まあもし振込をせよということになったとしても、父は普段全て人任せで、ATM操作を全くやったことがない人なのでそこで歯止めがかかったかもしれませんが(苦笑)。

それにしても不愉快極まりない話です。実家の住所、電話番号はもとより、私という娘がいること、そして実家を離れていることまで把握しているとしたら本当に気味が悪いです。当てずっぽうでかけていると思いたいのですが。
私は2週に1週は実家にいるわけで、たまたま私がいる時にかかってきたら笑い話にしかならなかったのですけど。

だけど、お芝居観てる時なんかじゃなくてよかったです。そしたら携帯の電源を入れてなかった公算が強いので、父はもっと恐ろしい思いをしたでしょう。
運が良かったと思います。

この話を友達にメールしたら「空き巣の次は振り込め詐欺か…」という返事が来ました。やなこと思い出させんなよ(笑)←2002/10/13の日記参照

何はともあれ、皆様どうかご用心下さい。


2004年12月26日(日) 山形よいとこ!(その2)

早起きしてホテルの美味しーい和朝食をいただきました。
山形の飲食店、ほんとにレベルが高い印象です。
あまりに美味しくて食べ過ぎたので、お腹を落ち着かせるためにまたもや昨日の文翔館へ歩いていきました。今日は静かに観られて満足。

タクシーで体育館へ。
今日はすごい人出でした。そして当たり前ですがほとんどがパイオニアファン。GAORAの中継でも言ってましたが、座席はほぼ真っ赤っ赤でした。声援も凄かったなあ。

だがしかし。
今日の対戦相手の日立佐和リヴァーレ、初めて見たのですが応援団がすごいんですね!
人数は少ないけど、非常に良く作り込んであるというか訓練されているというか…日立製作所、都市対抗野球とかの応援で慣れてるからなのか?それともやはり今はなき日立女子バレーチームからの伝統なのか?(当時は生観戦したことがないので、応援がどんなだったかはさすがに覚えてない…)
サングラスにスポーツシャツ、紺のスラックス、もちろん額にはハチマキという古風な応援団スタイルがステキな団長さんを筆頭に「マツケンサンバ」やらピンクレディーの「UFO」やら、一世風靡セピアの「前略、道の上より」で踊り狂っちゃうんですよ。
バレーと全然関係ないじゃん、というツッコミすらもこのパワフルなパフォーマンスの前では柳に風!

実は日立佐和、ほぼ地元なんです。
っていうか、この近辺の住民は「この木なんの木気になる木」が聞こえてきたら反応するように身体に教え込まれてるんです(私は中学からなのでそれほどでもないですが、生まれた時から住んでる相棒なんかはかなり…)
はっきり言って惚れました。
来年1月のひたちなかでの試合、パイオニアはもちろんいませんが、都合がつけば日立佐和を観に行ってしまいそうです(だって今日は応援したくても出来なかったし…)。

試合はほとんど危なげなく、ストレート勝ちでした。
おかげさまで、これは一年頑張ったオレ達への一日遅れのクリスマスプレゼントか!?って思っちゃうくらいレオトモ炸裂でしたし(このへんはまた改めて…)。
フフフフ。山形の空よ風よ大地よありがとう!!!

気分良くタクシーに乗り込んで、山形名物お蕎麦を頂くべく「庄司屋」さんへ(ガイドブックそのまんまなコースでお恥ずかしい…)。
「相もり板」を頼みました。
私ほんとはお蕎麦ちょっと苦手なんですが、ここのは美味しかった!今まで食べてきたお蕎麦ってなんなんだろ、と思ったくらい。
新橋に東京店があるんですね。また行ってみようかな。

予定より1時間早い新幹線に変更して帰ることにしました。
チアのお嬢さん方がまた一緒でした。松平名誉会長ご夫妻も…。

山形は自然が圧倒的に美しく、古いものを大事にしている豊かな街でした。
タクシーの運転手さんが「大きな災害に遭っていないので、人間がなんとなくぼーっとしている」とおっしゃっていましたが、それはなんと幸せなことでしょう。
東京好きですけど、会社に通わなくていい職業だったら住んでみたいなあ、と思うほど好きな街になりました、山形。
食べ物も酒も美味いし…<結局それか?

年内のパイオニアの試合はこれで終了。2連勝で気分良く終われたのでは。
ちゃんと年末年始は休めるのかな?
本拠地天童は、山形の隣の市です。
この美しい自然が、トモさんの身も心もやさしく癒してくれますように、と願いつつ本稿を締めたいと思います。


2004年12月25日(土) 山形よいとこ!(その1)

行ってまいりました山形2連戦。

いやー、なんていい所なんだ山形!バレー抜きだったとしても思いっきり満喫しちゃいましたよ!
というわけで、旅行記中心でお送りいたします。
(試合の話はレオトモページの方で改めてしたいと思います…)

新幹線の東京駅ホームに着いたら、いきなりパイオニアのチアのお嬢さん方に遭遇してびっくり。東京から遠征してるとは知りませんでした。

うきうきと新幹線に乗り込み、一路山形へ。
米沢を過ぎた辺りで一面の雪景色になったので、かなりビビった私達はおもむろにカイロをお腹と腰と靴の中に仕込みました。
しかし到着してみると、山形市内には全然雪はありませんでした。盆地を取り囲む山はもちろん真っ白でしたが。

まだ時間が早いので市内を回ってみようということになり、山形城址は今の時期あまり見るべきものがなさそうなのでガイドブックで見かけた「文翔館」を目指しました。
山形駅から歩くこと約20分。途中にある山田家さんの名物「ふうき豆」を買ったり、ぷらぷらと。
高校生の賑やかなダブルデートカップル(「スウィングガールズ」テイスト満載!)と追い越したり追い越されたり。

そして到着した文翔館は、山形県の旧県庁舎と県会議事堂を修理・復元した建物です。
…と、正面玄関の前に人がたくさん集まっています。看板が掲げられています。「祝・東北楽天ゴールデンイーグルス2軍本拠地決定」と書かれています。
1軍本拠地は仙台ですが、2軍は山形になったそうで、ちょうどその記念式典が開催されていたのでした。
この文翔館、中を公開していて無料で観覧できるのですが、これだと今日はダメなのかな?と思いました。が、古い西洋建築が大好きなので諦めきれず、玄関をおそるおそる覗き込んだところ観覧OK!わーい、と中に入ったらボランティアガイドのおじさまに声をかけられ、案内していただくことになりました。
館内でこの後記者会見や会食が行われるため、入れなくなっている部屋もいくつかあったのですが、大体は見せてもらえました。一番豪華な「正庁」は、この写真にうつっているすごいテーブルの上に生花が飾られ、グラスやナイフ、フォークがセットされていてリアルである意味おいしかったかも。
それにしても、これだけの建物を10年もかけて復元したその意気が素晴らしいと思うのですね。資料映像見せていただきましたが、費用も手間もほんとに莫大なんです。
時計塔なんて、札幌の時計台の次に古いものだそうで。
もっと宣伝してもいいのに、奥ゆかしいなあ山形の人…。

もう少しじっくり見たかったのですが、玄関前には人がどんどん増えてくるしそろそろ体育館にも移動しなきゃならないしで、後ろ髪を引かれつつバスに乗りました。

山形市総合スポーツセンターは、明るくてきれいな施設でした。寒いかなあと心配しておりましたが、ぜーんぜん。熱気で汗が出るくらい。人もいっぱい。
ネットにほど近い、かなり前の方の席をせしめて楽しく応援しました。
なんと、セレモニーを終えた楽天の三木谷社長や山形県知事も登場して、パイオニアのあの赤い裃?着て応援してました。
パイオニアは相変わらずエンジンのかかりが遅く、第1セットを取られてしまい心配しましたが、終わってみれば3-1の勝利で一安心でした。

今回感動したのが、タクシーの運転手さんがみんな気さくで親切なこと。今回全部で3回乗りましたが、どの方とも和やかに話が弾みました。
この時の運転手さんが「バレーですよね、どちらが勝ちましたか?」と質問されたので「パイオニアです」と答えたら「ちなみにお客さんはどちらのファンですか」と訊かれ、また「パイオニアでーす」と答えたところ「あ、それじゃ心置きなく喜ばせていただきます」とおっしゃってました。
愛されてるのね、レッドウィングス(涙)。
「栗原選手は来てたんですか」とも訊かれました(ちなみに来てません…と思います。誰も騒いでなかったから)。「注目度高いんですね」と言ったら「そりゃオリンピック選手ですからねえ、期待されてますよー」と。
汚れた己を少し恥じてみました…。
あとはモンテディオ(サッカー)や楽天の話とかで盛り上がりました。

ホテルにチェックインして、夕ご飯を食べにいくことに。
繁華街の七日町通りから少し入ったところにある「れんげ草」へ。日本酒が飲みたかったもので(笑)。
飲みたかったと言ってもそれほど飲めるわけではないので、3種おためしセット(しかも相棒と半分こ)とグラス1杯ですっかり上機嫌に。
天童にある出羽桜酒造の「枯山水」が絶品!
お料理も芋煮汁や舞茸の牛肉巻き、真鱈のフライ、お蕎麦、などなど美味につぐ美味。
夜になるとやっぱり冷え込むので、けっこう酔っていたんですがお店を出てからホテルまで歩くうちにすうっと冷めたのがビックリでした。寒いところなんですねえ。

山形駅の中のお土産街でずんだ餡のお団子とかいろいろ買って、ホテルでお茶を飲みました(まだ食うか)。
NHKニュースを見ていたら、ローカルニュースの時に今日の試合結果をちゃんと報道しているので感動。いいなあ地元。

早めに就寝しました。


2004年12月24日(金) 山形に行ってきます

大阪出張は無事終わりました。
そして明日は山形に参ります。トモさんを拝みに…。
体調はかなり悪いですが、命みじかし恋せよ乙女<おーい

それにしても世間のサイト運営者様はマメだ。ちゃんとイブにはイブらしく更新されているではありませんか。素晴らしい。
うちはダメでした。無念。


2004年12月23日(木) 大阪に行ってきます

「大阪に行ってきました」だと、お土産お菓子のネーミングみたいですが(笑)。

家族忘年会はなかなか良い感じでした。
お料理の受けもよかったし、今日は浜離宮庭園で散歩して、清々しかったし。
ただ、父をちょっと長く歩かせすぎて疲れさせてしまったので今後は気をつけないと…

父を新橋で見送った後、日本橋三越にお買い物にいきました。
年末で大混雑でしたが、根性でブーツとコートを購入。新装成った新館のスイーツコーナーに行きたいと思っていたんですが、大荷物になっちゃったしきっとものすごい人出だろうし、と諦めて、コレドの向いの「東洋」という古風な名前の喫茶店に入りました。
ここが大当たりで。
かなり老舗だと思われますが、今までノーマークだったんですね。ガトーフレーズ(いちごのショートケーキ)!しっとりふわふわ!そして生クリームの品の良い後味!!絶品だ!!コーヒーも美味しいし。素晴らしい。
ケーキを勧めてくれたおじさまが仕事を愛してるオーラに満ち満ちていて、こちらまで幸せな気分に。良いお店です。

で、明日は大阪出張に行ってまいります。
頑張れば、頑張る時、頑張れ私。


2004年12月21日(火) ワシあした休むけんね

13日の日記で迷っていましたが、結局あした年休取ることにしました。
そういう時に限って「明日打合せしたいんだけど時間ある?」という話が2件くらい来たんですが、ここは心をオニにしてお断り申し上げました。
23日が休みで、24日は大阪出張なのが痛いところですけれども。

そして27日は午前中に打合せが2本入ったのであった…本当にその翌日は仕事納めなのか!?と頬をつねってみたくもなるものです。

実はこないだの土曜に、実家で夕ご飯を食べていたら差し歯が取れてしまい(歯医者の先生に「次取れたら本格的に治療しますよ」と宣言されていた問題児)、今日の5時半に予約を入れていたのですが、上司が打合せから戻って来ないので諦めました。今日カタを付けられるものは付けないと、明日休めなくなっちゃうし。
今週末、山形に行ってる間に痛み出したりしませんように…。

明日はちゃんと婦人科にも行こう、クリーニング取りに行こう、そして夕方には父を迎えにいきましょう。
夜は家族忘年会なのです。

あ、りんごじゃみは一晩置いたら甘味がなじんでますます良い感じになっておりました。めでたし。


2004年12月20日(月) りんごじゃみ

14日の日記に書きました通り、ただいま我が家はりんご屋敷でございます。
一日一りんごと誓いを立てて食べてはおりますが、なんせ今年はやけに暖かい。部族の中に、一部不穏分子が発生している気配もあります。

そこで。
いよいよりんごジャム計画を発動させました。
昔よく母が作っていましたが、自分で作るのは初めてです。

かなり大ぶりのりんごを、立て続けに5個むいて銀杏切りにしました。
不器用なのですが、りんごの皮をむくのはなぜか好きなんですよね。
A様の教えに従い、切ったはしからボールに移してお砂糖を振ったところ、いい感じで水気が出ており焦げ付く心配もなさそうです。

かくして現在なべの中でくつくつと煮えているところであります。あまーい、すてきな匂い。これだけでもう既にかなり幸せです。
まだほとんどが原型を残しているので、あと1時間くらい煮るのかな…。
仕上がりは明日のお楽しみでございます。

ちなみに私の母はジャムのことをよく「じゃみ」と言っておりました。
母はキテレツな造語が得意な人だったので「じゃみ」もその類だとばかり思っていたのですが、あにはからんや、明治時代には本当にジャムを「ジャミ」と呼んでいたそうなのです。ごめん母(笑)。

おお、ずいぶん嵩が減ってきました。ジャムっぽくなってきました。
面白い…。


2004年12月17日(金) 前向き?

会社の若い者が、急性腸炎だとかで今週月・火とお休みでした。
水曜から出社してきましたが、どうも風邪も引いている様子でしんどそうです。
しかし。
彼がだんだん元気になってきたのと入れ替わりのようにわたくし、お腹の調子が思わしくなく…。ウイルス性なのかしら。イヤー!
これでやせるならそれもいいけどさ<前向き?

さて、年末ジャンボ宝くじは今日が最終日でしたが、結局買いませんでした。買わなきゃ当たらないが、買ったところでどうせ当たるまい<後ろ向き

宝くじに当たるより、チャーちゃんが元気でお仕事してくれる方がなんぼか嬉しいというものだ、と匠の会から届いたチャーちゃんのメッセージを読んで涙しつつしみじみと思ったことでした。
来年はお互い年女だもんね、いい年にしようねチャーちゃん!<前向き!

そういえばタカラヅカのトップ人事やら組替え人事の発表があったそうでんな。
「トム・ジョーンズ〜」で初々しいラブラブカップルだったジョージとオナーがトップコンビか。
…良かったねえ…<まあ前向き

柳本カントク、なんとか留任決まったそうでんな。
とにかくなんでもいいから、一致団結して北京を目指せ!こんなにはっきりした目標他にそうないだろ!<前向き〜


2004年12月14日(火) りんごがきた

相棒のお母様が、りんごを1箱送ってくださいました。
…娘である相棒宛ではなく、私宛に。
なぜかというと、相棒は生のりんごが大の苦手だからです。味は好きなのに、さくさくというあの食感がダメなんですって。
傍で他の人に食べられるのも辛いらしいです。最近はだいぶ気にならなくなったそうですが。
お母様はそれをご存知なので、あえて私宛に送ってくださったという訳です(笑)。ちなみに私はりんご大好きです。

相棒は普通に皮を剥いては食べられないので(すりおろすと平気)、隣の部屋にいてもらって台所で私が皮を剥き、すりおろしていただくことになります。
が、毎回すりおろすのも結構大変ですし、なんせ1箱ありますので、今回はりんごジャムに挑戦してみようと思います。
今日はレモンがないので、明日にでも。
生食に飽きてきたら焼きりんごも作ろうっと。

お母様にお礼の電話をしようにも、おとといからドイツ旅行にいらしていてお留守なのでした。
いや、お便りすればいいんですけど、最近ほんと筆不精→字がヘタになる→ますます筆不精になる、の悪循環です。
先月いただいたフルーツ豪華詰め合わせ(11/15の日記参照)にも、お礼状を!と思いつつまだ書いていないていたらく…。
失礼の段、重ね重ねお詫びいたします…(だからそんなこと言ってる間に書けって)。

全然話は違うんですけど、ふと思い出したので。

チャーちゃんが宝塚在団中の頃の話です(と言ってもチャーちゃんがらみではないので念のため)。
ヅカ友のRさんが、電車に乗っていてとある旅行会社の車内吊り広告に目を留めたのだそうです。
「初日の出が見える宿」。
Rさん、しばらく考えました。

「初日の出、かあ…。なんで初日だけなんだろ、他の日や楽の出は見えないのかな…?」

そう、Rさんはこの広告を「しょにちのでがみえるやど」と読んでいたのです(笑)。
「いやー、あまりにもどっぷりヅカファンやってるなーと自分でも思いました」と笑っていたRさん、ネタにしちゃってごめんなさい。近頃いかがお過ごしでしょうか。


2004年12月13日(月) 年内に

フルスロットルで仕事しつづけております。
半笑い半泣きです。

年内に美容院に行く夢はもう捨てました。
本当は、髪をきれいにして山形に行きたかったです<妄言

びよういんはあきらめるけど、びょういんには行きたいものじゃのう。
本当は12月の1週目に行かなきゃならなかったんだけどなあ。

22日に父を東京に呼んで家族忘年会をやるので、理想としては22日年次休暇→午前中病院→夕方上野駅に父を迎えに、という流れです。
年休申請しちゃおうかな、と今朝から逡巡中…(実はまだ会社)

入れちゃおっかなあ。半休もう残ってないし…
くう、どうしてこんなに仕事が多いんじゃろう。今ばっかりは、手が遅いからじゃないぞ。仕事が多いから終わんないんだぞ。

なんだか書いてることがエンドレスになってきました。
かーえーりーたーいー。


2004年12月07日(火) 12月(今月初更新)

12月ですね。
今月初の更新でございます。レオトモです。
この話、年内に完結できるかしらってムードになってきました、ははは、はは(空虚な笑い)

こないだの土日は下田に行きました。土曜の夜は大嵐(マジで屋根が飛ぶと思った)、一夜明けたらどピーカン。不思議な旅でした。
とにかくお魚食べまくり。

で、12月なわけですけど。
し、仕事が忙しいぜ…。このままずっとフルスロットルで走り続けなくてはならないのでしょうか…。

ゆりかもめ通勤者なものですから、12月に入ると駅構内にオタクなポスターがたくさん張り出されているのをイヤでも目にすることになりますです。
もうすぐコミケなんですね。

1998年12月の私は、仕事納めの日にいったん実家に戻って翌日大掃除第一弾に着手し、確かその日の夜(もう記憶が薄い…)にまた東京に帰ってきて30日は有明におりました。
本は好調に売れましたが、正月にはガッチリ寝込みました。
そんなにもコミケに出たかったのか、当時の私。いじらしいな。

でも今、ちょっと懐かしいです、コミケ。
本を出すことを含めて前後の段取りが大変すぎるので、もう行こうとはとても思えませんが。
ちなみに、よく言われる「コミケに参加する当日そのものが大変」というのはあまり経験してない私。
相棒いわく「有明に移ってからのコミケはらくちんポン」だそうです。晴海や幕張は大変だったって。夏なんて酸素スプレー持ってったらしい。晴海新館2階の必需品だったらしい。そうなのか…。

だけど、大阪出張した翌日の朝早い新幹線でバレー観に行くとかいう計画立ててるあたり、綱渡り人生はあんまり(いや全然)変わってないってことだよね!宝塚でチャーちゃんの追っ駆けしてた時だってそうだったもんね!(爽やかに)


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